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ジャズ
エロス


ジャズ・ヴァイオリニスト 牧山純子
 


2016年12月19日  加 藤 良 一



 ジャズ・ヴァイオリニスト牧山純子さんが、『ジャズとエロス』という刺激的なタイトルの本を出版することになったきっかけは、編集者のちょっとしたひらめきによるものでした。
  •  ジャズの楽しさ、素晴らしさを伝えることできないものかと考えていたところ、編集の方から「牧山さん、『ジャズとエロス』でいきましょう!」といわれて、ついその場の勢いで「はい!」と返事をしてしまいました。つい承諾の返事をしてしまったものの、ジャズとエロスだなんて、いままでそんなイメージでジャズを演奏したことも聴いたこともありませんでした。
                                牧山純子著 『ジャズとエロス』(PHP研究所20162月)

◇ クラシックからジャズへ

 ジャズ
エロスという組み合せは、なんとなくお似合いな感じがしますがなぜなんでしょうかね。ジャズと聞いて何を連想しますかと人々に尋ねると、おおむね「大人っぽい」とか「お酒とタバコの煙」とか「オシャレな雰囲気」とか「ちょい悪オヤジが聴く音楽」などの答えが戻ってくると牧山さんはいいます。まあ、そんな感じでしょうか。
 牧山純子さんは、ピアノ教師だった母親の勧めで三歳からピアノを習いはじめ、その後四歳からヴァイオリンに転向して以来、クラシック一辺倒の音楽生活を送っていました。よくあるパターンですが「クラシック以外は音楽ではない」という厳格な家庭環境だったそうです。そんなことから成り行きで音大へ進み、その後フランスへ留学したもののはっきりした目標があったわけでもありませんでした。
 帰国後、音楽に係わっていたいと、結婚式場やパーティ会場でヴァイオリンを弾く仕事があればいいなと相変わらずのんきに構えていましたが、ある時、ジャズとの衝撃的な出会いが訪れました。
 その音楽とは、イツァーク・パールマンオスカー・ピーターソンによるアルバム『Side By Side』でした。パールマンはご存知のとおりクラシック界の偉大なヴァイオリニストですし、ピーターソンはジャズ界のピアノの巨匠です。異色で豪華な組合わせです。
 牧山さんは「雷に打たれたというか、全身にものすごい衝撃が走りました。ほんとうの意味で、音楽がもつ力、音楽の素晴らしさを身体全体で感じたのです。クラシックでは得ることのなかった種類の情熱や興奮を教えてくれたこのアルバムは、私にとって運命の一枚となりました。」と振り返ります。

 Side By Side』との運命的な出会いで、ジャズに大いに興味をもちましたが、当時まだ日本にはジャズを教えてくれるヴァイオリニストがいませんでした。いろいろ調べ回ったところ、米国のバークリー音楽大学でジャズ・ヴァイオリンが学べることを知りました。バークリーを卒業した日本人には、穐吉敏子(旧秋吉)、渡辺貞夫、ミッキー吉野、小曽根真、大西順子、上原ひろみという錚々たるアーチストが居並んでいます。

 牧山さんは早速バークリーに留学しました。しかし、そこからとんでもない苦難の道が待っていようとは予想だにしませんでした。子どもの頃から長年研鑽を積んできたクラシックでは楽譜に忠実に演奏することしか頭になかったため、ジャズのあまりの自由さに手も足も出ない状態となってしまったのです。あれこれ悩んだ末、一時はジャズを断念しようとまで思い詰めてしまいました。ジャズをCDで聴いたかぎりでは「ちょっと齧れば私にも弾けるようになるだろう」くらいに高をくくっていたのがじつは大まちがいだったのです。

 牧山さんがジャズの勉強に悩んでいた頃、たまたま米国で小澤征爾のコンサートを聴く機会がありました。終演後、楽屋を訪ねて挨拶するうち、東京の自宅がお互いに近いなど共通項がいくつかあることから、その後親しく交流を深めていきました。あるとき、小澤さんから「ジャズとクラシック、両方を学んでいることは素晴らしい」「今後、クラシックやジャズというジャンルの壁はなくなる」といわれたことに意を強くし、ジャズの世界でやっていくことに自信が持てるようになったといいます。


