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ああ還暦野球(上)



中尾紀代史

 


 

 

 定年退職後しばらくして誘われるままに市内の野球クラブに入った。面白くなって介護保険の年になっても夢中になってやっている。

 こう言うと廻りからは良く笑われる。「なにも今更野球なんて…、ケガをするぞ…、ゴルフぐらいにしておけ…。」 何しろ野球経験は殆どなく、しかも退職前の20年間、運動らしい運動は何もやっていないことを皆知っているからである。

 また理解を示してくれる人も、還暦野球と言えば、お遊び程度に軽くやっていると思っておられる。しかし少年のような純粋な気持ちで無邪気に、それでいて真剣にしかもハードに野球に取組んでいる年寄りは極めて多いのである。

 我がクラブは全日本生涯野球連盟に加入しており、年代別に壮年、熟年、還暦、古希チームの4チームから構成されている。私も知らなかったが古希になってもやっている人が大勢いるのである。その中で一番活動しているのは、時間の余裕があり体力もほどほどに残っている還暦チームであるが、その熱中度を説明するのに、昨年の暮れにチームのマネージャから、メンバーの家族当てに配布されたFAXを拝借させていただく。

 年の瀬もせまり木枯らし身にしむ昨今です。本年も一年間ご支援、ご協力頂きまして誠に有り難うございました。
  一年間の成果としては優勝2回、準優勝1回。試合に臨んだ日数は24日(ダブルヘッダー有り)、試合数は35試合(27勝8敗)、練習日数は51日、合計=75日は1年間の約20%強に当たります。
 このことは、一重にご家族の皆さまのご協力があって出来ることです。本当に有り難いことです。心より感謝いたします。
 現役を退き還暦を過ぎると、年々身体の変調をひしひしと感じます。まず、口の方は元気ですが、目、歯、足、腰が衰え、動作は鈍くなり記憶力も悪くなっていき、いわゆる年寄りのパターンです。これは、誰もが通る筋書きですが、この状況を少しでも先に送る努力をする必要があると考えます。
 幸い我がチームは趣味の「野球」で寄り合った集団です。お互い、心身共に競い合い、また鍛え合い、少しでも老人と言われることを先送りする努力をしたいと考えています。
 風評で「いい年をして野球なんかして・・・」とお聞きになることがあろうかと思いますが、私はいい年だからやるべきであると考えています。いつまでも心豊な、また若い人たちにも迎え入れられる人間を目指し、これからも頑張っていきます。
 勝手な言い分と承知していますが、何卒、来年もご家族皆さまのご支援、ご協力よろしくお願い申し上げます。 
                                                                                    以上


 我が還暦チームのメンバーは28人、高校時代の甲子園を目指した硬式野球の経験者が半数以上を占める。戦績から分るようにレベルは相当に高い。50年以上継続してやっている人が多く、彼等の体力は物凄い。プロ並みの900gの重い木製バットを振りまわし、90mぐらいの球場なら柵越えのホームランを打つ者がいる。使い慣れた木製のバットを好み、金属バットなど必要ないと言う。因みに大リーグのイチローのは935gで、軟式野球用の標準は720gである。

 我がチームのエースは120Km/hrの速球を投げ、ダブルヘッタ−を軽くこなす。しかも現役のチームにも所属しており、今までの生涯勝利数は、プロの名球会入りのための条件である200勝どころではなく、1000勝以上と聞く。記録をきちんとつけて絶えず反省をしている。防御率は勿論、四球を出さないことが投手としての最高の責任との信念の基に、無四球試合を続けることにこだわる。

 捕手は強肩もさることながら、一塁へのカバーを欠かさない。炎天下の試合では捕球するだけでも大変なのに、それでもマスクをかなぐり捨てて走る元気者である。
 実は誘われたとき私も、定年後の暇つぶしにのんびりやれば良いと思っていた。ところが大違いであった。予想以上に皆がうまいのに対して、自分は体力が衰え、筋肉が硬くなっていたことを練習初日に思い知らされた。

 準備運動のあとの軽いキャッチボールすら上手く出来ないのである。ボールが言うことを聞いて呉れない。何しろボールを握ったのは20年振りだったので、指先の感覚がまるでなく至近距離からでも前後左右にばらついた。キャッチボールは並んで行うが、他のコンビの人に行くこともあって何回となく頭を下げた。又トスバッテングでは半分近く空振りをした。そこで他の人には必要の無い後方要員を私にはつけてくれた。最悪なことに、次のバッテイングマシンを使ったフリーバッテイングで、外野の守備についてボールを追いかけていたところ、太股の裏側に激痛が走った。当分の間、絶対に無理はしない様にと予め監督からも言われ、良く良く自分にも言い聞かせていたのにこの始末である。

