1999年の夏のこと、アメリカではじめて車の運転にチャレンジしました。
日本にいるうちにアメリカの交通ルールをあらかじめ調べたり、国際運転免許証も取得しました。国際免許の手続きは意外に簡単、こんなんでいいのだろうかと思ったほどです。免許証とパスポートをもって運転免許センターへ行けばほんの15分で発行してくれました。ずいぶんあっけなので、係の人に理由を聞いてみると、運転免許証はあくまで日本で発行されたものが正式なもので、国際免許は日本語の読めない外国人のために内容を英語に訳しただけだというのです。ですから、国際免許と同時にホンモノの日本の免許証を見せろと要求されることがあるそうです。そのていどの免許証だから有効期間も一年間しかありません。帰って来たらすぐに返却するようにともいわれました。
運転免許センターへ行ったついでにアメリカの交通ルールを書いた本はないかと聞いてみました。ところが、そんなものは知らないと、つれない返事でした。免許証は発行するが、その先のことなど関知できないといわんばかりです。しかたがなく本屋や図書館をあたってみたところ、なんとかおおまかなことが書かれた本に行き当たりました。
まずアメリカと日本の大きなちがいは通行帯が左右逆だということです。ごぞんじのとおり日本とちがって「右側通行」なのです。そのために運転席の位置は左側にあります。ただし、ブレーキやアクセルは日本と同じよう配置なのでこれは大助かりでした。これまでちがっていたらたぶんお手上げだったでしょうか。
アメリカの交通ルールの基本的な考え方をひとことでいうと「人に迷惑をかけないための最低限守らねばならない事柄」を決めているとなるでしょうか。
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アメリカ西海岸のオレゴン州ポートランドへ着くとすぐに空港近くでレンタカーを借りました。
ポートランドという地名は東部のメーン州にもありますが、そちらは東京の品川区と姉妹関係を結んでいるほうです。いっぽう、オレゴン州のポートランドは、札幌市と姉妹提携しているオレゴン最大の都市です。しかし、大きくても州都というわけではなく、州都はポートランドの南に位置するセイレムなのです。
オレゴンという州名の由来をたどってみると、アメリカのように歴史の新しい国にしてはめずらしいのではないかと思いますが、なぜかよくわからないそうです。
さすがにポートランドでいきなりはじめての運転をする自信はありませんでした。ニューヨークで合流したFさんが、それまでにアメリカで二度ほど運転したことがあるというので、最初の運転はまずFさんにお願いし、交通事情が分かったところで運転してみることにしました。
まずは助手席に座ってナビゲーターに徹し、Fさんの運転ぶりを拝見することにしました。空港からポートランド市内へは順調に進むことができましたが、市内を走っていたときにとんでもないハプニングが起きてしまいました。
右折して入った二車線の一方通行の道路は、左側のレーンは一般車でいっぱいでした。Fさんは、空いていた右側を走しらせて行きました。たぶん左側の列は左折する車の列だろうくらいにFさんは考えていたのでしょう。ぼくもとくに不思議には思わず、助手席でポートランドの街並み眺めていました。
広い二車線の一方通行路をすこし走ると、前方にバスが右に寄って停車場で止まっていました。あいかわらず左車線は車でいっぱいです。バスをよけて追い越さねばなりませんが、と、ここまで進んできて慌てました。おや、ここはバス専用レーンじゃないのか、一般の車は入ってはいけないはずではないか。ポリスがいたらたいへんなことになる。とにかくこの道から早く抜け出さなくてはいけない。そうはいっても、もう目の前は交差点でしたし、バスがうしろからも迫っていたこともあって、止まることもできません。
Fさんはとっさにハンドルを左に切りました。ぼくらの車は、交差点で停車していた左車線の最前列の車とバスのあいだをすり抜け、交差点にほとんど入ってしまいました。しかし、正面の信号はまだ赤です。まさかこのまま交差点を突っ切るわけにもゆきません。勢いがついていたぼくらの車は、やむをえずそのまま左折してしまいました。
というわけで、けっきょくバスレーンへの進入違反と信号無視のふたつの違反をやらかしてしまったのです。
横断歩道を歩いていた人も、止まっていた車の運転手も、なんて車だ、よく見りゃ東洋人じゃないか、ずいぶん野蛮な運転をする奴だ、とさぞびっくりしたことでしょう。何がなんだかわからないまま、緊急避難的に脱出したぼくらのほうがほんとうは肝を冷やしていたのですが…。
この一件から、Fさんはほんとうにアメリカでの運転経験があるのだろうかと、ぼくは少々疑いはじめていました。こんな調子では、以前はいったいどうやって走っていたのだろうかと、いぶかしく思わずにはいられませんでした。
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アメリカと日本とではずいぶん交通事情がちがっています。そのひとつ、行き先を表示した標識のわかりにくいのにはずいぶん悩まされました。
