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東欧のブラジルはいまいずこ

 

 


加 藤 良 一



2002/4/16

 


 

 

クロアチアが、1998年のワールドカップ・フランス大会で初出場ながら3位に入ってしまった。驚異的なあの強さを戦前にいったい誰が予想しえただろう。

 日本はこの国を相手に本気で勝つつもりでいたのだ。オレもそう思っていたし、みんなもそうだった。オレには、東欧のサッカー事情は本当のところよく分からない。東欧は今でこそ落ち着いているが、以前はつねに内戦が絶えず、分裂と独立とを繰り返していた。だからとても複雑だ。東欧の地図が今どうなっているか、それさえ定かじゃなかった。

 クロアチアについて語るには、まずユーゴスラビアの歴史を知らねばなるまい。クロアチアは、昔のユーゴスラビアが分裂してできた国である。「東欧のブラジル」とまでいわれたあのサッカー強国ユーゴスラビアは、いまどうなってしまったのか。

 旧ユーゴ、いわゆるユーゴスラビア社会主義連邦共和国と呼ばれれていた国は、分裂に分裂を重ね、1991年には、スロベニア共和国、クロアチア共和国、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国、ユーゴスラビア連邦共和国(新ユーゴ)、マケドニア共和国の五つの国に分裂してしまった。新ユーゴはセルビア共和国とモンテネグロ共和国の連邦国家。もともと一つの国だったのが、これだけ多くの国に別れてしまえば1991年以前の強かったユーゴ代表も今では五分の一、いやそれ以下の戦力となってしまったのではないか。

 たとえば、J1の名古屋グランパスにいたピクシーことドラガン・ストイコヴィッチはセルビア人、ボバン、シューケル、プロシネチキ、ボクシッチはクロアチア人、サヴィチェヴィッチはモンテネグロ人、パンチェフはマケドニア人、ハジベギッチはムスリム人といった具合で、それぞれの母国()へ散ってしまった。
 それに東欧のどの国も日本にくらべると貧乏な国ばかりだ。遠征費用だってままならない。そんな情報を総合した結果、あのときのクロアチアがそれほど力を持っているはずがない、おそるに足らずと思い込んでしまった。これがそもそも「東欧のブラジル」を読みまちがった原因だろう。

 写真家兼ノンフィクション・ライターの宇都宮徹壱さんの書いた「幻のサッカー王国」という本は、東欧の現状を内側から描き出していて面白い。この本は、宇都宮さんがバルカン半島を旅して東欧各国のサッカーを訪ね歩いた記録だ。
 宇都宮さんは、ストイコヴィッチのことやユーゴスラビアのことを知りたくて、会社を辞めてまでバルカン半島の国々へ行ってしまった人である。このことだけをとっても尊敬したくなるような人物だ。
 19972月、大したあてもないのに宇都宮さんは、カメラマンになるつもりで、治安の悪い東欧へ単身出かけ、旧ユーゴの国々でサッカーを観ながら、写真を取り続けた。旧ユーゴの厳しい現実に直面し、危険な思いもしながら、こんなことを書いている。

どんなに遠い国に行っても、よほどの人外魔境でもない限り、人々が暮らす場所には必ずフットボールがある。そしてどんなに民族や宗教や文化が異なっていても、フットボールのルールはひとつだ。これほど世界が混迷の度合いを増し、これほど人々の価値観が揺らいでいる二〇世紀末にあってなお、普遍的に存在し、世界中の人々を魅了し続けているフットボールは、まさに人類の奇跡であると言えよう。フットボールがこの世にある限り、世界中どこへ行っても不安を覚えることはないし、言葉が通じなくてもきっと理解しあえる。わたしはそう確信している。

 

 オレもこうあって欲しいと願うが、現実はなかなか厳しいものがある。宇都宮さんは、サッカーのことを正しく「フットボール」といっている。フットボール=サッカーの語源については別の機会に譲るが、サッカーをフットボールというあたり、かなりのこだわりを見せつけてくれる。

 ワールドカップ直後の19987月にも、セルビアのコソボで、分離独立を目指すアルバニア系武装組織「コソボ解放軍」が、西部の町オラホバツに攻撃をしかけ、セルビア治安部隊と激しい攻防を繰り広げたりした。大規模な戦闘の結果、百人以上の死者を出している。これにくらべれば、サッカーを手放しで喜んでいられる日本は平和だ。

 平和ついでに、男声合唱の名曲中の名曲、これを知らないと間違いなく、潜りだと思われてしまう曲を紹介しよう。その名は「U Boj! (ウ・ボイ=戦いへ)、力強い男性的な合唱曲だ。なぜ「ウ・ボイ」を引っ張り出したかというと、これがクロアチアの有名な曲だということを知ったのは、じつはそんなに昔のことではないからだ。もちろん、クロアチアでは誰一人として知らぬ者がないという。

 ときは元禄9820日、オスマントルコの大軍に包囲されたクロアチア、シゲット城にたてこもる兵士が決死隊を編成し、祖国の不滅を信じて城主ニコラ・シューヴィッチ・ズリーンスキーを先頭に、敵軍へ勇猛果敢にも切り込んで行く情景を歌った勇壮だが悲壮感溢れる曲である。

 詩は愛国詩人マルコヴィッチ、曲は国民的作曲家ザイツがつけた。ザイツは、このシゲットの戦いを歌劇「ニコラ・シューヴィッチ・ズリーンスキー」として完成させた。舞台最後の場面で大合唱となるのがこの「ウ・ボイ」だったという。差し詰めクロアチア版「忠臣蔵」というところだろうか。


 ところで、1998年のワールドカップ・フランス大会に出場したクロアチアの選手は、「ウ・ボイ」を歌いながら試合に臨んだろうか。あのシューケルが、あのボバンが果たして「ウ・ボイ」などを歌うだろうか。もし歌っていたとしたら、いや歌わなくてもその意気込みがあったとしたら、あのときの日本は負けてもしかたがなかったとあきらめよう。

 




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