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サッカーのルーツを探る


加 藤 良 一

2002年4月30日
 

 

 

 サッカーはいつ頃始まったのか。何冊かの本にあたったが、残念ながらこの疑問に対する明確な答えはどうもなさそうだ。それは、本に書かれたり記録に残っているものだけをとって“最初のサッカー”とすることはできないからでもあるからだ。記録になど残らなくとも、サッカーの原形になるスポーツがやられていた可能性を排除することは、さらにむずかしいことである。

 日本では蹴球のことを「サッカー」Soccer と呼んでいるが、これは世界的にみるとかならずしも一般的な呼称ではない。多くの国では「フットボール」Football と呼んでいる。じつはフランスで、サッカーではなくやはりフットボールでないと通じにくいことを身をもって経験したことがある。1998年、ワールドカップ・フランス大会を直前に控えた3月のことであった。W杯を記念して出された珍しい丸型のサッカー切手がほしくて、パリ市内の郵便局を探し歩いた。フランスでもとうぜん人気の切手だから、東洋の端っこからのこのこやってきた日本人に残された切手などあるはずもなかろうに。

 最初に行った郵便局で“Do you have a soccer stamp? ”(サッカー切手ありますか)と聞いてみた。恥ずかしながらフランス語など喋れないから、精一杯の英語で聞いてみたわけである。一緒にいたワイフは、傍らで不安そうな顔をして立っていた。女性局員は一瞬怪訝な顔をして、なにやら分からない言葉を発した。フランス語かそれとも英語かそれすら判然としないが、やけにフランス訛りがあるじゃないか。でも何をいっているのか分からなかった。相手だって、きっとびっくりしたことだろう。





 

 フランスは「融合」の国といわれるくらい、多くの国からの移住者が住んでいる。ぼくらのような東洋人もいたるところにいる。そんなどこにでもいるような男が、いきなり変なことを言い出したらおどろくだろう。そこで、もういちど同じことをゆっくり伝えたが、それでもなかなか通じなかった。精一杯の英語で喋っても通じないときは、正直なところあせるものだ。もっとも、こんな失敗もアメリカやヨーロッパで何度となく繰り返してきたから、いまさらかまうもんかと開き直ってはいるのだが。
 女性局員に何とかこちらの目的を伝えるにはどうしたらよかろうか、と考え直してみた。欧米ではサッカーではなくフットボールであると承知していたから、そこで、フットボールといってみたらなんなく通じてしまった。めでたく通じはしたが、残念ながら肝心の切手はすでに売り切れであった。

 記念切手は、ほぼA4サイズもある大型で、厚い台紙に貼り付けられたシールタイプの珍しいものである。もう手に入らないと諦めて帰国したのち、日本でも通信販売されるという情報を聞きつけ、ようやく入手することできた。
 英語が下手なことを差し引いても、とにかくフットボールというほうが通じやすいことがこの経験でよくわかった。その後、探し歩いた郵便局や売店ではすべてフットボールといったのは当然である。
 日本では、日本サッカーリーグと呼んでいるが、ちなみに英文名は Japan Football League 略してJFL、つまり「フットボール」リーグなのだ。日本ではサッカーでないと通じにくいと判断してそうしたのだろうが、日本の常識=世界の非常識、の一例でもある。



治安維持のために発せられたる布告

 国王陛下におかせられては、敵を討伐せんがため、スコットランドの諸地域に赴かんとなされおり、治安を維持するようわれらに厳命を下されたり。しかも、公共の田野における大規模なる蹴球より生ずる騒動が原因にて、市中に大騒動が起こりおり、それよりあるいは数々の不祥事の生ぜんやも知れぬ状況に鑑み――そは断じてあるまじきことなれど――国王陛下に代りて、以後市内にてかかる競技を行うことを厳禁し、これに違背する者は獄に投ずるものなり。

ロンドン市長 ニコラス・ド・ファーンドン


(フットボールの社会史 F・P・マグーン・ジュニア著より)
 

