27日は「北方領土の日」



 加 藤 良 一

2017年1月31日


 「北方領土の日」は、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るために制定された記念日です。「北方領土の日」は、1855年(安政元年)江戸幕府と当時の帝政ロシアとの間で最初に国境の取り決めが行われた日露和親条約が結ばれた27日と決められました。


北方領土など、わが国固有の領土と教科書に明記
 ロシアや韓国との間で懸案になっている北方領土や竹島、尖閣諸島について、文部科学省は、小中学校の学習指導要領改訂案で、これらがわが国固有の領土であると、本文に明記する方針を示しました。社会科の学習指導要領改訂案では、北方領土や竹島、尖閣諸島が、わが国固有の領土としての位置づけを、明確に指導すべきだとしました。

 中学校の社会科の歴史的分野では、
 「領土の画定などを取り扱うようにし、その際、北方領土に触れるとともに、竹島、尖閣諸島の編入についても触れること」
としており、公民的分野では、
 「北方領土や竹島に関し、残されている問題の、平和的な手段による解決に向けて努力していることや、尖閣諸島をめぐり、解決すべき領有権の問題は、存在していないことなどを取り上げること」
としています。

 これまでは、領土問題について、北方領土のみの記述や、「解説」での記載にとどまっていましたが、さらに踏み込んだ内容となります。指導要領は20173月に改訂され、小学校では2020年から、中学校では2021年から、それぞれ全面実施予定とのことです。


叫びの像
 ここで、北方領土について考えてみます。問題は第二次大戦の戦後処理から始まっています。まさに古くて新しい問題です。




 昭和57年(1982)、国庫補助により国後島を望むことができる北海道別海町(べっかいちょう)の海岸に、北方展望塔が建設されました。その敷地内に、「叫びの像」が建立されており、「島を返せ」と叫び続ける老女とその孫らの姿が表現されていますこの像は、山形の実業家故鈴木傳六氏が北方領土返還要求運動のために寄贈したものです。





 この像がある野付半島から国後島までの距離は16km、それにちなみ、「四島」に見立てた四本の柱と、叫びの像との距離は16mとされています。





   詳しくは、北方四島ポータルサイト(http://4islands.jp/)をご覧ください。


北方領土問題の歴史

  • 1855年:日露和親条約により日本固有の領土と確定しました。
  • 1945年:太平洋戦争終結後、日本は連合国の降伏文書に調印し、南樺太・千島はソ連の占領地区となりました。
  • 1952年:サンフランシスコ講和条約発効により、日本は独立を回復しましたが、同条約にしたがって、南樺太・千島列島の領有権を放棄しました。この年、アメリカ合衆国上院は、
     「南樺太及びこれに近接する島々、千島列島、色丹島、歯舞群島及びその他の領土、権利、権益をソビエト連邦の利益のためにサンフランシスコ講和条約を曲解し、これらの権利、権限及び権益をソビエト連邦に引き渡すことをこの条約は含んでいない」
    とする決議を行いました。
  • 1956年:日ソ共同宣言によって、国交が回復しました。このとき、日ソ間では歯舞群島・色丹島の「譲渡」で合意しようとする機運が生まれましたが、日本側が択捉島・国後島を含む返還を主張したため交渉は頓挫してしまいました。


そして今

  • 現在、北方領土に関係している日本人やロシア人居住者に対して、ビザなし渡航が一部認められています。
  • 千島列島の呼称について、日本政府は、サンフランシスコ平和条約にいう千島列島のなかにも国後、択捉の両島は含まれないとしています。
  • 日本政府は「日本はロシアより早くから北方領土の統治を行っており、ロシアが得撫島(うるっぷとう)より南を支配したことは、太平洋戦争以前は一度もない」としています。


