第九の歌い手は何楽章から入場するのがよいか


加 藤 良 一

2018年1月3日




 ベートーヴェンの 《交響曲第九番》 は、第1楽章から第3楽章まではオーケストラのみによる演奏、声楽ソリストや合唱団は第4楽章から出番となります。ところが、どの楽章から歌い手が入場するかはつねに問題になります。指揮者によって考え方が大きく異なるからです。歌い手からすれば、第4楽章から入場したいところですが、指揮者にしてみれば、楽章間が途切れることなく演奏を続けたいに決まっています。当然聴衆にとっても最初から全員揃っているほうがいいのです。

 手元にあったNHK趣味百科「第九をうたおう」(1991年)のテキストをパラパラと繰っていたら、「歌い手は何楽章で入るのか」というタイトルが目に留まりました。それは音楽評論家の金子建志氏が、入場の仕方について書いたもので、おろそかにできないテーマです。金子氏は、一般的に考えられるパターンは次の四とおりに集約できるのではないかと述べられていました。

A  ソリストも合唱もはじめ(第1楽章)から入場する
B  合唱ははじめ(第1楽章)から、ソリストは第2楽章が終わったあとに入場する
C  ソリストも合唱も第2楽章が終わったあと入場する
D  ソリストも合唱も第3楽章が終わったあと入場する


 これをわかりやすく図示するとつぎようになるでしょうか。この話に触発されて常々思っていることを整理してみました。因みに、第13楽章までのオーケストラの演奏だけでおよそ45分ほどかかります。

       


◆音楽的に最適なパターンA

A  ソリストも合唱もはじめ(第1楽章)から入場する

 まちがいなく多くの指揮者が望むのはAです。しかし、これは歌い手にとってはかなり厳しいものがあります。45分ものあいだ乾燥したステージ上で何もせずに、強い照明を当てられ、喉が渇いても飲み物を飲むわけにもいかず、じっとしていなくてはならないからです。
 合唱団はそこそこ人数がいますから、演奏中に誰かが一か所や二か所トラブっても大きな問題にはなりませんが、ソリストはそうはいきません。歌い出すまでの時間を少しでも短くしたいのです。

 ヘルベルト・ブロムシュテットは、歌い手も最初から音楽の流れにいるべきとして譲らず、第1楽章冒頭からソリストも合唱団も入場させて演奏したらしいです。これは相当なものですね。

◆合唱団は辛いがソリストは助かるパターンB

B  合唱ははじめ(第1楽章)から、ソリストは第2楽章が終わったあとに入場する

 Bの場合は、合唱団は最初から入場するので、前に述べたような難行苦行を強いられますが、肝心のソリスト保護のためにとられるのでやむを得ないところです。
 4楽章は、先行する第13楽章までの音楽に対し、“O Freunde, nichit deise Töne !”(友よ、このような調べではない)とそれまでの音楽を否定し、新たに歌い始めるという構成になっています。だから、合唱団は最初から入場していればオーケストラの演奏とともに音楽の流れに沿いながら、いざ第4楽章へと気持ちを高揚させて入ることができるのだ、第4楽章で否定されるそれまでの楽章を知ってこそ、初めて歓喜の歌が歌えるのだ、と…慰めのことばがあります。こういわれては反論のしようもありませんが、もしそうであるならソリストも最初から入場していたほうがよいのではないかと首を傾げてしまいますが…、まあこれもギリギリ妥協の産物というところでしょうか。

 もっとも楽器好きオーケストラ好きのなかには、近くで聴いていられるので喜ぶ者もいます。かたや居眠りしそうで危ないという方もいます。ステージの上でコックリされては演奏会が台無しですからね。

 日本合唱指揮者協会理事長の清水敬一氏は、合唱がオーケストラの一部としてシンフォニー全体に「参加する」姿勢を持つことが大切だと仰っています。(「必ず役立つ 合唱の本 レベルアップ編」㈱ヤマハミュージックメディア)。清水氏はパターンB派だと思いますが、ソリストには触れていませんので、Aも念頭に置いているかどうかは不明です。

