E-120
 
シベリア抑留を肌に感じる
 


渡 辺 盛 夫
2019年2月8日





 2018年夏、ロシアでの旧日本兵の遺骨収集に参加した。予てからの希望が5年振りに実現した。

 計画では、厚生省主体で日本側11名、ロシア側から通訳、鑑定士を含め3名に現地作業員10名が加わり、日露連合チームでの作業となった。ロシア極東の地、ハバロスクまでは成田からは3時間もあれば着いた。帰省するロシア人家族や夏休みホームステイする子供たちで、機内は満席だった。

   

 現地作業のため、個人荷物の他、梱包品が8個、全員で搬送し、ハバロスクのホテルに一次保管し、同日9時発夜行列車への積み込みを終えた。

   

 夕方から降った雨で街は冠水し、駅構内は雨水が流れ込み、出発は2時間遅れた。

 朝、目が覚めると、見える景色は森ばかり、シベリア原生林の奥深さは計り知れない。最終到着地コスモモリスク駅に着いた。極東の地、ウラジオストック、ハバロスクに並ぶ大都市。

 コスモモリスクからバスに乗り換え、ゴーリン村へ向かった。そこはインフラ整備が悪く、凸凹の悪路を走る。仕事の緊張感からか、睡魔に襲われることはなかった。バスに揺られること5時間、ゴーリン村に着く。宿泊は、病院だった。

   

 病院内はひっそりしており、病室は5~6室あったが、患者らしい人はいなかった。ベッドは我々4名で3室を占有することとなった。寝床が決まると、近くの製材店の食堂に向かった。翌日から、現場の発掘作業が始まると、毎日この食堂を利用するようにる。典型的なロシア家庭料理が毎日食べられるのは光栄なことだ。メニューも少しずつ変えているようだ。

 昼食の弁当は、生のトマト、キュウリ、ピロシキ、甘いものと決まっていた。朝8時に食堂に行って、9時には発掘現場に到着。毎朝、団長から指示があり、ロシア人通訳を介して、現場作業員へ指示が行きわたる。

   

 作業現場は、以前は収容所跡地だった野原を伐採したもので、前年と同様な場所である。


               

 所々、杭が打たれ、赤い布が巻き付いているのでそのご遺体発見場所が一目で分かる。一息入れると、ショベルカーのエンジンが掛かり、指示された箇所の地面を削っていく。ご遺体の位置は地表から約1メートル目途に掘り進められ、団長が厳しい目で、ご遺体を傷つけてないか、見失っていないか、地層の断面にチェックを入れていく。


 暫くして、団長から「待て」のサイン。遺骨の一部が露呈していた。遺骨は土に同化して茶色に変色していた。周りの土を熊手やシャベルで取り除くと、その人の骨格の全容が見えてきた。

               

 ここに来る前に、シベリアの歴史、人体の骨格など勉強してきたので、大まかなことは知っていた。でも、いざ対峙してみると、70年の歳月で風化しており、何か軽いものを感じていた。このシベリアの極寒の地、戦闘で死んだのでなく、過酷な強制労働のすえ病死、衰弱死で亡くなった遺体である。死後裸にされ埋葬された。

 失われた骨は少なく、発掘を進める者も、遺骨が一塊になって発見されるので、鑑定の段階で大腿骨の骨と歯を持ち帰ることで、DNA鑑定は可能であった。ご遺族の身元確認は可能である。発掘されたご遺体はほぼ等間隔に埋められていた。裸の状態で埋葬されたので、遺留品はなかった。大きな骨は見失うことはなかったが、手の指、足の指、間接の小さな種子骨は、土の中に埋没されるとまずもって見つけにくい。

 スタッフはどんな小さな骨でも、山積みになった土砂をシャベルで救い上げ、ふるいに掛けた。よく間違えるのは小石と骨だ。手に取って、触ってみて識別した。集められた骨は大きな骨を除き、木片のように軽いものが多い。一個、一個、念をいれ、刷毛で付着していた土を落す。草木の根が遺骨に絡みつていた。私が初めて見た仙骨は、仙骨孔に根が絡みやすい。

 空洞のある頭蓋骨は特に念入りに刷毛で土を落とした。鑑定士の先生が、発掘された人骨の様子を見に来た。特異的だったのが歯型だった。きれいに治療され、金冠をかぶせた金歯数本、おそらく日本で治療した後出兵したのだろう。このシベリアの地での治療は考えられない。大きな虫歯の兵士が多かった。毎日、黒パンにスープ、粥などの食事で重労働、歯を磨くことも日常生活にはなかった。

               

 さらにこの虫歯が、推定する兵士の年齢を大幅に狂わしていた。鑑定士が皆を集め、白い布台の上に発掘されたご遺骨が集められると、その兵士の骨格が浮き彫りなった。横たわっている兵士の頭蓋骨、歯などから年齢が推定できる。

 ある時、鑑定士の先生の「何歳ぐらいに見える」との問いに各々「30後」、「25歳から30歳くらい」と言ってみたが確証はない。歯はしっかりしているので、若いだろうという感は働く。先生が「虫歯の歯に騙されてはダメだ」と切り出した。ここの兵士は若くても、皆虫歯にかかっている。虫歯は致命的な病気ではないが、かなり痛み苦しんだのではないかと先生は言われた。鎖骨の成長具合から15から17歳の年齢と推定したらしい。

    

 終戦間近、日本の敗戦が決定的になっても、戦力としては及ばない少年を戦地へ送り、犬死させた責任はどこへ。
 そんなことを考え、収容したご遺体は73年振りに日本へ帰還。今、千鳥ヶ淵墓苑に静かに眠る。


 
 


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