すいせんかだんしがしんだかんせいす


 加 藤 良 一   2016年11月11日

 





 落語立川流の家元・立川談志が死んで今月でちょうど5年目になります。命日は20111121日、満75歳でした。
 落語の世界では、○代目□□という呼び方をしますが、これはけして正確なものではないことがあり、談志の場合も「自称」五代目ですが、七代目ともいわれています。細かなことは分かりませんしどうでもいいから省きますが、要するに流派ごとの噺家を特定する固有名詞だと思ったらよいのではないでしょうか。





 談志は高座でいつも腕組みするくせがありました。客からするとずいぶん威張ってそうに見えてしまいます。そんなことはちゃんとわかっているけど、ものを考えるときにはこれがいいんだと一向にやめませんでしたね。それと、マクラを喋っているうちに、客を見回しながらいきなり詰まらなそうに「あ─、労働意欲がなくなっちゃった…」といまにも高座から降りてしまいそうになることもしばしばありました。客の反応が悪いと気分を害するんですね。客にもそれ相当のものを要求してやみませんでした。


 面白いのは、テレビ用に収録する舞台では幕があることがありますが、一席終わって幕が下りはじめてから、もう一度喋り出すなんてこともよくやりました。下がりはじめた幕は慌てて上がりますが、そこで話すことは小噺でもなく息抜きとか反省とか、あるいは世間ばなしみたいなものです。あるとき、「噺家」といういい方はイヤだ、落語を語るんだから「落語家」といって欲しいと言っていたのが印象に残っています。どれほどのちがいがあるのか知りませんが…(-.-)

 談志を落語界の異端児──というのが正しいかどうか議論が分かれるかもしれませんが、やっぱりふつうじゃないです。態度が傲慢にも映るし自信過剰じゃないかとも思いますが、古典落語をこよなく愛しその普及にカラダを張った芸人であることはまちがいありません。自ら家元を名乗り、独自の路線を突っ走ったことでも有名です。


 精神分析家の藤山直樹氏は、『落語の国の精神分析』(2012年、みすず書房)という本の最後に「立川談志という水仙」という項を設けて談志について語っています。藤山氏は医学の分野に身を置きながら、自ら高座に上るほど落語が好きで堪らないという方です。病膏肓に入った挙句、落語を精神分析の手法で料理してみたわけなのです。

 「落語は単に根多ではない。根多というものと落語家という存在、その二者の交錯が落語だ。もともと私は職人芸が好きだ。稽古や修練や訓練というものに興味がある。精神分析という極度に密度の濃い訓練を受けて到達する技芸を志して以来、落語家や鮨職人といった人たちのありように強く惹かれてきた。」


    水仙花 談志が死んだ 完成す


 これは、作者不詳の俳句とのことですが、正当な俳句からすると「談志が死んだ」ではなく、「談志は死んで」のほうが落ち着くが、これはとりあえず上から読んでも下から読んでも同じの回文になっているのでこのままでよいとされているらしいです。
 ところで、水仙の花言葉といえば「ナルシスト」というマイナスイメージが真っ先に浮かんできます。

ギリシア神話に登場する美少年ナルキッソスは、水面に写る美しい少年に恋をしてしまい、そこから離れることができなくなり、やがてやせ細って死んでしまった。ナルキッソスが死んだあとそこには水仙の花が咲いていた。


 しかし、いっぽうで、「気高さ」や「神秘」といった意味もあります。いずれにしてもどこかで「死」のイメージが付きまとっているといえないでしょうか。


 藤山氏は談志をなぜ水仙になぞらえるのか直接には説明していませんが、
 「談志は死の陰翳を帯びた稀有な落語家、おそらく唯一の落語家であった」
 と評するように、ガンを抱えながら高座の出来不出来をいつも気にかけ、
 「とくに不思議なのは、こころゆくまで落語を楽しんで、ああ今日はよかった、面白かったと思いながら、その体験がいつも切ないような苦しいような気持ちにつながることだった。それは濃厚に立ち籠める死の陰翳のしわざだったかもしれない。そんな落語家は談志しかいなかった。」
 というのです。


 この本には、自分が書いたことに具体的で生きた形を与えたいとの思いから本職の落語家との対談を載せました。
 「端正な古典落語の型をまもりながら、つよく“いま”を感じさせる落語家である立川談春師匠にお願いしようと決めた」
 「お会いした師匠からはお送りした私の原稿のゲラを完璧に読み込んでおられていることが感じられて、心底感激した。そして師匠は、複雑で知的で独特の含羞と奥行きと陰翳を帯びた人物だった。対談の数時間はめったにないほど濃密な時間で、思い出してもため息が出る。その濃密さの一部は師匠が談志との喪の仕事、本書で使った言葉でいうなら死と死体のあいだの過程におられたことと関係がありそうだ。そして、私も最終章で書いたように、その過程をまだ脱していない。思えば、この対談だけでなく、この本全体に談志の死の翳は投げられているようだ。」



 談志の戒名は、「立川雲黒斎家元勝手居士」(たてかわ うんこくさい いえもと かってこじ)です。生前に「葬儀もいらない、お経もいらない」と周囲に伝えていたといいます。談志はとにかく破天荒このうえない存在でありながら、根本は落語は古典にかぎるというポリシーを持ち続けた稀有な噺家いや落語家といって過言ではないでしょう。

 談志のことについてはまた書きます。

 







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