 Bの変形として、第3楽章が終わったあとDのようにソリストが入場するB’もありますが、私自身は見たことがありません。

◆パターンCは音楽の流れが途切れる

C  ソリストも合唱も第2楽章が終わったあと入場する

 各楽章にはそれなりの意味があり、音楽的に繋がっていますし、とくに第3と第4楽章は間髪を入れずに切れ目なく演奏することが好まれますから、そこで音楽の流れを止めて、ソリストや合唱団を入れることなどおよそ考えにくいことではないでしょうか。指揮者としてはCは採用したくないパターンだと思います。
 合唱団の規模にもよりますが、200人近い合唱団がステージに乗るには5分ほどかかるでしょうから、Cでは第2と第3楽章のあいだがまるで休憩が入ったように間延びしてしまい、音楽の流れが完全に途切れてしまいます。よほど指揮者が妥協しないかぎり実現しにくいパターンでしょう。

◆第4楽章だけがまるで第九かのようになるパターンD

D  ソリストも合唱も第3楽章が終わったあと入場する

 Dは、オーケストラだけの第1~第3楽章と「合唱」の第4楽章が完全に切り離されるので、およそ考えにくいパターンだと思います。ところが、2010年大晦日にロリン・マゼールが「ベートーヴェン全交響曲連続演奏会」で指揮したときは、第4楽章前にソリストが入場したそうです。かなり珍しいのではないでしょうか。

 ここで小噺をひとつ。『第九』を歌うことになったサラリーマンが会社の上司をコンサートに招待したときのこと。

 部長  いやあ、なかなか素晴らしい演奏だったね。僕は音楽のことはあんまりわからないけれど、とても感動したよ。
 係長  それはどうもありがとうございます。喜んで頂けてよかったです。
 部長  オーケストラもソリストもとてもよかった。もちろん合唱もよかったよ。
 係長  練習けっこう厳しかったんです。
 部長  そうだろうね。ドイツ語もずいぶん難しそうだしね。ところで、『第九』の前に延々とやっていたあの曲は何だったのかね。
 係長  ??!!

◆歌い手が入場するタイミングは、指揮者との話し合い
 どの楽章から歌い手が入場するか楽譜に書いてあるわけではないから、もっぱら指揮者vsソリスト、合唱指導者の間で綱引きが行われることになるのです。そんなことから、笑えない笑い話もたくさんあります。

 たとえば、ある演奏会でソリスト陣が自分たちは第3楽章が終わってから入場したいと主張し、指揮者の承認を取り付けました。つまりパターンB’です。ところが、その指揮者ふだんは合唱とソリストを先に入場させるパターンBでいつもやっていたものですから、第3楽章の終わりのピアニッシモが消えたとたん、ソリストを入れることをすっかり忘れ、そのまま終楽章にアタッカで切れ目なく入ってしまいました。慌てたのはソリストです。とにかく歌が始まるまでに所定の位置につかねばなりません。ソリストたちは、コントラバスのレシタティーヴが流れるなか、何ごともなかったかのようにステージに出ていったということです(‘;’)

 また、別のケースでは、指揮者が歌い手は絶対に初めからステージにいるべきと主張しました。パターンAですね。ところがその時のホールには合唱団用のベンチがありませんでした。そこでどうしたかというと、あろうことか、合唱団員全員がひな段に座り込んで第4楽章まで待っていたそうです。私は、さすがにこんなステージは見たことがありませんが、ずいぶんカッコの悪い演奏会となってしまいましたね。

 サントリーホールのように舞台の後ろにも客席があるワインヤード型ホールでは、合唱団の席がさほど高温にならないため、第1楽章から入れることが多いといいますし、いっぽう、東京芸術劇場のようないわゆるシューボックス型のホールでは、舞台の上が高温になるため、第2楽章と第3楽章の間で合唱団を入れるのが一般的ともいわれています。

   
ベートーヴェンのライフマスク

妙に渋そうな顔をしていると思ったら、どうやら顔に石膏を塗られるのを酷く嫌ったようです
 歓喜への頌 第九交響曲終曲合唱(ピアノ伴奏付)
昭和
301955)年1210日出版
太陽音楽出版社発行 定價百五十円
(古書店で入手)
 






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