 14世紀のイングランド、街路で行なわれた蹴球試合において、あまりの暴力沙汰が頻発するのに業を煮やしたロンドン市長によって「治安維持のために発せられたる布告」がこの蹴球禁止令である。その頃の蹴球は、現在のサッカーとは似ても似つかぬもので、いわば喧嘩祭りのようなものであった。少なくとも一定のルールに従うスポーツではなかった。この頃の蹴球はサッカーというより、見た目にはむしろラグビーのほうが近いだろう。

 中世の狭い街路を使って繰り広げられたこの遊びの唯一ルールらしいものといえばせいぜいゴールの位置が決められていたくらいだ。あとは好き勝手にボールを奪い合うものだった。道路に溢れた数百人の競技者たちが、入り乱れて相手ゴールを目指すというきわめて単純な祭りだった。単純なだけにおおいに盛り上がったとも想像される。
 祭り会場の街路に面した家はいたるところで壊された。なるほどなと思い至ったのが、小学生の頃、東京目黒での神輿祭りのことである。肩の皮をひん剥いてまで必死になって担いだものだが、神輿を担いで狭い路地を通り抜けるときには、塀に押しつけられて挟まれそうになる。そこで、塀やらそこいらに置いてある木製のゴミ箱などに足をかけて踏ん張ったものである。木でできた塀やゴミ箱はいとも簡単に壊れてしまった。昔の東京下町はどこも木で作られていたものだ。

 さて、中世の蹴球では、危険な体当たりも暴力まがいのプレーもまかり通る始末だった。道路のそこかしこに負傷者が横たわり、まさに修羅場となっていた。どこの国にも似たような危険な祭りがあるものだ。抑圧された民衆の不満の吐け口になっていたのだろう。
 なかにはもっと凄い話しがある。1321年、チェシャーのヴェイル・ロイヤルで修道院の召使が殺されたが、殺害者たちはその生首で蹴球をしたという。なんとも残酷なことだが、生首がうまく転がるわけなどなかろうに…。


 けっきょく、サッカーの本当のルーツはよく分からないが、近代的蹴球ということに的を絞ればもうすこし見えてくるだろう。
 イングランドには、はるか昔からさまざまなかたちの蹴球が行われていた。ウェストミンスターやチャーターハウスなどのロンドンの学校で行なわれていた、いわゆる協会式 Association footballのちにサッカーとなり、ラグビーの学校で行なわれたラグビー式蹴球がいわゆるラグビーとなったといわれている
 つまり学校で行なわれていたものが発達し、体系的に調整されたことがどうやら近代サッカーのルーツのようである
。ちなみにSoccer Associationの口語的短縮形で、この言葉が使われ始めたのは比較的新しく1891年だという。

 山本浩著「フットボールの文化史」は、イギリス文化の深い理解のもとに、サッカーの歴史を紹介した面白い著書である。山本氏は、ひとくちに「イギリス」といっても日本人が考えるほど簡単で一様な国ではないという。一般にいう「イギリス」という言葉は、二通りに用いられる。
 ひとつは現在の国家としてのイギリス、つまり「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国United Kingdom of Great Britain and Ireland を指す場合で、グレートブリテン島を構成するイングランドスコットランドウェールズ北アイルランド(アイルランド島の北部六州)の四地域からなる連合王国のことである。

 これに対して、イングランドだけを指してイギリスという語が用いられることがあるから混乱が生ずる。それは
Englishman をイギリス人といったり、イングランドの国教会で Church of England をイギリス国教会といったりする場合である。
 英語では、国家としてのイギリスは United Kingdom Britain といい、イングランドについては当然 England というので混乱はないが、日本語ではどちらもイギリスと呼ぶので不明確になってしまう

 もともと別の国であったものが、13世紀後半にイングランドがウェールズを征服併合し、18世紀初頭にイングランドとスコットランドが合体し、グレートブリテン島は統一された。19世紀になってアイルランドがグレートブリテン王国と正式に合体し、現在の連合王国となっている。
 現在でもこれらの四地域は独自の文化や慣習などの長い歴史を持っているため、それぞれ独自性を発揮している。スコットランドは、スコットランドだけで通用する紙幣を発行しているのもその一例である。


 現代サッカーの起源になったフットボール・アソシエーションは、「イギリス」ではなく「イングランド」で出来た、が正しいことになる。もちろんラグビーも同様である。




 



 

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