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日韓サッカー 日本の勝率18%




 

加 藤 良 一

 


 

 

生まれ故郷の東京目黒は、ごちゃごちゃとした町で、狭い地域にいろいろなものが詰め込まれていた。近くを流れる目黒川は、品川沖まで近いこともあって、船着場がいくつもあった。わが家は、目黒不動尊と目黒駅のちょうど中間くらいの場所にあった。今はもう人手に渡っている。
 近所にボーボーちゃんと呼ばれる朝鮮人の男の子が住んでいた。ボーボーちゃんの家は黒く塗ったトタン板の塀に囲まれた小さな平屋だった。ボーボーちゃんは、朝鮮人だけの小学校へ行っていた。ときどき薄暗いボーボーちゃんの家に入り込んではトランプで遊んだりした。
 まだテレビもじゅうぶんに普及していない昭和30年代のことであった。記憶はあまり定かではないが、どこか近所の家でテレビのプロレス中継をみていたときのことだった。ボーボーちゃんのお父さんが、テレビに向って「リキトーサン、カンパレ」と応援していた。同胞の力道山が日本の国民的ヒーローとなっていることがうれしかったにちがいない。とにかくボーボーちゃんのお父さんが日本語の濁音をうまく言えなかったことだけは、いまだに鮮明に覚えている。
 朝鮮の人が日本語をうまく話せないのは当たり前である。彼らにとって日本語は外国語なのだから、必死になって覚えた能力を褒められることはあっても、けなされるいわれなどないはずである。しかし、あの当時、日本人の大人は決まったように朝鮮人を忌み嫌っていて、それが僕たち子供にも影響していた。そんな環境で育ったから、朝鮮人はネガティブな形でぼくのこころの中に仕舞われていった。そのいっぽうで、ボーボーちゃんやその家族のことを考えると、いったい彼らのどこが悪いんだろう、ひょっとしたらぼくらの知らないところで何か悪いことでもしているのだろうか、といつも何か割り切れない気持ちになった。

 日本サッカー協会発表のデータによると、日本と韓国は1954年以来48年間に62試合対戦している。現時点の戦績は、日本が11勝35敗16引分けと完全な負け越しが続いている。日本が勝った割合は18%、韓国は56%、勝ち点にすると日本49点、韓国121点となっている

 これを10年単位でまとめ直してみると下表のようになった。

 

日本の戦績

勝ち点

日本の勝率

分け

日本

韓国

54〜63年

10

25

.40

64〜73年

19

.21

74〜83年

13

13

43

.30

84〜93年

10

19

.53

94〜00年

12

15

.80

トータル

11

35

16

49

121

.40

 

 こうして日韓サッカーの歴史を見直すと、日本がほとんど勝てない時代がいかに長く続いていたかがよくわかる。ようやく日本が互角に戦い、少しづつでも勝てるようになったのは90年代からだが、最近の10年間に絞るとほぼ互角に近いところまで追い上げてきている。
 隣国同士というのは、特別な敵対意識をもつことが洋の東西を問わず多い。とりわけ日韓両国の間にはなかなか清算されない歴史的問題が横たわっている。日本に占領された韓国は、母国語を廃止し日本語を強制されるような屈辱を味わっている。いまでもその記憶から抜け出せずに排日感情を露にする人々がたくさんいる。痛ましい戦争の傷跡である。
 韓国の人々は、過去の屈辱をそうたやすくは忘れない。この排日感情が表面化したのではないかと思わせる出来事が、日韓共催のW杯であった。

