M-152

消えた男声合唱曲 「十一月にふる雨」

差別用語、言葉狩り、表現の自由




 加 藤 良 一   20171121  



 男声合唱の世界で知らぬ人はいないといわれる作曲家多田武彦氏の作品に、差別用語が含まれるとして作曲家自らが別の曲を作って差し替えたものがあります。堀口大學の詩を用いた「十一月にふる雨」と「年の別れ」、中原中也の「朝鮮女」です。こんなところにも、差別用語の問題が暗い影を落としていました。


 「差別」とは、「差をつけて取り扱うこと」とか「分け隔てする」という意味ですから基本的に良くないことです。つまり「本人の努力や意思によって変えることの出来ない事柄で不利益な扱いをすること」です。たとえば、出身地、学歴、性別、家柄などで、値踏みをし、個人や団体の自由・権利を侵害する行為を指します。

 かたや、似た言葉に「区別」があります。こちらは、「違いによって分ける」とか「区分け」などの意味で、自ずと差別とは異なります。すなわち、性別や人種あるいは国籍のような違い(差異)を表現しているだけで、それぞれの属性が異なることを示しているに過ぎません。したがって、このような違いそのもので不当な扱いや不利益を被ることは本来あってはならないはずです。

 そこで、差別用語について考えてみると、それはもともと「差別を目的として」いることが明確です。少数民族、被差別階級、特定疾患罹患者、職業などで差別しようとする「蔑称」にその例がみられます。そのような蔑称は、禁句とされ、メディアでは「放送禁止用語」として扱われます。そうなると表現の自由との関係性が議論の的になってくるわけです。このような動きに対し、度が過ぎた規制や過剰な反応を否定的に捉える立場から「言葉狩り」という表現もされています。

 「放送禁止用語」という言葉は、とくに実体のない漠然としたもので法的拘束力も何もありません。メディアでは、はっきりと「放送自粛用語」なるものを用意し、ある種の忖度を働かせて問題回避策として使っているようです。要するに触らぬ神に祟りなしです。


 昔の小説や詩などには今でいうところの差別用語がいくらでも出てきます。現代の価値観や判断でそれらの作品が排除されたり、無視されるようなことがあっていいものでしょうか。個人的にはそれはすこし違うのではないかと思います。

 穢多(えた)、非人、廃人、賎民(せんみん)など、最初から差別を目的として作られた用語がありますが、それが使われた当時では(良し悪しは別にして)たとえば法律に既定されていたり、社会的な一定の存在理由があったわけです。また、ドストエフスキーの小説「白痴」はまさにそのまんまの題名ですが、これはどう扱うべきでしょうか。美輪明宏さんの有名な「ヨイトマケの唄」に出てくる「土方」が差別用語だとして長らく放送されなかったこともあります。
 このように置き換えることが困難な言葉、それなくして表現しきれない言葉をあたかもなかったことのように顔を背けることが果たして許されるのかという疑問も出てきます。


 そこで、注目している多田武彦作品の差し替え問題に触れます。


十一月にふる雨   堀口大學

十一月はうらがなし、
世界を濡らし雨がふる!

十一月にふる雨は
あかつき来れどなほ止まず!

(中略…)

十一月にふる雨は
夕暮れ来れどなほ止まず!

されば乞食のいこふ可(べ)
ベンチもあらぬ哀(あはれ)さよ!

十一月にふる雨に
世界一列ぬれにけり!

王の宮殿(みやい)もぬれにけり
非人の小屋もぬれにけり!

(中略…)

逢引(あひびき)のみやび男(をとこ)もぬれにけり、
みやび女(をんな)もぬれそぼちけり!


 ここには、「乞食」と「非人」という差別用語が出てきます。主に「非人」が問題視され、抹消されてしまいました。堀口大學はこの詩で、十一月の雨は、森羅万象ことごとく濡らし世界一列に降りしきるとうたっています。乞食も非人も王族も区別なく濡らし、ひとときの逢瀬に向かいあう男にも女にも冷たく降り注ぐのだとうたい、それに作曲家が曲をつけました。しかし、「非人」という差別用語は現代では許されなかったのです。

 「十一月にふる雨」は、6曲からなる組曲『雨』の4曲目に入っていましたが、尾形亀之助の詩「雨 雨」に差替えられ、ついに曲は消えてしまいました。問題視されたときに作曲家はまだ存命でしたので、差し替えることもできましたが、すでにこの世にいなかった場合はどうなるのでしょうか。その曲は組曲として半端になり、演奏の機会を失うことになりはしなかったでしょうか。さらに、曲ではなく元になった詩のほうはどうなるのでしょうか。


 つぎは、同じく堀口大學の詩に多田武彦が曲をつけた「年の別れ」をみてみます。『人間のうた』という6曲からなる組曲の最後の曲でした。


年の別れ   堀口大學

逝く年は女であるか、

さかりゆくかげがさびしい、
うなだれてみかえりがちに、
さかりゆくうしろ姿が。

捨てられた女のやうに、
別れ行くかげがわびしい、
(中略…)

野の末の流のやうに、
年が逝く風に光って、
唖の子(おしのこ)の恨みさながら、
目に涙いっぱいためて。


 ここでは「唖の子」が差別用語ということです。年の別れとは、ゆく年を捨てられた女や唖の子に諷喩(たとえを用いてそれとなく推測させる)し、その哀歓をうたった象徴詩です。

