この色紙は「ぎょふのしょうがい このいっかん」と読むのだと思います。
多田武彦先生は、多くの男声合唱愛好家に「タダタケさん」と親しみを込めて呼ばれていました。この色紙を書いて頂いたのは、2005年、男声合唱プロジェクトYARO会が多田武彦先生をお招きして開いた「多田武彦合唱講習会」が終わったあとのことでした。その後、タダタケさんとYARO会のお付き合いは一気に深まってまいりました。
漁夫は生計を立てるのに釣り竿が一本だけあればよい。余分な収穫や蓄えを得ようとすれば、心が囚われ人生が不自由になる。肩書きとか華美な衣服や高価な道具などは、本来無用であるという意味の禅語です。タダタケさんは、これを座右の銘とされ、男声合唱という一本の竿を生涯大切にされてきました。この禅語には他に「竿一本」という場合もあるようですが、タダタケさんは「此一竿」ともじったのではないでしょうか。
京都大学卒業後、銀行に就職、そのかたわら作曲活動をはじめ、いずれそれを本業として選ばれました。そして、合唱曲とりわけ男声合唱という一本の釣り竿に想いを託し、持てる才能を注ぎ込んだのです。このような創作活動を晩年まで続けられた人生に悔いることはなかったと拝察されます。
タダタケさんは、2017年12月12日に87年の生涯を閉じられました。その後、翌1月8日にご家族から公表された手紙には次のような故人の遺志が認められていました。
「…故人からは、所属しておりました日本音楽著作権協会の会報により、訃報欄への記載を通じて行われると聞いておりました。会報が出るのは二月頃なので、暮れや新年をお騒がせする事なく、私達も心身の休養が出来ることをありがたく思っておりました。…」
訃報を広く流すことなく、静かに去って行かれるおつもりだったのでしょうか。タダタケさんの想いが今さらのように伝わってまいります。まさに男声合唱組曲<雨>の終曲、八木重吉の詩による「雨」の一節を彷彿とさせます。
加 藤 良 一 2018年6月13日
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