E-64


  神 楽 坂 界 隈



 加  藤 良 一      

(2007年3月10日)        

 





北原白秋の詩集『東京景物詩 及其他』のなかの「S組合の白痴」に収められた詩に東京物理学校の様子を書いたちょっと変わったものがある。

 『東京景物詩 及其他』は、1910(明治43)年、白秋25歳のときに同じく詩集『思ひ出』や歌集『桐の花』など主要な作品とともに出版されている。その年の9月、白秋は、東京府下千駄ヶ谷町(現在の渋谷区神宮前)に転居しており、東京物理学校のあった神楽坂までさほど遠くはない。神楽坂は、総武線飯田橋駅のお堀端から北の方角へ上る四百メートルほどの坂で、左右に細い路地が幾筋もあるこじんまりした町並みの真ん中を通り抜けている。坂の途中から路地裏へ入ると、そこにはその昔花柳界として栄えた名残が料亭や民家の佇まいにいまでも見られる、東京のなかでも残り少なくなった静かな界隈である。坂にかかってすぐ左手の路地を曲がったところに物理学校はあった。

 小粋な花街と物理学校、どう見ても不似合いな風物である。物理学校は夏目漱石の「坊ちゃん」にも出てくるのでよく知られていると思うが、現在の東京理科大学である。文明開化間もない明治初頭、近代科学の興隆を夢見る青年理学士らが結集して始めたのが物理学校であった。

 開学当初、授業で用いる実験器具はかなり貴重なもので、まだ東京大学だけにしかなかった。そこで、東大から授業のたびに必要な器具を借り出し、本郷から神楽坂まで天秤棒で担いで運び、翌日の朝までにきちんと返したという。青年理学士らの学問に対する情熱や気迫が偲ばれるが、北原白秋も、神楽坂の花柳界へ遊びに寄ったついでかどうか知らないが、どうやら物理学校のなかで行われる不可思議で異様な授業の雰囲気に触発されたらしい。そこで、生まれた詩が「物理学校裏」である。花街と物理学校の取り合せの妙とでもいおうか、三味の音と理化学用語が絶妙に響き合うことば遊び。

 

 

物理学校裏

北原白秋

Borum. Bromun. Calcium.

Chromium. Manganum. Kalium. Phosphor.

Barium. Iodium. Hydorogenium.

Sulphur. Chlorum. Strontium. ……

(寂しい声がきこえる、そして不可思議な……)

 

日が暮れた、(うす)い銀と紫──

蒸し暑い六月の空に

暮れのこる棕櫚の花の悩ましさ。

黄色い、新しい花穂(ふさ)聚団(あつまり)

暗い裂けた葉の陰影(かげ)から()せる(よう)に光る。

さうして深い吐息と腋臭(わきが)とを放つ

歯痛(しつう)の色の(きな)、沃土ホルムの黄、粉つぽい亢奮の黄。

 

C2H2O2N2 + NaOH = CH4 + Na2CO3 ……

蒼白い白熱瓦斯の情調(ムウド)が曇硝子を透して流れる。

角窓のそのひとつの内部(インテリオル)

光のない青いメタンの焔が燃えてるらしい。

肺病院の(よう)な東京物理学校の(うす)青灰色(せいくわいしよく)の壁に

いつしかあるかなきかの月光がしたるる。

 

Tin …… tin …… tin.n.n.n ……tin. ……

    tire …… tire …… tin.n.n.n …… syn ……

t …… t …… t …… t …… tote …… tsn.n. …… syn.n.n.n.n ……

静かな悩ましい晩、

何処かにお稽古の琴の音がきこえて、

崖下の小さい平家(ひらや)の亜鉛屋根に

コルタアが青く光り、

柔らかい草いきれの底に Lamp の黄色い赤みが点る。

その上の、見よ、すこしばかりの空地には

湿った胡瓜と茄子の鄙びた新らしい臭いが

(あわ)ただしい市街生活の哀愁に(もつ)れる……

 

汽笛が鳴る……四谷を出た汽車のCadence (カダンス)が近づく……

暮れ悩む官能の棕櫚

そのわかわかしい花穂(ふさ)の臭が暗みながら(むせ)ぶ、

歯痛(しつう)の色の(きな)、沃土ホルムの黄、粉つぽい亢奮の黄。

 

寂しい冷たい教師の声がきこえる、そして不可思議な……

そこここの明るい角窓のなかから。

Sin ……, Cosin ……, Tan  ……, Cotan ……, Sec ……, Cosec ……, etc ……

Ion. Dynamo. Roentgen. Boyle. Newton.

