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自粛か、あるいは… ─ 大災害を目の前にして ─

加 藤 良 一  2011321


 2011311()に発生した東北地方太平洋沖地震の傷跡も癒えぬ1週間後の318()東京混声合唱団の定演があった。しかし、都心の交通網もかなり混乱していたうえに、被災者の方々の困難を思うと、果たしてコンサートを聴きに行っていてよいのかどうか大いに迷った。

 コンサートに行くべきか行かざるべきか。その前にそもそもコンサートは実施されるのか。東京文化会館のホームページを二三日前から何度も確認し続けたが、大ホールで予定されていたズービン・メータによるフィレンツェ五月音楽祭管弦楽団・合唱団によるヴェルディ 「レクイエム」 は公演中止となっていたにも係わらず、小ホールの東混定演は当日まで開催すると書かれていた。本音を言えば中止・延期として欲しいところだったが。

 大ホールの公演については 「大地震の影響を受け、フィレンツェ市長からフィレンツェ歌劇場に対して帰国命令があり、当公演は中止となりました。この中止に伴うチケットの対応につきましては、主催者で現在各方面と協議中です。対応が決まり次第、改めて主催者よりお知らせいたします。」 とのコメントがあり、地震に引き続く福島原発の事故、さらに追い打ちをかける電力事情の悪化など、中止せざるを得ない処置であったろうと思う。

 そして昨日、320()の日本経済新聞に 「芸術を信じる 日本の友人に深い思いを込め」 と題する指揮者ズービン・メータ氏の談話が載った。
 地震発生当日は、奥様ナンシーさんの誕生日だったため、都内のレストランでお祝いの昼食を終えたあと、激しい揺れに遭遇した。メータさんは、身近な人がスマトラ沖地震の津波で亡くなっている過去の経験から、津波の怖さは知っていたつもりだったが、ビルの3階まで津波が達したことに大きなショックを受けた。
 東京公演初日は、地震発生3日後の314()。東京文化会館で奇しくもヴェルディの 「運命の力」 を、大変な思いをして会場へ詰めかけた観客のため最善を尽くして演奏した。

 自粛か、あるいは文化活動の活性化か、極めて悩ましい選択のなかで、公演日程半ばで中止に追い込まれてしまった。メータさんは 「日本の友人たちのために何も演奏できず、去るのは悲しい」 「音楽の力で人々を励ます場面が絶対に訪れると信じている」 と危機的状況における<芸術>の重要さを訴えたという。「さすがに豪奢なオペラは難しいが、より抽象的で純粋な音楽作品、例えばJS・バッハのカンタータやベートーヴェンの「英雄」交響曲、モーツアルトの交響曲40番といった作品が持つ力、悲劇的状況下の人々に放つメッセージの強さを過少評価してはならない。」

 ここで、音楽からビジネスの世界へ視点を変えてみよう。
 大学の研究室の先輩で、いくつかの会社の社外取締役をされている O さんから投げかけられた問題について考えてみたい。O さんが関係している会社で316()から17()にかけて行われた会議のあと、以前から計画されていた宴会の開催について、自粛すべきという意見と経済活動は経済活動として敢行しないと、それこそ東京の経済が冷え込み、引いては震災地へ回るべき金も回らなくなるという議論があったという。
 
最終的にこの宴会は挙行されたそうだが、被災地のことをおもんばかってなんでも自粛すればよいというものではないという判断を下したそうだ。会議と合わせて計画された宴会は、必ずしもビジネスという経済活動そのものとは直結しないかもしれないが、会議参加者の親睦を深め、ひいては目的達成のためにベクトルを合わせる格好の機会であることは難くない。

 そこで、いま一度音楽の世界に話を戻してみよう。震災後、被害を免れた地域では、いろいろ確執はあっただろうが、音楽活動はそれなりに営まれている。これは何も音楽にかぎられたことではなく、どのような分野でも同じことだったにちがいない。ズービン・メータ率いるフィレンツェ五月音楽祭管弦楽団・合唱団は本国からの指示で帰国したが、同じ日に東混は定演を実施した。被災者への思いや気兼ねはわかるが、だからといって、何もかも自粛してじっとしていることがほんとうに社会にとって好ましいことなのか。それで被災地復興を支援してゆくことができるのか。このあたりは冷静に見極める必要がある。

 私が最後まで聴きにゆくかどうか迷った東混定演のチケットは、けっきょく無駄にしてしまった。当日は、夕方にも大きな地震が上野の職場を襲ったし、電車も計画停電の煽りで大幅に乱れていた。安全を期して早めに帰宅したが、電車はそれでもいつもの倍以上の時間がかかった。そんな状況だったから、仮に夜7時からのコンサートへ行っていたとしたら、帰宅の足はいったいどうなっていただろうか
 もっとも交通網の混乱だけが、チケットを無駄にした理由ではない。未曾有の災害に直面して不便な避難所生活を強いられている人々をよそに、被害がなかったからといって自分だけが楽しんでいてよいのだろうかという思いが交錯し、最後の最後まで心が揺れたことは告白しておこう。私はコンサートには行かなかった。だからといって、何でもかんでも自粛すべきという意見には賛同しかねる。過度に反応して委縮しては復興もままならないではないか。あまりにも感情に走ってしまうのは困る。もちろん華美な催しや、電力が不足しているにも係わらず大量の電力を要するようなことは自粛すべきである。

 今回聴きたかった
東京混声合唱団第224回定期演奏会<合唱への新しい道>では、篠田昌伸氏へ委嘱した作品の初演が予定されていた。それは、混声合唱とピアノのための 『火曜日になったら戦争に行く(2011)であった。他に、西村 朗氏の混声合唱とピアノのための組曲 『大空の粒子(2009)と、野平一郎氏の同声合唱とピアノのための 『進化論(2010)という東混ならではのプログラムとなっていた。指揮の田中信昭氏、ピアノの中嶋 香氏という一級の音楽家に支えられた東京混声合唱団の委嘱初演を聴けなかったことはいささか残念であった。この時期に敢えてコンサートを敢行した本当の理由を知りたい気がする。

 願わくは、音楽が大地震で被災された方々へ勇気や希望を届けることができることを祈っている。






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