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ウ イ ル ス 菌




加藤良一

2004年11月13日
 



 
11月ともなるといよいよ風邪のシーズンの到来である。
 ふだんからの予防が肝心なのだが、かならずしもこれだという決め手がないところが辛い。年末年始にかけて喉を使う人──とくに歌手にとっては、とにかく厄介なシーズンである。

 風邪の原因がウイルスによるものであることは、いまでは小学生でも知っている。ところで、風邪の原因がウイルスだとわかったのはそんなに古い話しではない。あまりお馴染みではないだろうが、ヘモフィルス・インフルエンザという微生物の名前を耳にしたことがあるだろうか。この名前を一般の人が聞いたら、おそらくインフルエンザを起こす悪い菌だと思うにちがいなかろうが、じつはそうではない。ヘモフィルス・インフルエンザはウイルスではなく細菌 (バクテリア)なのだ。

 ヘモフィルス・インフルエンザは、まだウイルスの分離技術が確立していなかった19世紀にインフルエンザの病源体とまちがえられた結果、不名誉な命名をされてしまった。もっとも最初はバチルス・ヘモフィルスと名づけられたが、のちに紆余曲折を経て現在の名前に変えられた。医学の歴史というか分類学の歴史が垣間見られる話しであるが、この細菌は、慢性気管支炎などの呼吸器感染症を起こすから風邪の原因と勘ちがいされてもしかたがなかったのである

 ウイルスと細菌はどうちがうか。まず、ウイルスは「ろ過性病原体」とも呼ばれるように細菌が通過できないような微細な穴でも通り抜けるほど小さい細菌は μm マイクロメートル( mm の 1/1000、ふつうミクロンといえばこれを指す)を単位とする大きさがふつうだが、ウイルスは極端に長いものを除いてnmナノメートル(μmの1/1000)で表現する程度の大きさだ。つまりウイルスと細菌とでは100〜1000倍ほどのちがいがある。ビールなどを無菌ろ過するのに0.2〜0.45 μmの穴があいたミクロフィルターを通すが、これで捕捉できるのは細菌やそれより大きい酵母などだけで、ウイルスやそれ以下の微生物は通り抜けてしまう。

 ウイルスと細菌のちがいで、決定的なことは、ウイルスは自分自身で増殖できないことである。細菌はどれも栄養さえあれば自分で増殖できる能力を持っている
 ではウイルスはどうして生き延びているのか。自分で生きてゆけないなら誰かに頼るしかない、ということで、何かに寄生をして子孫繁栄を図る。これを専門的には、 「宿主(しゅくしゅ)の生合成経路を利用して増殖する」と表現する。宿主とは、居候に押しかけられた家主のこと。

 ウイルスは、動物とか植物の細胞あるいは細菌の菌体内(宿主)に勝手に入り込んで寄生(居候)し、その家主の台所を勝手に使って食事を作り(生合成経路を利用して)、自分の子供を育てる(増殖する)というまことにずうずうしい存在である。つまり人の(ふんどし)で相撲を取る典型、軒を借りて母屋を乗っ取る方式である。
 細菌より高等の生物はもちろん自分自身で活動して栄養を摂取し、増殖する。この差がウイルスと細菌を分ける決定的なポイントなのである。ところが、近年もっとも高等なはずのわれわれホモサピエンスの中にも 、自分ひとりで生けてゆけない珍種が出現しはじめた。この問題が無視できないのは、その出現頻度が突然変異というほどには低くないところにある。

 さて、タイトルに書いたウイルス菌とは一体なんだろう。ウイルス菌という言葉は、テレビや雑誌でたまに見聞きするけれど、さきほどから述べているように、ウイルスと菌(細菌)とはまったくちがうのだから、ウイルス菌という呼び名は完全に誤りであることはじゅうぶんに理解していただけると思う。まさか誤りを承知のうえで使っているとは思えない。では、どうしてこのような混乱が起きたのか。

 混乱の原因として思い当たることがらはいくつかある。
 たとえば、人間に悪さをする微生物をバイキンと呼んで毛嫌いしているが、バイは黴(カビ)、キンは菌(細菌)であるから、バイキンはそれらを全部ひっくるめた俗称で、両者に区別はない。それ以上にバイキンにはウイルスも含んでいるのでないかとさえ思う。何だかよくわからない病源体をひとくくりにして呼ぶのが世の通例ではないだろうか。そんなことから、「ウイルス」に対してもつい「菌」をくっ付けてしまった可能性があると思うがいかがだろう。

 微生物の歴史からみても、まず細菌が発見され、つぎにウイルスが発見されている。ウイルスに対する和訳名がないのも、細菌と区別し対抗しうる適当な語が見当らなかったからだろうし、それ以上に、まだウイルスの実態がじゅうぶんに解明されておらず、治療法も確立していない現状からすればやむをえないところだろう。

 風邪の話題にもどろう。ひとくちに風邪といってもウイルスによって症状がさまざまなことは、ご存知のとおりである。しかし風邪は風邪でもインフルエンザとなるとまったく話しが変わってしまう。これに罹ったら学校や職場には出られないし、保健所への届出も求められる。厚生労働省が掲げた2004年度の標語は、<栄養、睡眠、予防接種で三位一体。インフルエンザ予防>となっている。
 この標語にわが身を照らしあわせてみると、栄養はやや偏りがある(脂肪・アルコール過多)ものの不足はしていない。むしろ取り過ぎに注意を要するくらいだ。睡眠もおおむね確保している。だが、子どものときはいざ知らず、インフルエンザの予防接種だけはやったことがない。成人してから経験した予防接種は、昔シンガポールへ行ったときのコレラ(いまでは不要のはず)、それと、 劇症肝炎が流行っていたころ患者血清に触れる機会があったので予防のためのB型肝炎ウイルスのふたつだけである。

 これまでインフルエンザに罹ったことがないのは、ひとえに運がよかったに過ぎない。当たるも八卦当たらぬも八卦的な──とはいいすぎかもしれないが、予測が狂えばヒットしないワクチンにはいまひとつ気乗りがしないのは、筆者ひとりではないだろう。

 例年だと冬場はあまり演奏の機会がないが、今年は12月の第九に続いて1月のアンサンブル・コンテスト出場、2月の多田武彦合唱講習会の主催と休めないスケジュールが続いている。どうやら今年あたりは、予防接種をしておいたほうがよさそうだ。




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