Lens. Siphon. Spectrum. Tesla の火花

摂氏、華氏、光、Bunsen. Potential. or, Archimedes. etc, etc ……

棕櫚のかげには野菜の露にこほろぎが鳴き、

無意味な琴の音の(をさ)なびた Sentiment

何時までも何時までもせうことなしに続いてゆく。

汽笛が鳴る……濠端(ほりばた)(うす)い銀と紫との空に

停車(とま)つた汽車が蒼みがかつた白い湯気を吐いてゐる。

静かな三分間。

 

悩ましい棕櫚の花の官能に、今、

蒸し暑い魔睡がもつれ、

暗い裂けた葉の(ふち)から銀の憂鬱(メランコリイ)がしたたる。

その陰影(かげ)捕捉(とら)へがたき Passion の色、

歯痛(しつう)の色の(きな)、沃土ホルムの黄、粉つぽい亢奮の黄。

 

Neon. Flourum. Magnesium.

Natrium. Silicium. Oxygenium.

Nitrogenium. Cadimium or, Stibium 

           etc, etc. ……

 

 

作曲家の多田武彦先生も北原白秋の詩をよく合唱曲に使っている。以前、多田先生から、詩に作曲するとはどのようなことなのかお聞きしたことがあった。そのとき先生は、歌曲にしやすい詩とそうでない詩がある、いい詩に出会ったときは、自然とそこから音楽が聞こえてくる、そんな詩に出会いたいと、たくさんの詩を読んできたと仰っていた。

 そんな視点から「物理学校裏」を眺めてみよう。「Borum. Bromun. Calcium.」(ボルム。ブロムン。カルシウム)で始まる出だしはなかなかリズム感があるし、続く「日が暮れた、(うす)い銀と紫──/蒸し暑い六月の空に暮れのこる棕櫚の花の悩ましさ。」と初夏の夕暮れ時の情景が目に浮かぶ。しかし「さうして深い吐息と腋臭(わきが)とを放つ歯痛(しつう)の色の(きな)、沃土ホルムの黄、粉つぽい亢奮の黄。」ときては、ちょっと音楽的には馴染まない言葉が多過ぎる。そして「C2H2O2N2 + NaOH = CH4 + Na2CO3」に至っては、もうどうにも手に負えんわいというところだろうか。

 経済がご専門の多田先生が仮にこの詩を見たとしたなら、なにやらわけのわからない元素の名前や数学の記号がずらずらと並べられていて、とっつきが悪いにちがいない。この詩は、やはりことば遊びの部類であって、どんなに頑張っても音楽にはできそうもない。かくいう、私は、このわけのわからない亀の子や記号に魅せられてこの方面へ踏み入ってしまい、沃土ホルムの黄、粉つぽい亢奮の黄の中で、硫酸や塩酸で穴だらけになった白衣を羽織って、化学反応に眼を見張っていた数十年前を懐かしむ歳を迎えている。いまから思えば、もったいないことではあったが、当時、街の景色などまったく眼中になかった──といえば嘘になる、横目で睨みながら通り過ぎていた。

 ところで、神楽坂の路地裏は、近ごろ、ずいぶんと人気のスポットになってきたらしい。路地裏は静かで、時代に取り残されたような黒塀だの石畳がいまだに残されているからにちがいない。神楽坂芸者の出入りする料亭は、ひところ八十軒もあったが、いまではたったの九軒に減ってしまったという。そんな店の女将が、花街に大きな建物は似合わないとテレビで喋っていた。大きな建物。神楽坂では、それは理科大などのビルを指すに決まっている。しかし、その昔、学生は花街がある神楽坂の上までは登らないという不文律があったというし、昔の理科大は、街の景観を邪魔しないように低かったのである。

 



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