◇ エロスとはなんだろう?
  •  エロスという言葉と向き合っていくなかで、「性」的な意味合いのほかに、「生きる」という解釈が含まれることを知り、その言葉の深さに“ジャズとエロス”が初めて合致したのです。
 さて、そもそも「エロス」とはなんなのでしょうか。エロスは、ギリシャ神話の愛の神エロスに由来する言葉ですが、プラトンは、「人間が根源的にもつ原初の理想的状態への衝動」をエロスと呼びました。プラトンのいうエロスは男女の愛を含むものでしたが、そればかりでなく、ともに真理を探究する師弟間の愛なども含めていました。
 そこから派生して、エロティシズム:性的描写、エロティカ:性愛について書かれた文章、などの言葉も生まれています。
 そして、現在の日本で「エロ」は「性的興奮をさせる物あるいは行動」など、やや狭い意味に使われていて、似たような言葉に「エッチ」というものがあります。これはご存知のとおり「変態」の頭文字からとったそうです。

 この「エロ」と呼ばれるものは人間の三大欲求のひとつ「性欲」から来ています。性欲を満たしたいと思うことは人間としてはごく当然で異常なことではありません。生物学上、男性の方が女性より積極的な性欲を持っていますが、女性も持っていて当たり前なことは今さらいうまでもないことです。人類の歴史はこの意味からいえば、エロの歴史といっても過言ではないでしょうね。

 クラシックを弾いていたときの彼女は、音楽にエロスを感じることはなかったといいます。ふつうは、指揮者の指示どおりに、楽譜に忠実に、まちがいなく演奏する。それが、演奏者に課せられた使命だと思っていたのです。
 そして、彼女の頭のなかでこの問題が熟成されるにしたがって、エロスには、官能的なエロス、芸術的なエロス、生命力溢れるエロス、エロスにはさまざまな面があり、ジャズのなかにもいろいろなエロスがあることを知ります。この思いを、音楽ではなく、活字で表現してみようと挑戦がはじまりました。


◇ エロスとジャズ ~肉食系と草食系
 男性ミュージシャンの中にもやはり肉食系と草食系がいるそうです。このことは女性であっても同じことかなと思います。
  •  オジサマ世代のミュージシャンは女性好きな方が多いのも事実。客席に、好みのタイプの女性がいるのを見つけたら、「あの子をふり向かせたい」と意欲満々で演奏しているのがすぐわかります。肉食系オジサマが奏でるメロディーは、やっぱり肉食系なメロディーになりますね。それがオジサマたちの「生きる力」であり、だからこそメロディーにエロスが宿るのだと思います。
     ところが、最近の若い男性ミュージシャンは時流に乗っているというか、草食系男子が多くなってきました。肉食系オジサマと比べると、奏でるメロディーもやはり草食系。それぞれ、若いミュージシャンなりのよさ、熟練ミュージシャンなりのよさがありますが、どちらがお好みかはお客さま次第です。
 牧山さんは、ジャズは頭で聴くものではなく、ハートで聴いたり演奏したりするものだといいます。それで自らを開放し、生きている、存在していると確かな手ごたえを感じているのです。
  •  クラシックを弾いていたときの私は、音楽(クラシック)にエロスを感じることはありませんでした。指揮者の指示どおり、楽譜どおり、間違わないように演奏する(……)決まったことを、決まったとおりに弾くことが絶対だと思っていたのです。
     しかしジャズに出会った私は、ジャズにエロス、すなわち生きる喜び、生きる力を感じたのです。(中略)まさに一期一会。ジャズの醍醐味であるアドリブ(即興演奏)、アレンジ、そしてオリジナリティのある音で自分を表現していいんだ! と感じるようになりました。ジャズを演奏しているとき、私は生きている実感を味わい、自分がそこに存在していると思えるようになったのです。ジャズは私にとって、エロスそのものなのです。

 牧山さんのCDLiberta>の解説文を書いた櫻井隆章さんは、つぎのように牧山さんを評しています。
 「こうした気配りの人であるのだが、同時に彼女は「男気」の人でもあるのだ。実に決断が早く、万事にテキパキとしている。だから、一緒にいて気持ち良いのだ。今ドキの言葉を使えば、「おッとこ前」の女性なのである。これだけの美形でありながら、そんな結構なギャップもあったりする。そういった意味でも、実に魅力的な女性なのである。」

 女性ジャズ・ヴァイオリニストが書いた、ジャズとエロスとのつながりにご興味を持たれた方は、一度手に取ってみてはどうでしょうか。


*牧山純子さんのアルバム紹介画像↓です。いきなり音が出るかもしれませんのでご注意ください。
https://www.youtube.com/watch?v=rDWOgWouL6Q




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