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トットちゃん 両親の出会いは第九





 自由が丘の駅で、大井町線から降りると、ママは、トットちゃんの手をひっぱって、改札口を出ようとした。トットちゃんは、それまで、あまり電車に乗ったことがなかったから、大切に握っていた切符をあげちゃうのは、もったいないと思った。そこで、改札口のおじさんに、「この切符、もらっちゃいけない?」と聞いた。……

 
 これは、ベストセラーになった黒柳徹子さんの自伝的エッセイ『窓ぎわのトットちゃん』の冒頭です。この本は1981年出版ですから、もう35年以上も前に書かれたものです。

 トットちゃんは小学校にあがったとき、注意欠陥や多動性障害、さらに学習障害と思われる問題児だったため1年生の時に退学させられてしまいました。困り果てたママは、トットちゃんを連れて別の学校を探しに行ったのです。
 そこでようやく見つけたのが、独特の教育理念を掲げた東京目黒の自由が丘にあったトモエ学園でした。自由教育を掲げるこの学園は、ふつうの学校には通えないような子どもたちが通っていました。教室はいらなくなった電車6台を払い下げて校庭に並べたものでした。座席は決められておらず毎日自由に好きなところへ座ってよかったのです。

校長の小林宗作先生が創り出すこのような魅力的な環境の中で、トットちゃんは創造性豊かな幼児教育を受けて育ちました。小林宗作先生はその後のトットちゃんにとって掛けがえのない存在となりました。エッセイ集はこの小林宗作先生に捧げられています。

 トットちゃん、じつは自分が問題児で小学校を退学させられたことを成人するまで知りませんでした。お母様はそんなことをおくびにも出さずに、あなたは良い子なのだと懸命に寄り添ってくれたそうです。このお母様も大したものです。

 トモエ学園の前進は自由ヶ丘学園といいました。1928年(昭和3年)創立、中学校(旧制)、小学校、幼稚園が併設されていました。その後、中学校は現在の自由ヶ丘学園高校となり、小学校と幼稚園はトモエ学園となりました。自由が丘の地名はまさにこの自由ヶ丘学園に由来していたのです。もっともこの地名はその後「」の1字だけ改称され、現在は自由丘となっています。自由が丘は私が生まれ育った下目黒からもさほど遠くないところにあります。そんな場所が黒柳徹子さんと大いに関係があったんですね。


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 さて、10月から、『トットちゃん!』という連続ドラマがテレビ朝日系列で放映されています。トットちゃんはよく知られているように黒柳徹子さんの愛称です。子どもの頃、自分の名前をちゃんと言えずにトットちゃんと喋っていたことから、それが定着しそのまま使い続けているのです。父親からはトット助と呼ばれていました。

黒柳徹子は本名です。生まれて来るとき、親戚の人や両親の友人たちが「男の子にちがいない」というのを真に受けて、「」(とおる)と決めていましたが、実際に生まれてきたのはなんと女の子でした。そこで慌てて「」を付け足して徹子としたといいます。このドラマは、10月から始まり12月まで、毎週月曜から金曜まで放送しています。

 私が子どものころ、自由が丘はその名のとおり、下目黒からみるとどこか自由な雰囲気でさらにおしゃれな高級感が漂う町でした。自由が丘駅は、東横線が高架駅、大井町線が地上駅となって二路線が交差している便利な駅です。高校時代、ときどき覗きに行ったジャズ喫茶「ファイブスポット」は駅のすぐそばにあり、生のジャズ演奏が聴ける貴重な店でした。

 トットちゃんは、トモエ学園を卒業したのち香蘭女学校を経て、東洋音楽学校(現東京音楽大学声楽科を卒業しました。

 父の黒柳守綱さんは、NHK交響楽団のコンサートマスターも務めたヴァイオリニストですし、母の黒柳朝(ちょう)さんも声楽家、弟はヴァイオリニスト、妹はバレリーナという音楽一家の出ですから、自然に音楽の道に進んだのでしょう。

 ドラマ『トットちゃん!』は、徹子さんが生まれる前の、両親のそもそもの出会いから始まっています。
 黒柳守綱さんとそののち妻となる門山朝(ちょう)さんとの出会いはやはり音楽でした。朝さんが学生時代にベートーヴェンの第九交響曲の公演で歌うことになりましたが、そのときのオーケストラに黒柳守綱さんがいたのです。やたらにでかい声で歌う朝さんはその美貌とあわせてとにかく良くも悪くも目立つ存在でした。

