ハミングに続けて母音を鳴らすと音が下がらない



加 藤 良 一      




声は見えない
 アマチュア合唱人として、発声の練習にはいつも苦労しています。
 声楽は文字通り「声」が楽器です。吸い込んだ空気が、肺から始まって気道や声帯を通り抜け、口や鼻の中あるいは頭蓋骨などで共鳴して音となるわけで、つまり「声」という楽器は目に見えないところで音が作られるのです。
 ピアノやヴァイオリンなど他の楽器は少なくも全容が「目」に見えていますから、どこをどうすればよいかとりあえず目で確認できようというものです。ところが、「声」はからだの中の見えない部分で作られるものなので、どうしても主観的、感覚的に捉えざるを得ません。そこで、指導の仕方も千差万別となります。酷い指導者になると「どうして高い音が出せないのかしらね…。私は出るんだけど…」などと指導にもならない言葉を発することもあると聞いたことがあります。さらにはまったく逆の指導がなされることも珍しくありません。

 粟飯原栄子氏の著書「悩める合唱指揮者のための手引き」に真逆の教え方に関する面白いコラムが書かれています。それを読んで、そうなんだよね…、いったい何を信じたらいいんだろうか。専門家がこういうんだからよほど根が深いと、あらためて考えこんでしまいました。

曰く、B先生のレッスン>

  <C先生のレッスン>

 

声楽指導者、経験・体験から科学的アプローチへ
 声楽の難しさが今さらながらにわかる逸話は枚挙に暇がありませんが、そこへすこしでも科学的な客観性を盛り込んで本当の理解へとつなげる方法はないかと模索している方々がいます。

 男声合唱団コール・グランツのメンバー田村邦光氏は、日本声楽発声学会第104回例会(2016.11)で事例研究を発表しました。その詳細が「声楽発声研究No.8」(2017.3)に掲載されています。共同研究者の河合孝夫氏は、日本声楽発声学会理事、二期会会員、全米声楽指導者協会会員です。東京芸術大学声楽科卒、二期会研究生修了。声楽家としての活動のほかに合唱の基礎テクニックと発声法の指導を行っています。



 今回の研究テーマは、歌唱のときの声の特性を科学的に解明すること。声を客観的に評価し、歌い方改善の一助にすることを目的とした研究です。すなわち声の要素を数値データとして表し、歌唱における発声と物理情報との関係を解き明かそうというものです。



 実験手段として、各種録音装置を用いて採取した声をオシロスコープにより音声分析を行い、声の物理情報すなわち、高さ(周波数)、倍音構成、フォルマントについて調べました。
 被験者は、次の3グループ。合唱経験者の中に、男声合唱団コール・グランツのメンバーも入っています。
 個人の発声は、コンデンサーマイクから20pほど離れたところで、基準になる音に合わせてハミングと母音をさまざまに発声することでサンプリングしました。


 詳しいことは省きますが、結論を並べると以下の通りです。

  1. FFT(高速フーリエ変換)周波数スペクトルによる声の高さの評価は有効だが、振動数はばらつくので統計分析が必要である。
  2. ハミングの発声では基準音に近い音が出るが、母音を単音で発声すると音程が下がる。また、ハミングに続けて母音を発声すると音程が維持される。
  3. 優れた歌手の良く響き、遠くに届く声の特徴は、倍音の充実とともに20003500Hzに音の強い帯域が存在する。
  4. 音声分析による声の評価は、基本的要素である音の高さや響きの客観的評価に有効である。

 
 ピアノなどで出した基準音に対して、ハミングで「ン──」と発声するとほぼ近い音が出るが、母音を単独でいきなり発声すると一般的にハミングより音程が下がる(周波数が下がる)ことが証明されました。また、ハミングに続けて「ン──ア──」のように母音を発声すると音程が維持される傾向が強いこともわかりました。これらの現象はこれまでも経験的には知られていましたが、データとしてまとまったものはありませんでした。

 ふだんの合唱の発声練習のときにハミングではきれいに鳴るのに、母音や子音となると濁ったりする原因はここにあるのかと納得できました。ただし、この理屈がわかったところで合唱が格段にうまくなる保証はどこにもないわけで、一歩一歩着実に、気の長い練習の繰り返しが必要なことはまちがいありません。また合唱は当然発声だけがすべてではなく、ほかにも表現力など総合的な音楽性が求められわけですから一筋縄ではいきません。


ウグイスとウシガエル
 「良く響き、遠くに届く声」の実験には、ソプラノのロスアンヘレス、アルトのアンダーソン、テノールのパバロッティ、バリトンのディースカウ、バスのシャリアピンという大歌手の周波数スペクトルを分析して、前述のような20003500Hzのシンガーズ・フォルマントといわれる成分を検出しています。

 通る声と通らない声の典型例として、ウグイスとウシガエルの鳴き声をフィールドワークで採取したデータが示されています。ウグイスの声が遠くまで届くことは誰しも知るところと思いますが、その鳴き声にはシンガーズ・フォルマントに相当する25003500Hzの成分が含まれているのです。ですからその鳴き声は100m以上先まで届きます。
 いっぽうでウシガエルはというと、1000Hz以下が主成分で、複数の基音はあるものの倍音がすくなく、高い周波数成分がありません。その結果、10mも離れると聞こえなくなってしまうのです。

 なるほどウグイス嬢とはよく言ったものですね。われわれはなんとかウシガエル状態から脱出しなければなりません。

 



 日本声楽発声学会は、昭和39年(1964)「発声指導法研究会」として発足、昭和46年(1971)「日本声楽発声学会」と改称、声楽における発声と指導法の研究をしている団体です。
 本学会によれば、「かつての声楽は、指導者の経験や体験による口頭伝承による指導に重きが置かれてきたが、現在はその基本となる発声に関する人体の機能を医学的に知ることで、知識の領野からアプローチし、その音楽文化を科学的に探究することが求められている。本学会は声楽の実践者と医学の臨床研究との多くの学問分野にまたがり、新しい研究領域を開拓することを目指している。」との主旨を掲げています。

2017年6月20日




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