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     す れ ち が う 会 話



 加 藤 良 一


2006年2月17日
 


A 「音楽はお好きですか?」
B 「いやぁ、わたしにはよくわかりませんな。」
A 「…そうですか。…じゃぁ、お寿司はお好きですか?」
B 「エー、そりゃもう大好きですよ。トロだったら何人前でも平らげますよ。」
A 「おやおやそうですか。ところで、さっきの話ですが音楽はお好きですか?」
B 「?! はぁ、よくわかりま……アレッ。」


 「寿司は好きか?」と問われて「よくわかりません」とは答えないはずである。ここでいう音楽とは、いわゆる西洋音楽のことを指しているわけだが、好きかとの問いかけに対する答えが頓珍漢なためにすれちがっていることを示してみたものである(これは作曲家矢代秋雄氏による皮肉をもじったものである)。この会話からもわかるように日本人は西洋音楽を「理解」するものと思っているふしがある。

 山田耕筰が「音楽はわかるものでなく、味ふものであります」とわざわざ言わねばならないほど、日本人は音楽を「理解」しなければならないものと思い込んでいた。いや、過去形ではなく、文明開化の時代からは相当離れた現代でもそのように思い込んでいる人はすくなくない。

 なぜこうなってしまったのか。これはどうやら、はじめて日本に西洋音楽が入ってきたときまで遡る必要がありそうだ。つまり怒涛のように西洋文化が流入しはじめたとき、主にドイツもの、ベートーヴェンの〈運命〉や〈田園〉あるいは〈皇帝〉といった標題音楽が中心だったため、音楽は絵画的文学的に聴くものと刷り込まれてしまったのではないかという説がある。そこで、本来は好きか嫌いかで楽しむべき音楽が、教養主義などと結びつき「芸術」として「理解」したり「解釈」するという、やたら堅苦しいものに祀り上げられてしまったのである。

 日本人が音楽を楽しむのではなく「理解」するようになってしまった原因は、ひとり西洋音楽導入時の誤り──ましてやベートーヴェンにあるとはかぎらず、そもそも古くからの日本の音楽文化に固有のものとの見方もある。日本の伝統的な音楽、たとえば歌舞伎や能などは「文学」と不可分の関係にあり、そこで奏でられる音楽はほとんどが旋律よりも歌詞を重視しているのではないか。日本人にとって音楽とは、そのような歌詞=文学の形で伝承されてきた。これは紛れもなく音楽を「理解」する構図である。もっと素直に肩肘張らずに「感じ」ればよいものを、つい「理解」しようとしてしまうから辛くなってしまう。「理解」しようとすれば、その結果は目に見えている。西洋音楽はそんなものではないはずである。日本人が思う以上に気楽なものなのである。

 さて、音楽にかぎらず、能楽の世界でも同じようなことがいわれている。試しに先ほどの会話の「音楽」を「能」に置き換えて読んでみてほしい。どうだろうか。「能」の世界でも似たり寄ったりの答えが出てきそうな気配はじゅうぶんにある。それは「能」も頭で理解しようとする風潮がたぶんにあるからだ。現に私自身もそうであるが、ひとつ言い訳をするなら、歌舞劇である「能」は、何も知らずただ受身で観ていても楽しめるものではないと言いたい。やはり詞章(ことば)を理解し、スジを追わねばならない。この点がただ単に音楽を聴くのとは大いに異なるところである。「能」は音楽というよりむしろ「オペラ」に近いから、何の受容れ態勢もなしに聴くのはむずかしいのではなかろうか。

 好き嫌いに理由はあってもよいし、なくてもよい。嫌いとまでいかなくとも、もし気に入らなくて退屈したら、そのときは舟を漕げばよいのである。

 



 

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