今後どうするのか
 現在、ロシアのプーチン大統領は領土問題より経済協力に主眼を置いており、日本とロシアの立場には大きな隔たりがあることがはっきりしてきました。
 そんな中で、日露平和条約締結の一歩として北方四島における「共同経済活動」の実現に向けた交渉を進めることで両首脳が合意したことはそれなりに意義のあることです。二つの国の主張がぶつかり合った場合、共存する方法として、過去の経緯にとらわれず、それまで平行線をたどっていたことはいったん「棚上げ」にするという現実的対処です。

 旧島民の自由な往来の確保や、自由なビジネス活動ができるようにするなど、領土の前に「人」を中心とした仕組み作りを目指すという次善の策を選ぶというものです。

 ここで日本やロシアから海外に目を向けてみますと、20171月アメリカ大統領に就任したトランプ氏は、メキシコとの国境に壁を作り、その費用はメキシコに支払わせると強弁していますが、メキシコのペニャニエト大統領はそれを拒否し、両国の関係は危機的な状況に陥ったと見られていました。
 ところが、127日に行われた電話による首脳会談で急転直下今後も対話を続けることに合意したと報じられたのです。火種となっている国境の壁は事実上いったん「棚上げ」にし、その他の共通課題である武器・麻薬問題などの交渉に着手し、活路を見出そうという現実的な対応をしようとしているのです。

 二国間の主権に触れずに特別な国際法を作り出そうという試みは、紛争の渦中にいる個々の当事者には耐えがたいことかも知れませんが、長年頓挫していた交渉を何らかの形で進展させるためには意味があると思います。


大前研一氏の提言
 お互いに正論をぶつけ合って正面突破を図るだけでは問題は解決しません。そこで、「地政学的アプローチ」と「歴史的アプローチ」がカギとなると指摘する、大前研一氏の以下のような提言に耳を傾けるのもよいのではないでしょうか。

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 安倍晋三首相はロシアのプーチン大統領と北方領土問題について対話を進めているが「四島一括返還」にこだわる限り、解決は不可能だ。しかし、地政学と歴史的経緯を考えれば解決できる。もともと北方領土問題は、第2次世界大戦後のアメリカとソ連のヘゲモニー争いから生まれた。
 日本の頭越しに行われたトルーマンとスターリンの駆け引きの中で、北海道の分割を主張したスターリンに対し、それを避けたかったトルーマンが、妥協案として歯舞、色丹、択捉、国後の北方四島を勝手にソ連に与えたのである。

 日本政府は、北方四島は敗戦が決定的となった日本にソ連が日ソ中立条約を一方的に破棄して侵攻・占領したものであり、本来は日本の領土だから返せと主張している。だが、現実には戦後70年間にわたってソ連、ロシアが北方四島を実効支配している。
 世界中どこを見ても、領土に関する争いは、実効支配しているほうが強い。したがって、いくら日本が「北方領土は日本固有の領土」「ロシアは不法占拠」「四島一括返還」と叫んでも、それで返還されるほど甘くないのだ。

 安倍首相が北方領土問題を解決したいなら、極東だけでなく、ロシア全体を地政学的・歴史的に見なければならない。そうすると、ロシアには失った領土に関していくつかトラウマがあることがわかる。
 その一つがバルト3国である。エストニア、ラトビア、リトアニアはいずれもソ連から独立してEUに加盟したが、まだ3か国には大勢のロシア人が残っており、この人たちはパスポートが取得できなかったり、よい職に就けなかったりして民族的に虐げられている。
 こうしたロシアが西側の縁で抱えているトラウマを理解すれば、北方領土問題解決の糸口が見えてくる。
 プーチン大統領は、日本に北方領土を返したら、そこに住んでいるロシア人がバルト3国のように虐げられるのではないかと恐れている。それなら日本は、同様の悲哀を起こさない方法を提案すればよいのである。

 たとえば、すでに北方領土に住み着いているロシア人に対して3つの選択肢を与えるのだ。それは、
1)ロシアに帰りたい人には移住費用を日本が負担する
2)ロシア国籍のまま住み続けたい人にはそれを認める
3)日本国籍に変更したい人にはそれを認める
というものである。
 そういう提案をすれば、プーチン大統領は北方領土返還に前向きになるのではないか。

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