天童焼 若松窯






加 藤 良 一 
2017年10月12日

 
 天童焼 若松窯は、全国一の将棋の駒生産地である山形県天童市の東側、小高い鈴立山の麓にあります。鈴立山には最上三十三観音第一番札所である若松寺若松観音)があり、縁結びの観音様としても知られています。東の若松、西の出雲といわれ多くの参拝者が訪れるお寺です。花笠音頭で「めでためでたの若松様よ」と唄われている若松様とは、まさにこのお寺のことです。若松寺は、和銅元年(708)の創建、観音堂、金銅聖観音像懸仏、板絵著色神馬図は、国指定重要文化財になっています。

 天童は、山形県のほぼ中央に位置し、東西に長い菱形をしています。山形空港まで車で10分という、交通の便に恵まれた位置にあります。
 天童の名の由来は、市内の小高い舞鶴山(まいづるやま)の山頂で、行基(ぎょうき)という僧侶が一心に念仏を唱えていたところ、
から二人の子が舞い降り、「われは、自在天(仏)の使者にして、貴僧はこの山頂の大士(菩薩)なり、よろしく一宇(お堂)を建立し、一切衆生を念仏すべし」と唱えたという言い伝えに基づいています。

 毎年春に行われる人間将棋は、昭和31年から開かれている一大イベントです。二千本の桜が咲き乱れる舞鶴山を舞台に、甲冑や着物姿の武者や腰元に扮した人たちが将棋の駒となって対局します。
 また、海外も含めて数々の金賞を受賞している銘酒出羽桜の美術館も市内にあります。朝鮮最後の王朝、李朝の工芸品や酒器など数千点を所蔵しているといいます。なんと、出羽桜酒造さんはやや遠いですが家内の親戚筋にあたります。

 若松窯は、親戚の寒河江潤一さん、ちづさんご夫妻が営んでいます。西の方角には月山などの山並みが遠く望めます。最近になって周りに民家が増えてきましたが、窯を構えるには自然も残されたよい場所です。


 寒河江さんは若い頃、愛知県の瀬戸で焼物を習いはじめ、のちに栃木県の益子焼でも修行を積みました。そんなことから、寒河江さんの作風は、益子焼の伝統的技法に現代感覚を加えた、手触りがよく温かみのある陶器作りです。体験陶芸教室も随時開いていますので、興味をお持ちの方はぜひ一度寄ってみてください。一番人気はやはりロクロを回すコースで、手びねりコースもあり、大人から子どもまで楽しく陶芸に親しめます。

天童焼 若松窯・ホームページ


 天童焼は、将棋の駒やこけしなどを作る工房から出る、ツゲ、ケヤキ、イタヤなどの木灰を釉薬に用い、高温で焼成することで、白釉が粘土に含まれる微量の金属酸化物と反応してガラス質の淡いブルーの被膜になるのが特長です。落ち着いた色合いが心を和ませてくれます。
 焼物には、土器、b器(せっき:ストーンウェア)、陶器、磁器などがあります。詳しいことは知りませんが、中国では焼成温度が千度以下の焼物を陶器、それ以上のものを磁器と呼び、また、釉薬のかかった焼物はすべて磁器と呼ぶそうです。いっぽうで、ヨーロッパでは、青磁は陶器、ウエッジウッドのジャスパーウェアはb器と呼ぶようです。焼き物の歴史は長いだけに、洋の東西で大きく異なっています。


 
天童秋まつりの初日、10月8日、孫の手形足形を焼物にしようと家族で若松窯を訪れました。孫はまだ生後6か月ですので、手形も足形も10センチ足らずと可愛らしいものです。冷たい粘土にギュッと押し付けたものですから、驚いて泣いてしまいました。
 乾燥後、焼き上げると寸法が一割以上縮んでしまうというので、名前とともにサイズも書き加えておきました。


 今どきは生後6か月をハーフバースデイと呼ぶようです。初耳でしたが、楽しい記念の焼き物ができました。


 下の写真の器は湯呑みよりやや大きめのもので、焼酎のお湯割りなどに使って楽しんでいます。



 直径約30センチメートルの大皿↓は、家内の弟の結婚式の引き出物でした。どんなものを盛り付けても映える便利な皿です。


 

なんやかやTopへ       Home Pageへ

E-113