奥武蔵研究会
町田尚夫さんと渋沢平九郎


2020年2月25日


 現在、20205月に上演予定の歌劇<幕臣・渋沢平九郎>に向けてその練習が熱を帯びてきました。その出演メンバー・佐藤裕子さんから、父上の町田尚夫さんが書かれた渋沢平九郎や渋沢家関連の雑誌やDVDなどの資料をご提供頂きました。

 町田さんは奥武蔵研究会という、奥武蔵を中心に山村を愛する人たちの集う山の会のメンバーです。この会は昭和24(1949)発足、現在150名ほどの会員が活動しています。会報『奥武蔵』を隔月に発行し、研究発表や山行計画などを紹介しており、昭文社発行の山と高原地図『奥武蔵・秩父』はこの会が調査・執筆するというほど本格的な取り組みをしています。

 青淵(せいえん)』(渋沢栄一記念財団発行)201112月号に町田さんが「奥武蔵に澁澤平九郎の足跡を探る」と題するレポートを寄稿し、また『青淵』20182月号にも「渋沢平九郎の遺芳(いほう)を偲ぶ─越生町に遺るゆかりの品─」を書かれています。遺芳とは、後世に残る名誉や業績という意味です。これらは、平九郎が最後に辿った飯能から吾野、越生に掛けて、町田さんご自身が前後3回の足跡探索を行ったことをまとめたものです。

 町田さんは、新ハイキング社発行の寄稿記事集『私の好きな山歩き』の代表執筆をされるなど精力的に山歩きと執筆活動を続けておられます。機会があれば渋沢平九郎についていろいろご教示頂きたいと思っています。


まったくの余談ですが、たまたま町田さんのレポートが掲載された『青淵』20111月号の表紙を飾った絵は「日本実業史博物館」の完成予想図でした。。青淵は、渋沢栄一の雅号で、生家の近くにあった泉(あるいは沼)に因んだものです。
 渋沢栄一は、渋沢栄一邸(現在の北区飛鳥山公園内にある、約8470坪ほどの敷地及び建物)を渋沢記念財団竜門社に寄贈する旨の遺書を遺していました。竜門社は、早速旧渋沢栄一邸の利用に関する委員会を設置し、「渋沢青淵翁記念実業博物館」の建設を答申しました。
 建設計画は動き出し、昭和14(1939)渋沢栄一生誕百年記念祭に際し、博物館の建設地鎮祭に漕ぎ着けました。しかしこの計画は、折悪しく始まった太平洋戦争の戦時経済統制により竣工にまでは至りませんでした。その後も名称を「日本実業史博物館」と変更するなど設立に向けて資料の収集や展示、収蔵のための作業が模索されましたが、けっきょく日の目を見ることなく現在に至っています。文字どおり幻の博物館となってしまいました。時期を失した現在、その開設は容易なことでは実現されないのでしょうか。

 



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