 6月18日、決勝トーナメント第1戦、日本対トルコ戦は午後3時半に宮城スタジアムでキックオフした。それから5時間後の夜8時半には韓国対イタリア戦が、韓国のテジョン・スタジアムで組まれていた。試合は、日本がトルコに互角以上の戦いをしていたが、前半早い時間帯に入れられた1点を覆せず苦戦を強いられていた。
 いっぽう韓国対イタリア戦が行われるテジョン・スタジアムには、たくさんの韓国サポーターが詰めかけ、日本の戦いを固唾を飲んで見守っていた。共催国として勝敗の行方が気になるのは当然である。
 ところが、テジョン・スタジアムの韓国サポーターは、日本を応援しなかった。応援しないばかりか日本の敗戦を望んでいたのである。スタジアムにいた報道陣はじめ日本人関係者にとって、そのショックは大きかった。これが共同開催国としてともに大会の成功を目指す仲間なのか。ともに決勝トーナメントを勝ち進もうとスクラムを組むはずではなかったのか。
 この事実は、あまり一般の人には知られていない。それは普及率の低い衛星放送スカイパーフェクト TV での放送だったからである。さて、韓国が日本の負けを願うようなテジョンでの現象をいったいどう受けとめたらよいのだろうか。たんなる反日感情から出たことなのだろうか。それ以外に考えられることはないのだろうか。

 韓国が強豪イタリアを破るのは至難の業だと思われていた。韓国のサポーターには申しわけないが、誰もがまさか韓国が勝てるとは思っていなかった。しかし、韓国としては日本より下位になることは断じて許されない。そこで、まず日本が負けるのを見届けておけば、あとは万一韓国が負けても日本より下になることはない、そんな気持ちだったのだろうか。
 仮にそうだったとしたら、あの事態はそれなりに理解できるような気がする。サッカーは純粋に勝負の世界である。国威をかけた熾烈な戦いである。しかし、サッカーにとくに思い入れのない日本人には、サッカーの試合に国威をかけるなどということは理解の外であろう。ところが、韓国にとってサッカーは他の世界の国々と同じように、国技にもなっている最高レベルのスポーツであり、歴史的にも日本をリードし勝ち越しているいま、重要な節目であるワールドカップの舞台で日本より下位になるなど我慢ならないはずである。つまり、サッカーだけは負けたくない、それが隣国日本であればなおさらのこと。その結果が、テジョン・スタジアムの韓国サポーターを反日感情と勝負へのこだわりが複雑に絡み合った奇妙な行動へと駆り立てたのかもしれない。

 日本人は何でも忘れやすい気楽な民族らしい。とくに日韓のあいだでは、日本は戦争加害者である。一般に加害者は事件に関する意識が、被害者にくらべて低いのがふつうだという。韓国の人々にしてみれば、民族を踏み躙られた過去の屈辱をそうやすやすとご破算にできるはずもない。戦争経験者が減少し、すこしづつ記憶が薄れかけてきてはいても、韓国はまだまだ日本を絶対に負けられない特別な相手とみている。
 それにしても、最近の日本の強さを見るにつけ、韓国の人々の心中は穏やかではないにちがいない。しかし、日本は今でこそワールドカップで勝てるようにはなったが、4年前のフランス大会では勝利はおろか勝ち点も奪えない状態だったことを忘れてはいけない。まちがいなく日本の実力は目に見えてアップしているけれども、その躍進のウラには、自国開催という地の利を背景にしたさまざまなアドヴァンテージがあったことは無視できない。
 注文をつけるなら、韓国はもう少し大人になってくれてもよかったのではないかということである。そうでなければ、イタリア・セリエAのペルージャのガウチ会長が起こした騒動に文句を言うことはできなくなってしまわないか。
 ガウチ会長の発言とは、ペルージャに所属していた韓国のアン・ジョンファンがゴールデン・ゴールを決めてイタリアを負かしたのはけしからん、二度とペルージャに来るな、お前はクビだ、とわめいたことをさす。これでは、まるで駄々っ子だ。もし本気でこんなことを言ってはばからないとしたら、これほどサッカーを冒涜することはない。イタリアのために八百長試合をしろとでも言うのか。それほど韓国がイタリアを破った意味は大きい。

 サッカーは熱狂すると何が飛び出すかわからないスポーツである。もう少し大人になってゲームを楽しみたいものだ。

(2002年6月24日)

 

 







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