アメリカはかなりフリーウェイが発達しています。フリーウェイとは、日本でいえば高速道路にあたるのに料金をとらないからフリーウェイなんでしょうか。フリーウェイの要所/\に置かれている標識は、緑色の地に白い文字で書かれています。それはよいとして、フリーウェイから別のフリーウェイに曲がったり、一般道へ出るときに、そこがどこなのか表示がほとんどありませんでした。
たとえば「〇〇WAY ↑WEST ←EAST」となっている場合は、〇〇WAYの西方向へ行くならば直進、東方向は左折という意味です。つまりその道がどっちの方角へ行く道かを表示しているだけなのです。要するに自分はどの道路をどっちの方角に行くのかがわかっていないとだめだということになります。
「青梅街道、西は↑、東は→」と書かれているのと同じです。では、そこはどこなのかは、まったく書かれていません。道路地図を見ながら、どこどこで左折しようというような考え方では、おそらくうまくはいきません。(当時はまだドライブナビが普及していませんでした)。つねに自分の目指す方角や、そのつどの地名を知っていなければ、目的地にすんなりとはたどり着けないというわけです。
このような道路標識のおかげでポートランドの環状道路をぐるぐる廻り、しまいには逆方向へ行ってしまったこともありました。真夜中の12時すぎに気がついたら空港のそばまで行ってしまったときには、ほとほといやになったものです。
もっとも、標識をうまく読み切れなかったのはわれわれが未熟だったせいもあるかもしれません。このていどのことならべつに事故を起こすわけでもないし、危険性があるわけでもありません。それより日本人が慣れるまでに大いに悩むのが、通行帯の左右のちがいです。
ふだん日本で走り慣れた左側通行ではなく反対の右側になるというのは、初めて経験する人にとってはたいへん神経を使うものなのです。沖縄が日本に返還されたとき、それまでのアメリカ式の右から左に変更されましたが、相当な混乱がありました。左右のちがいの大きさはかなりのものです。
田舎道のような車の往来の少ないところなら、ゆっくり考えながら走ればよいのですが、交通量の多い市内ではそうもいきません。通行禁止や一方通行の制限も多いし、交差点で止まって考え込むわけにもゆきません。もっともこの点は日本でも同じことでしょうが。
習慣というのは恐ろしいものです。無意識にひょいっと道路に出て行くと、いきなり道路の左側を走っている自分に気づいて驚くことがありました。ここは日本ではないのだ。とくにセンターラインのないような狭い道では、相当意識していないとつい左に寄って走ってしまうのです。
もっとも恐いのが左折するときです。気をつけていないと、曲がってからつい左車線に入ってしまうのです。中央分離帯がある道路などでこれをやると、反対車線に逃げ込めないからおそろしいこといなります。ご他聞にもれず、これもちょっとだけですがやらかしてしまいました。そのときはさいわいにも対向車が遠かったので、バックして正しい方の道に戻りことなきをえました。
つねに「右!右へ!」と声に出して唱えていないと危ないのです。電車じゃありませんが、指差し称呼をしたほうがよいです。左折にくらべると、右折の場合は縁せきに沿って曲がればよいので、あまり迷うことはありませんでした。
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アメリカ人の多くはドライブマナーが良いように見受けられました。少なくとも日本で散見されるような、交差点での無理な進入によるトラブルや、割り込みなどといったせせこましいことはあまり見られませんでした。この点に関しては、アメリカに対するぼくの先入観は修正しないといけないと思いました。アメリカでは、もっと生き馬の目を抜くような、恐ろしい状況になっているのではないかと心配していたからです。
それにしても、アメリカの道路は走りやすく出きています。その理由は、単に道路が広いからだけではなかろうと思います。自動車大国ならではの歴史や経験からくる安全対策、それになんといっても、まずは人間を優先する思想が根底にあるからではないでしょうか。
でも、マナーが良いのはそれだけではないような気もしました。信号が変る時間も、やたらに長すぎることはないですから、慌てて突っ込むこともありません。もうひとつ日本とちがうのは、信号が赤になったときにもう一方の信号が同時に青に変ることです。日本ではすべての信号がいっせいに赤になっている時間帯があるから、それを悪用して突っ込んで行くのがいます。アメリカでそれをやったらかなり危ない目に合います。つまり黄色信号は「注意!」ではなく完全に「ストップ」なのです。
さらに、車より圧倒的に弱い生身の人間をいかに保護するか、人間の安全を確保しながらどうすれば交通の流れをスムーズに出きるか、両立しにくいこれらの問題を合理的に解決しようとしている様子があちらこちらに見られます。
安全確保のための解決策がじつに合理的です。鉄道線路の踏切も特別に指示がなければノンストップでよいのです。へたに停って左右確認などしていると逆に後続の車にせっつかれてしまいます。走っていて便利というか合理的だと感じたのは、信号が赤であっても「ONLY
