物理学校裏
北原白秋
Borum. Bromun. Calcium.
Chromium. Manganum. Kalium. Phosphor.
Barium. Iodium. Hydorogenium.
Sulphur. Chlorum. Strontium. ……
(寂しい声がきこえる、そして不可思議な……)
日が暮れた、淡い銀と紫──
蒸し暑い六月の空に
暮れのこる棕櫚の花の悩ましさ。
黄色い、新しい花穂の聚団が
暗い裂けた葉の陰影から噎せる如に光る。
さうして深い吐息と腋臭とを放つ
歯痛の色の黄、沃土ホルムの黄、粉つぽい亢奮の黄。
C2H2O2N2
+ NaOH = CH4 + Na2CO3
……
蒼白い白熱瓦斯の情調が曇硝子を透して流れる。
角窓のそのひとつの内部に
光のない青いメタンの焔が燃えてるらしい。
肺病院の如な東京物理学校の淡い青灰色の壁に
いつしかあるかなきかの月光がしたるる。
Tin …… tin …… tin.n.n.n ……tin. ……
tire …… tire …… tin.n.n.n …… syn ……
t …… t …… t …… t …… tote …… tsn.n. …… syn.n.n.n.n ……
静かな悩ましい晩、
何処かにお稽古の琴の音がきこえて、
崖下の小さい平家の亜鉛屋根に
コルタアが青く光り、
柔らかい草いきれの底に Lamp の黄色い赤みが点る。
その上の、見よ、すこしばかりの空地には
湿った胡瓜と茄子の鄙びた新らしい臭いが
惶ただしい市街生活の哀愁に縺れる……
汽笛が鳴る……四谷を出た汽車のCadence が近づく……
暮れ悩む官能の棕櫚
そのわかわかしい花穂の臭が暗みながら噎ぶ、
歯痛の色の黄、沃土ホルムの黄、粉つぽい亢奮の黄。
寂しい冷たい教師の声がきこえる、そして不可思議な……
そこここの明るい角窓のなかから。
Sin ……, Cosin ……, Tan ……, Cotan ……, Sec ……, Cosec ……,
etc ……
Ion. Dynamo. Roentgen. Boyle. Newton.
Lens. Siphon. Spectrum. Tesla の火花
摂氏、華氏、光、Bunsen.
Potential. or, Archimedes. etc, etc ……
棕櫚のかげには野菜の露にこほろぎが鳴き、
無意味な琴の音の稚なびた Sentiment は
何時までも何時までもせうことなしに続いてゆく。
汽笛が鳴る……濠端の淡い銀と紫との空に
停車つた汽車が蒼みがかつた白い湯気を吐いてゐる。
静かな三分間。
悩ましい棕櫚の花の官能に、今、
蒸し暑い魔睡がもつれ、
暗い裂けた葉の縁から銀の憂鬱がしたたる。
その陰影の捕捉へがたき Passion の色、
歯痛の色の黄、沃土ホルムの黄、粉つぽい亢奮の黄。
Neon. Flourum. Magnesium.
Natrium. Silicium. Oxygenium.
Nitrogenium. Cadimium or, Stibium
etc, etc. ……