第 3 回 公 演


2022年12月11日、狭山市市民会館大ホールにて上演

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twitter:渋沢平九郎プロジェクト





 
NHK大河ドラマ『青天を衝け
渋沢平九郎役 
岡田健史さん(埼玉新聞)


このドラマは、令和3年(2021)12月26日に最終回を迎えるまで計41回にわたって放映された
平九郎は第25回の放送に於いて、振武軍として政府軍と戦い飯能の地で戦死した


 
第 2 回 公 演


2021年12月11日、飯能市市民文化会館にて上演

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鈴木遥佳/歌劇「幕臣・渋沢平九郎」第2幕 恋慕のアリア(作曲:西下航平) - YouTube
 

初 演


2021年2月6日、深谷市民文化会館にて上演




鈴木遥佳 <歌劇 幕臣・渋沢平九郎>第2幕 「恋慕のアリア」 作曲:西下航平





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コロナ禍乗り越えオペラ上演<歌劇 幕臣・渋沢平九郎> 
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フルオーケストラとプロソリスト+合唱で創り上げたオペラの顛末を描いたものです

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 尾行方知れずの平九郎の首級(本文47頁)について
 この本をお読みいただいた読者の方から「行方しれず」の平九郎の首級について次のようなご質問がありました。
(平九郎の首に関して)澁澤家に関連のある記録からも、首を含め、明治67年頃に谷中霊園に納められたとあるのですが、もし現在も離れ離れなのだとしたら気の毒ですし、とても辛い気持ちになってしまいました。
https://tobira.hatenadiary.jp/entry/20190329/1553843962
  ご指摘の部分は、首が法恩寺に葬られた時点での話で終わっているのでそのような表現になってしまいましたが、後日談としては、下記のように谷中霊園に埋葬されています。貴重なご指摘ありがとうございました。
(平九郎が自刃したのち)首は越生町法恩寺の門前にさらされ、首のない遺体は、これを憐れんだ村人の手により、黒山の全洞院の墓地に葬られました。明治元年(1868)11月、栄一はパリから帰国しますが、この時点ではまだ平九郎の安否は分かりませんでした。方々手を尽くして平九郎の行方を捜しますが、ようやくそれが分かったのは、明治6年(1873)になってからで、この年の8月、栄一は家令の芝崎確次郎に命じて、その遺体と首を引き取らせ、上野寛永寺において法要を営み、谷中の墓地に改葬しました。                                「渋沢栄一の世界研究所」より
(2021年4月2日 加藤良一)

 渋沢平九郎の享年は22歳
 尾髙惇忠(じゅんちゅう)研究家の荻野勝正さんより、平九郎の享年は22歳であると、下記のメッセージをいただきました。これは本文46頁「平九郎自決の地」で、高麗博茂編纂『飯能戦争秘話』を引用し、平九郎の享年については資料により多少のブレがあり、ここでは22歳とされている」と書いたことに対して、下記の理由により22歳が正しいとのことです。
 「尾髙家の直系尾髙新吾氏より生前、尾髙惇忠自筆の戸籍(家系メモ)の複写をいただいており、その中で平九郎の生まれ年は弘化四年丁未生(1868年)、明治元年戊辰五月二十三日戦死(1847年)年二十二。入間郡黒山村。」と書かれており、平九郎の享年は22歳が正しい」とのこと。
(2021年4月16日 加藤良一)





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