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 埼玉県合唱連盟理事長 三代揃い踏み



 加 藤 良 一   (2004年8月26日)




 


 熱帯夜がなかなか収まらないお盆開け、久方振りの雨模様で熱さも一息ついた817日、大宮駅にほど近い料亭で賑やかな宴が開かれました。
 集まったメンバーは、埼玉県合唱連盟の新旧理事の面々。この集まりは、小秀一先生が平成12年(2000)に理事長を定年で退任されたあと発足した「秀ちゃんを囲む会」というOBと現役の懇親会です。その後回を重ねるにしたがって、誰からともなく 、いつまでも「秀ちゃん」だけでもなかろうということで、いまではとくに正式な名前はありません。
 


左から 田尻明規(あきみ)元理事長、宮寺勇現理事長、小高秀一前理事長

 今回の集まりで特筆すべきは、はじめて新旧理事長三人すなわち三代が勢揃いしたことです。
 平成4年(1992)まで理事長を務められた田尻明規先生、そのあとを引き継いだ先生、そして現理事長の宮寺勇先生が揃って上座に並びました。このように三代の理事長が顔を揃えるのは、全国的にもかなりめずらしいのではないでしょうか。ただめずらしいのではなく、お三人がそれぞれ第一線で活躍している現役の音楽家という点も見逃せません。つまりそれだけお若いというわけですが、それもそのはず埼玉県連では60歳で定年し、後進に道を譲ることになっています。もし定年制がなかったら、このように三代理事長が並ぶことは滅多にないだろうし、仮にあっても皆さんが現役の音楽家とはならないでしょう。60歳にかぎらず定年制を実施している県がほかにあったら、後学のためにぜひ教えていただきたいところです。

 埼玉県が定年制を採用した理由をすこし高尚に表現すれば、新陳代謝を促し、風通しを良くし、つねに新しい感性で合唱音楽環境を創り出すため、とでもなるでしょうが、たまたまこのあたりのことが1992年発行の創立35周年記念誌に載っているので紹介します。

 「35周年記念座談会」と銘打った企画で、出席者は、当時の役員6人でした。まず紅一点の鎌田弘子先生(顧問)、次いで田尻理事長、副理事長、宮寺事務局長、大岩篤郎常務理事、司会が村田充副理事長である。鎌田先生は、現在コール・グランツの顧問でもああります。
 25周年記念以降の10年間を振り返り、将来の夢を語ろうということで、いろいろな話しが展開されています。その中で60歳定年の部分を抜粋してみます。


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村田  先ほど小高先生から役員の定年制ということに関してお話しがあったのですけれど、これには私にもひとつ考えがありまして、やはり一般社会も60歳定年、(中略) あるいは65歳というところもありますけど、その当時60歳がだいたい一般的に定年の歳だったわけですね。で、連盟の役員もやはり60で線を引いて、後進に道を譲っていかないと若い人たちが伸びないというのが私の考えだったのです。これに関しては、振り返ってみて間違いではなかったと私自身今でも思っております。


  いろんな批判はありましたけれども、役員に対する定年制というか、年齢制限みたいなものを設けたということですね。この10年間で一番大きな出来事じゃないかなと思います。もちろん年齢の高い人にも、大いに合唱連盟のことをいろいろやって欲しいなあとは思っていましたけれど、連盟を育てる上においては、そして皆が参加していろんなことに協力していくためには新陳代謝が必要ではないかという気がします。


宮寺  10年間で約100団体近く増えているんですね。ですから、270数団体ということになると、組織をしっかりして、まあ批判はあるわけですけれども、やっていかなければとても運営できないというのを感じておりましてね。 (中略) けっきょく、定年制というよりも、理事さんというのはね、雑用係ですからね、どれだけ仕事やっていただけるかと、裏方をね。けっきょく、名前だけの理事さんだったら必要ないし、皆さんがよくご存知の合唱祭にしても、裏でどれだけ動いていただけるかが理事さんですから、そういった意味では、年輩の方にやっていただくのはお気の毒だなあというのが実感としてありますよね。

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理事の仕事の大部分は、平日の夜開かれる大小委員会の打合せ、あるいはコンクールや合唱祭などの実際のイベントにおける係りなど、とにかく体を使って動き回らねばならず、ひとえに裏方仕事なのです。ご高齢の方にそのような実務をお願いしては申しわけない、なるべく若い元気な方々に活躍してもらおうということなのです。この対談を読んでみると、60歳定年となった経緯がよくわかります。
 しかし、年々寿命が伸びていることもたしかですから、10年前とは事情が変ってきているはず、あと5歳くらい引き上げて65歳にしてもいいかなと、いまでは筆者は思い始めています。



左から 筆者(現理事)、宮寺現理事長、友清元常務理事

左から 小野瀬現常務理事、廣重現理事、新祖現副理事長


 さて、宴会の司会は、笠井利昭現事務局長が仰せつかりました。まずは型どおり旧理事長お二人のご挨拶、それに引き続き村田和子元副理事長の音頭で乾杯となりました。座がちょっとゆるみはじめた頃合を見計らって、順に近況報告をとの司会の指示によって、スピーチがはじまりました。

 
左から 須田元理事、大岩現副理事長、小林元理事
 
左から 笠井現事務局長、浅井現常務理事


 いまあの人は何やっているんだろうか、うまくいっているのだろうか、元気で暮しているんだろうか、皆さん音楽に関係している点は共通しているものの、置かれた立場はさまざまです。


左から 元理事、筆者、田尻元理事長、村田元副理事長

左から 菅谷元理事、松本元常務理事、斉藤現理事、鈴木現理事


 主だったところをかいつまんで拾ってみると、来年の男声合唱プロジェクトYARO会第2回コンサートで合同演奏を振っていただく予定になっている大岩篤郎副理事長は、周知のことではありますが、いまでも現役のオペラ歌手として活躍しているとのこと、頼もしいかぎりです。 
 参加者の顔ぶれも多彩です。晴耕雨読とばかりに合唱以外に畑仕事にも夢中になるものを見出した元学校の先生、子育て真っ最中だが合唱指揮もばっちりやっている人、17クラスもある小学校の音楽授業を全部ひとりで教えなければならないうえに、クラス担任まで受け持たされて体をこわしたとこぼす人、はじめて学校というところへ行って音楽を指導してみたが、子供たちのしつけの悪さに途方に暮れているベテラン指揮者などなど、世の中なかなかたいへんなものです。


左から 斉藤現理事、鈴木現理事、小松現理事、宮寺現理事長

 
左から 田尻元理事長、大竹現副理事長、小高前理事長


 いつのまにか話しが横取りされてあらぬ方向へ行ってしまい、司会から先へ進めろと注文がつくなか、懐かしい顔ぶれの話しはいつまでも尽きないのは世の常でしょうか。

 

松本元常務理事(中央)の指揮で「遥かな友に」を歌う

左から 田尻元理事長、宮寺現理事長、小高前理事長、村田元副理事長
 

 宴もたけなわとなったところで、この集まりに何かいい名前をつけようということになりました。いきなりでとくにアイデアが浮かばないところへ、潮千代子先生からそれなら『彩会』という名前はどうかと提案がありました。「」は彩のくに埼玉に因んだもので、みんなの再会を願ってという意味も含まれています。ほかにこれといって案も出ないのでそれでいこうと決まりましたが、宮寺現理事長いわく 「なに!最下位?」、コンクール直前の時期だけに全員大うけでした。


 お開きの前に一曲歌わないでは宴会も終りません。最後は、松本紀夫先生の指揮による「遥かな友に」を混声で歌って締めくくりました。


 


 

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