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世にも恐ろしいお話し



 



加 藤 良 一


2002年8月15日


 



 とっくに立秋を過ぎましたが、いまだに毎日熱帯夜がつづいております。今年の夏の暑さはひとしおでございます。

 そこで、今宵は、背筋も凍るような世にも恐ろしいお話しで、寝苦しい夜をひととき涼んでいただくのがなによりかもしれませぬ。さて、このお話しは、あまりの恐ろしさゆえこれまで口外するのをためらっておりましたものの、もうこれ以上黙っていることもかなわぬこと、ぜひお聞きいただきたいと存じます。

 じつはほかでもございません、今宵のお話しは、学校の先生にまつわるものでございます。学校の先生つまり教師はあなた様の身の回りにも大勢いるはずでございます。本来であれば、新学期が始まる前がお話しする絶好の時期だったでございましょうが、それではあまりに生々しすぎ、さすがにためらわざるを得ませんでした。

 いまや教師も聖職者などと言われなくなって久しいと申します。そうは言いますものの、ふつうの庶民と同列に扱ってよいなどとは誰も思いはしませんし、ほかの職業とは自ずと異なっていると考えているのでございます。もちろん教師稼業を商いなどとは口が裂けても申しません。世の中からそのように見られます教師とは、聖職者とただの人とのあいだで揺れる、なかなか酬われない職業の一つなのでございます。

 では、単刀直入にお話しを申し上げましょう。町なかでは、そんな教師の悲哀を如実にあらわす風景が、新学年が始まる四月の始業式で展開されるとの噂で持ちきりでございます。
 始業式を覗いて見ますれば、型どおりに式次第が進み、いよいよ生徒たちは、期待と不安の入り交じるなか、校長先生から学級担任と教科担任が発表されるのを待ち受けているのでございます。生徒にとってはこれから一年間お仕えしなくてはならぬ担任が誰になるか、これは予想以上に重大なことがらなのでございます。

 「1年A組、○□先生。1年B組、△×先生」担任の名前が校長先生から発表されるや「ヤッター!」派と「エーッ?!」派に大きく分かれるのでございます。もちろんその中間の「フーン!」派もおります。それぞれの意味はとくにご説明の必要もなかろうかと存じますので、ここでは割愛いたしますゆえ、ご自分なりに推量なさって下さいませ。

 これらの反応は、生徒による教師の評価でもありますが、できれば教師の勤務評定にもつなげるべきものかと存じます。また、お隣りの教師がふだんどのような授業をやっているかも知らぬ教師同士が、相手を知るよい機会でもあるのでございます。この年中行事が、教師にとってまさに緊張の一瞬であることはまちがいございません。ヤッター派の支持を受けた教師は、ことさら何でもないようなそ知らぬ顔をしていればよいのでございますが、エーッ派の先生のリアクションにはなかなかむずかしいものがありましょう。生徒のまえで怒りを露にしたのでは、お家断絶などのお咎(とが)めを受けねばなりませぬ。かといって知らんぷりするのも大人気ないことでございましょうから、そこで、なんとか作り笑いなどでその場を切り抜け、一刻も早く始業式が終わることを祈る以外には方法がございません。まこと同情を禁じえない情景でございます。

 しかしながら、私ども庶民にとりまして、ほんとうの驚きは、エーッ派の先生の評価が毎年さして変らないということでございます。生徒の評価を天啓と受けとめ、それをより所にしてプラスに転じることができない教師は、いつまでもエーッ派から脱出できないのでございます。

 始業式におけるかような消極的評価ではなく、もっと厳正なる評価があってもよいのではなかろうかと存知ますのは、過酷なことでございましょうか。かような厳しいお裁きは、町なかの庶民にとってはまったく当たり前しごくのことなのでございます。

 

2001年の読売新聞の記事を題材に創作しました。)


 



 

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