RIGHT」(常時右折可)となっている交差点が多いことです。とくに「NO TURN
ON RED」(赤信号での右折禁止)となっていないかぎり常時右折ができます。ただし、必ずいったん停止して左右の安全を確認することが前提です。日本でいえば常時左折可ということになります。
この方式だと、日本のように交差点で赤のたびに待たされていらいらすることが少ないので、ゆったりした気分で運転できることにつながっています。ただし、この規則は州ごとにわずかずつ異なり、コネチカット、ルイジアナ、メイン、メリーランド、マサチューセッツ、サウスダコタの各州とワシントンDCでは赤信号時の右折は出きないと決められています。
このあたりは、各州の自治権がいかんなく発揮されているのを感じます。まさに《合衆国》と呼ばれる国だけのことはあります。話しがそれますが、合衆国を合州国という人もいるようですが、英語名からすればこちらのほうが正しいのかもしれませんね。
いずれにしても運転するほうにしてみれば、州を越すたびに規則が変るのでは混乱してしまいます。これだけは全国同じにしてもらいたいところです。
少しでも道幅に余裕があるところでは、片側一車線でも左折のための専用レーンを中央に設けている道路があり、これはたいへん便利です。つまり、左右の道路の中央分離帯部分にもう1レーン左折専用の中央レーンがあるのです。
まず左折する車は左のウィンカーを点滅しながら、この中央レーンに入り、交差点で信号が青ならばそのまま左折することができますし、信号がない場合は対向車が来ないのを確認して曲がればよいのです。この方法は後続車に迷惑がかからなくてよいので、交通の流れが乱れません。もちろん反対側からも左折するために中央レーンに入って来ますから、このレーンでの直進は当然禁止されているのはいうまでもありません。これを無視して直進すればむろん正面衝突となります。
フリーウェイへの入口に「1 CAR PER GREEN」(青信号で一台)と書かれた信号があります。フリーウェイに入って行く車を、入り口のところで信号規制し適当な車間距離をとって進入させるための工夫です。なかなかいいアイデアで、これならば十分に加速してからそのままフリーウェイに入ることができます。
さらに、フリーウェイへ入った合流地点には、逆三角形の赤い標識「YIELD」(ゆずれ)があって、これは文字通り「合流してくる車を優先」するので、本線を走る車は邪魔にならないようにゆずれということです。日本では、ゆずらない車があって本線になかなか入るタイミングがとれずに困っているケースをよく見かけますが、アメリカではそんなことはありません。
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いずれにせよ何らかの標識がありさえすれば、なんとかぼくら外国人にもわかるのですが、道路には何も書かれていない暗黙のルールというものがあり、これがたいへんやっかいなのです。
日本でも速度制限表示がない道路は、時速60km――だったかどうか自信がありませんが、とにかく何も表示がない場合は時速何kmと決められています。そこはアメリカでも同じですが、困るのは州によって制限速度が異なることです。東部は55マイルの州が多く、西部には65マイルの州が多いとのこと。たとえば、ウエスト・ヴァージニア州は65マイルで、隣りのペンシルバニア州は55マイルです。ペンシルバニア州側ではハイウエー・パトロールがちゃっかり待っているらしいです。道路に州境の門などありませんから、そのままいい気になって走ってゆくと、パトライトをピカピカやって「いらっしゃーい(';')」ということになってしまいます。
目に見えないルールの例はまだあります。慣れないとちょっと難しいのが、信号のない交差点での曲がり方でした。
同じくらいの広さの道路が交わる交差点で信号のないところでは、必ずいったん停止し、ついで先着順に発進するようになっています。もし同時に到着した場合は、自分から見て右側の車に「RIGHT
OF WAY」(優先通行権)があります。何の標識もないときは、幹線道路(ふつうは停止線がない)にいる車、右折あるいは左折する車よりも直進車のほうにそれぞれ優先権があります。また歩行者には絶対的な優先権が認められているので、歩行者がいる場合、車は完全に停止しなければいけません。
オレゴンの田舎道で、左折しようとして交差点に着いたにもかかわらず、えーと、どうするんだっけ、とばかり左右を見て止まっていたら、左から来た車の運転手、窓から突き出した太い腕を振り回しながら「GO!」と大きな声で叫んできました。
ようするにわれわれは、アメリカで運転するということを甘く見過ぎていたのです。文化や習慣のちがい、交通法規もろくに勉強しないで、他国の道路を走ろうというのですから、無謀といわれてもしかたがありません。まずは無事帰国できたことがさいわいだったと思うことにしました。
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