 その後、皆さんからボールの握り方などの基礎的なアドバイスを受けながら、無理をしない範囲で練習を続けたが、殆ど進歩がなかった。そこで自主特訓をすべきだと考えボールを10個買い、ウイークデイは開放されている無人の陸上競技上の芝生の上で、遠投の練習をした。芝生のため大して転がらないので、反対側に行って投げ返すのである。バットの素振りも重ねた。

 また皆と話していて野球知識に欠けていることが分ったので、本を数冊買い込み何回と無く読み返した。

 また今まで巨人の負け試合しか見なかったプロ野球と、大リーグを研究しながら見るようになった。参考になりそうな選手についてはビデオに撮り、スローにしてプレイの細部を観察した。その結果、今まで気付かなかった多くの事を発見出来た。投球フォームとして野茂の投げ方が気にいった。胸の張りを使うとともに体全身の筋肉を使って投げるのは非常に合理的であると感じた。試してみると、今まで肘にかなりの負担がかかっていたのが少なくなり、遠投距離が伸びてきた。

 スローイングの上手い人はスナップスローだけで軽く投げても実に良く球が走る。しかしこのような高級な投げ方にするには時間がかかりすぎることと、当面外野から内野への中継プレイが出来れば良いので、野茂式の投げ方に固めることにした。風呂上りなどにストレッチングを兼ねて窓ガラスに向かってシャドウピッチングをしてフォームを固めた。

 バッテイングではイチローのフォームを研究した。彼は独自の何種類かのフォームを開発していて、投球に応じてそれらを使い分けていることが分った。その中の一つに、多少ゴルフで言うスエイはするが、ボールが投手の手から離れる前から、バットを振る体制を始動し、最期までボールを良く見て打っている事に気付いた。そこでこれを採り入れたところ、かなりの速球にもついていける様になった。

 ボンズのフォームも気に入った。振り出しはコンパクトであるが大きなフォロ−スイングをしており、これがホームラン量産の秘訣であろう。そのために前足を固定して球を捕らえた瞬間に、ハンマー投げをする様に遠心力を働かせている一瞬があると解釈した。このフォームも素振り練習を重ね練習で試してみた。遅い球の場合の効果を感じた。
 以上のフォ−ムは真似できているわけでなく、真似している積りに過ぎないが。

 1年過ぎて時々行なわれる紅白試合では、長打も打てるようになった。それよりも嬉しかったのは、体がしまってきたことである。体重は4Kgほど減った。当初、練習した翌日は満身創痍で、特にアキレス腱は靴下を履くときに触っただけでも痛かったのが、何ともなくなってきた。アキレス腱は2倍ぐらいに太くなり、走ることが苦痛ではなくなった。また炎天下2時間の練習にも耐える体力も出来た。それよりも更に嬉しかったのは、かなり気にしていた人間ドックの検査値の大半が、正常になっているではないか。野球様々である。

 ところで、全日本生涯野球連盟主催の大会は盛んに行なわれている。年代別の県大会、関東大会、全国大会等の公式戦が2回/年ある。全国大会に出場するためには14チームで争われる県大会で優勝しなければならない。これが我がチームの大きな目標であるが、この2、3年あと1歩のところで逃している。予選リーグ、決勝トーナメントで計4勝しなければならないが、試合はグランド確保の都合上、平日の連続した2日間に行なわれるので、レギュラー全員が都合をつけて参加出来て、技術もさることながら、強靭な体力とチームとしての層の厚さが要求される。

 その他に、町興しのために地方都市が主催する大会も多い。また我がチームは、県内外の幾つかのチームとホーム・アンド・アウエイ方式での定期戦も行っている。全国の還暦チーム数は、県内の50倍の700チームぐらいではなかろうか。

 我がチームは実にうまくいっている。根っからの野球好きが集まっていることも然ることながら、献身的にチームを支えてくれている人が多いからである。喜んで引受けて呉れているマネージャーは、球場の確保、日程の調整、練習相手との交渉、遠征先の旅館の確保、本部役員としての任務等を行っている他に、個人成績を集計し、これらを毎週の様に広報として発行している。

 遠征にはマイクロバスのレンターカー借りるが、大型免許を持つ二人が運転する。帰りの車中は、コンビニで買い込んでの酒盛りになるが、世の中はうまく出来ているもので二人とも1滴も飲まないし飲めない。それでいて酒盛りの雰囲気が好きなので、我々は気兼ねすることなく、飲んで騒ぐことが出来る。

(続く)
 

 






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