埼玉の地勢と渋沢平九郎の足跡

 江戸時代まで武蔵の国(武州)と呼ばれた地域は、現在の東京・埼玉・神奈川の一部にあたるかなり広い範囲であり、江戸幕府開府以後は徳川政権のお膝元となり、日本政治の中心地として重要視され、川越藩(現・川越市)、(おし)(現・行田市)、岩槻藩(現・さいたま市岩槻区)を武蔵三藩と呼んで、江戸の防衛にあてるため重臣が配属されていた。

 現在の埼玉は、東に茨城・千葉、西に長野・山梨、南に東京、北に群馬・栃木と一都六県に囲まれた海なし県である。




歌劇<幕臣・渋沢平九郎>関連地図

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深谷》 平九郎出生地 ➡ 《高崎》 高崎城襲撃企てるも中止 ➡ 《江戸本白銀町》 渋沢栄一の見立て養子となり江戸へ ➡ 《上野》 彰義隊発足 ➡ 上野戦争敗戦 ➡ 彰義隊分裂 ➡ 振武軍設立敗走 ➡ 《田無》 ➡ 《飯能》 能仁寺に本営を構える ➡ 飯能戦争勃発 ➡ 《越生(おごせ)》 黒山にて官軍と闘い負傷 ➡ 力尽き自刃    (下図参照





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