これが 「本」 だとは誰かに教えてもらわねば気がつかないかもしれない。それくらい薄くて本らしくない本である。電化製品のパンフレットか何かのほうがよほどぶ厚くできている。A4を半分にしたサイズ、やや厚めの表紙、それに中身が1枚、合わせて2枚の紙を半分に折って真ん中をホッチキスで留めてある。つまりA5サイズ、全8頁の本。ところが4頁分は表紙の裏表だから中身はたったの4頁にしかならない。これで値段は500円。
じつはこの極薄本、「歴程」 というれっきとした詩の同人誌である。いつもこんなに薄いわけではないがそれでもほとんどホッチキス留めで間に合うていどのページ数しかない。いずれにしても普通の本のイメージからはほど遠い薄さであることに変わりはない。なぜこのような薄い本になってしまったのか、答えは明白、掲載すべき原稿がないからである。このようなさみしい詩集を見るにつけ詩人たちの置かれた厳しい現状にすくなからず心が痛む。
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話しは変わって、20年近く前のことだったと記憶しているが日本結核病学会の月刊誌 「結核」 が継続の危機に瀕したことがあった。
その当時、結核菌検査法の開発に携わっていた関係で日本結核病学会に加盟し 「結核」 を毎号読んでいた。保健衛生の向上に伴って日本の結核患者が目に見えて減っていった時期であった。そのような流れを反映するかのように結核に関する論文の投稿も激減していった。
このままでは立ち行かないと危惧した学会誌発行者は毎回のように編集後記などで学会員に向けて投稿のお願いを繰り返していた。結核が撲滅されるのは喜ばしいことではあるがいっぽうで学会としては存続の危機に瀕するといういわくいい難い状況になっていた。
現在結核はまたぶり返しているのであるいはそんな心配はなくなっているかもしれないがそれにしても他の疾病に押されて結核研究者の減少は進んでいるのではないだろうか。この一件は、詩歌の世界とまったく関係ないものの出版という側面から両者の置かれた位置を見たときよく似た状況のような気がしてならない。もちろん詩歌は結核とはちがいそう簡単に撲滅されては困るのである。
話を 「歴程」 に戻そう。ここで重要なことは 「歴程」 は同人誌であって同人の投稿だけで構成されていることである。その点 「ユリイカ」 や 「詩と思想」 あるいは 「現代詩手帖」 などの総合詩誌とは基本的にその成り立ちを異にしている。つまり結核病研究者で構成している 「結核」 のようなものなのである。
仮に総合誌であったならば詩作品だけでなく場合によっては詩と直接関係ないテーマでも何でも掲載してそれなりのページ数を確保した 「本」 の体裁を整えることができるのである。
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「歴程」 は昭和10年5月1日、詩人の草野心平が中原中也らと創刊した詩誌である。
「歴程 第一号」 には菱山修三、岡崎清一郎、高橋新吉、逸見猶吉、尾形亀之助、草野心平、中原中也、宮澤賢治、土方定一の名前がならんでいる。宮澤賢治は創刊前の昭和8年に世を去っているので物故同人の形をとっている。
歴程社では、詩誌刊行の趣旨をつぎのように示している。
同人詩誌 「歴程」 は、昭和十年に草野心平ら詩人八名によって創刊され、戦時期にいったん中断したものの、戦後いち早く復刊され、徐々に新同人を集めつつ、今日まで、原則として月刊の形で、すでに通巻500号を超えて、刊行され続けている。戦前および戦後の詩界において、本誌の果たした、そして現に果たしつつある役割はきわめて大きく、現在の同人は、東北から沖縄にかけて分布し、その数は約50名であり、全国に購読者、定期購読者を有している。
本誌の目的とするところは、何ものにもとらわれない自由で旺盛な詩精神の持ち主たちによる作品発表・意見交換の場として十全に機能することであって、現状は着実にそれを実現している。
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「歴程」 70周年を迎えた平成17年の特集号巻頭言で粟津則雄は 「創刊同人のこのような顔ぶれはまことに独特のものだ。この顔ぶれから、彼らに共通する文学的主張を抽き出すことは出来ないだろう。」
と述べているが、まさにその感が強い。
粟津則雄の話をもうすこし引用しよう。「歴程」 はそれに先立つ 「詩と詩論」(昭和3年創刊)のように 「新詩精神にもとづく、芸術至上主義グループではなかった」 し 「四季」(昭和8年創刊)のように 「純粋な抒情精神の確立を目指すものでもなかった」 さらには 「コギト」(昭和7年創刊)や 「日本浪漫派」(昭和10年創刊)のように 「新たなロマンチシズムを生み出そうとするものでもない」 という。ではどうしてこのような 「それぞれ一筋縄ではゆかぬ強力な個性が、互いに鋭く刺激しあいながら、濃密な磁力圏とでも言うべき」 特異な同人が形成されたのであろうか。粟津則雄は創刊同人の個性をつぎのように一言で表現している。
- 岡崎清一郎 土着的な感性に根ざしながら、けんらんたる色彩にあふれた壮大な幻想世界を展開する
- 尾形亀之助 おそろしく孤立した視点から、人間と生の深部を透視する
- 高橋新吉 ダダイスムと仏教思想とを独特のかたちで溶かし合わせ、わが国におけるダダイスムの創始者となった
- 中原中也 高橋新吉のダダイスムの強い影響下に出発しながら、それをランボーやヴェルレーヌなどのフランス象徴詩と結びつけ、自在に屈折し飛躍するふしぎな浸透力のあることばによって、日常と日常をこえたものとが絡み合う孤独な心の動きを、ただひたすらうたい続けた
- 逸見猶吉 吉田一穂とランボーとの影響に全身的に身をさらしながら、激烈な観念性となまなましい欲情にあふれた詩世界を推し進めた
- 菱山修三 ヴァレリーの詩法を血肉化して、散文詩形による知的な抒情詩を書いた
- 草野心平 生の根源にじかに触れているようなきわめて直接的な生活感と、宇宙的なものへの透視とが生き生きと応え合う世界を現前させた
- 土方定一 野太い肉声が響く独特の抒情詩を書いた
- 宮澤賢治 躍動するような動きのなかに、人や動物や植物や、さまざまな風景を共存させ、独特の生命感と宗教性につらぬかれた世界を作りあげた
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