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詩人、そして皮膚科学者




加 藤 良 一

2017年7月27日





 もう15年ほど前のこと、ある医学雑誌をパラパラとめくっていたとき、結核菌検査などの話しにまじって突然「詩人」という文字が目に飛び込んできました。おや、医学雑誌に詩人とは何だろう、と、もう一度ページを戻ってみると、そこには「詩人・木下
杢太郎(もくたろう)と皮膚科学者・太田正雄」と書かれていました。

 男声合唱組曲「木下杢太郎の詩から」は、作曲家の多田武彦氏が木下杢太郎の詩に曲をつけたもので、男声合唱をやる者にとっては馴染み深い曲である。その木下杢太郎がもとは医者であったとは、ちょっとした驚きでした。

 杢太郎(18851945)は、静岡県伊東の素封家「米惣」の末っ子として明治1881日に誕生しました。若いときから文学熱が旺盛で、東京帝大医学部在学中より「明星」に参加し、鉄幹、晶子、白秋、啄木らの詩人と親交を深めたといいます。杢太郎の詩集「食後の唄」の序文に白秋が「比類稀な詩境の発見者」と書いているそうですし、森鴎外や夏目漱石にも絶賛されたといいます。

 臨床検査という側面から皮膚科をみると、ほかの臨床科とは若干趣が異なっています。いまでこそ大きな病院の検査室では皮膚科関係の検査も採り入れるところが出てきましたが、ひと昔まえはあまり行われていませんでした。その理由は、皮膚科検体からの真菌の培養による検出、同定(菌種を特定すること)自体がかなり専門的で、一般の検査室では対応不可能だったからです。
 真菌とは、一般にいう酵母とかカビのことで、その発育は遅く培養するには細菌に較べて時間がかかることと、さらに真菌によく効く薬がすくないことなどから、長いあいだ一般の検査室には定着しませんでした。よく効く薬がなければ検査をして原因菌がわかったところでよい治療にはつながらないからです。
 いきおい、皮膚科の医師は、診察室の近くに培養設備を備え、自らシャーレに検体を塗って培養試験をしなければならなりませんでした。そんなことから、皮膚科の医師はすなわち真菌の専門家が多かったということでしょうか。杢太郎も皮膚糸状菌などの専門家でした。

 病原菌を培養するということは、すなわち菌を増殖させ目に見えるようにしたり、各種検査にかけられるような菌量を得るためです。しかし今では、真菌に限らず発育が遅くて通常の検査では困難な病原菌も、増殖を待たずに微量でも検出できるような方法が確立されてきました。たとえば、菌に特有のDNAを直接短時間で検出できるようになっています。

 さて、ここでいいたかったことは、真菌検査の特殊性も去ることながら、近ごろは昔にくらべて、木下杢太郎のような畑ちがいの世界からいろいろなことをやる人物が出てこなくなっているような気がする、ということでした…。





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