 「日本の詩歌17」(中公文庫)の解説によれば、
 「歳末は、一年なじんだ歳月との別れの時であり、その間の恥や嘆きや悔恨に一時にさいなまれる時である。それ故、去りゆく年の擬人化も、そうした悔恨や哀愁の情感によるイメージ化であることは自然である。だから、この詩においても、ゆく年は、さながら捨てられた女の、うなだれて振り返りがちにゆく哀れさであり、涙をいっぱいためて物言えぬ唖の子のいじらしさにも似ている」
というのです。

 たとえ話とはいえ、唖の子は差別用語であり、現代において使ってはならぬ言葉ということになってしまいます。聞くところによると、以前慶応義塾ワグネルソサエティーの演奏会で、この部分を「物言えぬ恨みさながら」と歌詩を換えて歌ったことがあるそうです。その後、けっきょくは作曲家ご自身の判断でこの曲はお蔵入りとし、代わりに同じ堀口大學の詩「宮城野ぶみ」に差し替えられました。


 もうひとつは、中原中也の詩による組曲『中原中也の詩から』の3曲目に収められていた「朝鮮女」です。


朝鮮女   中原中也

朝鮮女の服の紐

秋の風にや縒(よ)れたらん
街道を往くをりをりは
子供の手をば無理に引き
額顰(ひたいしか)めし汝(な)が面(おも)
肌赤銅(はだしゃくどう)の乾物(ひもの)にて
なにを思えるその顔ぞ
――まことやわれもうらぶれし

(中略…)

何をかわれに思へとや
軽く立ちたる埃かも
をかわれに思へとや……
   ・・・・・・・・・・・


 この詩は、「中原中也『在りし日の歌』全釈」(太田静一、鳥影社1997)によると、昭和9年、中也28歳のときの作品です。当時中也は妻子持ちでしたが、妻泰子は銀座の女給で他に二人のパトロンがいました。中也は悩んだ末に泰子と別かれることを決心し、もう逢うこともないという状況にありました。ところが、その二人が偶然路上で出くわすという事態が起きてしまいました。「朝鮮女」はこの偶発的な出来事によって書かれたというのです。

 二人とも生活にやつれ、お互い失意の中にあることを察し合うという感じに設定されています。泰子は憂苦に顔をしかめ、赤銅色に肌も乾き、落ちぶれた様子でしたが、それは中也も同じことお互いさまでした。泰子はそそくさと子どもの手を引いてその場を立ち去りました。

 太田静一氏は、世の評家たちは、たまたま路上で会った朝鮮女のうらぶれた姿に中也が同じ宿命を覚え、感慨を催して書いたものとし、そのモデルが泰子であることには一切触れないことに疑問を呈しています。氏は、この詩が敢えて朝鮮女即泰子によってのみ成立していることを再言しておきたいとしています。うらぶれ果てた泰子を朝鮮女に見立てることに問題はありますが、中也と泰子のそれぞれ置かれた状況を世の中の塵埃の中に垣間見ることで人の心を打つというのです。

 この詩では、「朝鮮女」という言葉が問題になったものでしょう。さらにその身なりや風貌の表現にもいささか「蔑視」とみられる言葉が並んでいると思われます。けっきょく、この曲も同じ中也の無難な「間奏曲」に差し替えられてしまいました。


 以上述べた合唱曲以外にも差別用語や言葉狩りで、世の中から消えた楽曲はほかにも枚挙に暇がありません。ここでいちいち例示はしませんが、今後新たに槍玉に上げられる可能性のあるものはいくらであるような気がします。

 「放送禁止用語辞典」(放送自粛用語の基礎知識)なるものがあります。差別語になるなどの理由でメディアが「自主規制」している「放送自粛用語」がリストアップされており、それに対して「言い換え用語」を示しています。

 たとえば「た行」から一部を引いてみると、「第三国人→中国人・朝鮮人」、「立ちんぼ→売春婦」、「知恵遅れ→知的障害・知的発達障害」、「朝鮮漬け→キムチ」、「手落ち→落ち度・誤り・間違い」、「つんぼ桟敷→きこえないところ・蚊帳の外」などと言い換えるよう指示しています。

 言い換えるどころではなくもっと厳しく「使用不可」と規定された言葉もあります。「ちび」や「父無し子(ててなしご)・手手無し子」などがそれで、どちらとも言い切れないグレーゾーンの場合は「使用注意」となり、「出戻り」や「ダルマ」などがあります。中には首を傾げたくなるものもありますが、とにかく現実的には迂闊には喋れません。

 堀口大學作詩、清水脩作曲の男声合唱組曲『月光とピエロ』の中に「ピエロの嘆き」という曲があります。


ピエロの嘆き   堀口大學

かなしからずや身はピエロ

月の孀(やもめ)の父無児(ててなしご)
月はみ空に身はここに
身すぎ世すぎの泣き笑い!


 ここに出てくる「孀(やもめ)」はまだしも、「父無児(ててなしご)」はメディアでは明確に使用不可とされています。しかし、この不朽の名作はいまだに全国で歌い継がれています。そのうち、この曲にも言葉狩りの波が押し寄せてくるのでしょうか。

 


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