 北海道で医者をやっていた朝さんの父親は、医者を継がせたい一心で結婚相手には医者をと決めていました。しかし、朝さんはそんな話を蹴ってしまいました。それからほどなく守綱さんと朝さんは結婚しましたが、父親はまったく結婚を許しませんでした。それどころか挙句の果てに朝さんを勘当してしまいました。それほど昔かたぎで頑固な父親でした。


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 今年4月、知人のある合唱指揮者から一通のメールが届きました。
 テレビ朝日が企画しているドラマの中で、第九を歌うシーンがありそこで流す歌の録音を手伝ってもらえないかとの依頼でした。 テノールとベースそれぞれ2名足りないので急いで探しているとのことでした。第九ならばおそらくすぐに見つかると返事し、早速心当たりの友人に打診すると二つ返事で了承をもらったので、翌日にはメンバーを決めてOKの返事を返しました。

 歌う箇所はまだはっきりしていないけれど、たぶん最初のバリトンソロのあるところ、練習番号【M】、フィナーレの辺りが候補になりそうとのことでした。【M】とは、543小節から始まる例の有名なメロディの箇所です。ドイツ語の発音は文語調のデル発音でお願いしたい、その際、母音が浅くならないように、またウムラウトも同様に響きが浅くならないようにお願いしたいと注文がつきました。
 また、第九とは別に讃美歌「いつくしみふかき」の録音もあるということでしたが、そちらは主に若い方たちだけと聞きました。この讃美歌はトットちゃんのトモエ学園でのクラスメイトで、小児麻痺を患っていた郁夫君(実際は泰明君というトットちゃんが大好きだった子)という男の子が亡くなりその葬式で使われるものでした。


 出演者が都内のある音楽スタジオに集合したのは、出演依頼があってから10日ほどのちの日曜夕方でした。その日は午前中からオーケストラの録音が行われており、それが終了したあとにその録音に合唱を重ねるという段取りでした。発声練習のあと収録が始まりました。まずはフィナーレの5小節を収録し、その後休憩を挟んで【M】の収録となりました。
 われわれの役どころは、黒柳守綱さん率いるオケとともに第九を歌う音大生という設定でした(‘;’)
 各パート10人ずつ総勢40人がマイクの前に3列に並び、全員イヤホンを付けてオケの録音を聴きながら歌いました。音大生の役ですからわれわれおじさん連中は画面に出ることなど許されません。もっぱら声だけです。


 じつはフィナーレの部分を最初に収録してくれて助かりました。正直なところテナーは五線紙の上のラ(A)が連続するのはきついのです。とくに私にとっては。あれを最後に回されてしまったら果たして声が持ったかどうか怪しいのです。

何回かの録り直し(テイク)がありましたが、最終テイクを二重三重に重ねることで、大合唱団となる仕掛けなんですね。録音技術はずいぶん進んでいるようですが、ただし、下手な歌を上手には直せないみたいです…。


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 『トットちゃん!』をワイフと見ながら、合唱の部分を私も歌っていると話していたところ、自分の本棚から『窓ぎわのトットちゃん』を取り出して渡してくれました。この本はまだ読んだことがありませんでした。早速読んでみるとドラマではいろいろ脚色されているけれど、大筋では書かれていることに沿っているのがわかりました。

 黒柳徹子さんは「あとがき」に、「なぜ、こんなベストセラーになったのか?」ということについてつぎのように書いています。

……日本の教育問題が、大変なところに来てしまって、みんながなんとかしなくちゃと、考えてるときに、この本が出たので、私は、そのつもりじゃなく書いたんですけど、「教育書」という風に読まれ、それで、ベストセラーになったのは、間違いないようです。それと、あらゆる年代のかたが、その年代の読みかたで読んで下さったのも、数多く売れた事の原因のようです。
 でも、これは、女性が作った、初めてのベストセラーとも、いわれました。ふつう、ベストセラーというのは、男の人から始まるそうですね。この本に対して、男の方は、かなり拒否反応が、あったようです。
 “表紙が女っぽい” “タレントが書いた” “ベストセラーになった”。これだけで、もう、手をつけない男性が多かったことは、書評を書いて下さった、ほとんどの男の方が、「…そんな理由で、読まないでいたのだが、家人が、どうしても、すすめるので…」と、書き出しにお書きになったので、わかったんです。

 
 こんな風にいわれてみれば、私がこの本をワイフから渡されるまで読んでなかった理由のひとつはこんなところにもあったかなと思います。

 いま放映されている『トットちゃん!』には、ときどき第九の合唱がバックに流れてきます。この中に音大生を装ったおじさんたちも混ざっていると思うとちょっと面白いですね。たぶん12月に入って師走の雰囲気が濃くなるころ、ドラマの中で第九が流される場面がもっと出てくるのではないでしょうか。


 
 加 藤 良 一    2017年10月25日




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