パリといえば、何を連想するだろうか。おそらく人によってさまざまなものが出てくるにちがいないが、セーヌ河とエッフェル塔は誰もがすぐに思い浮かべるものの代表だろうか。セーヌ河は、パリをほぼ南北に二分して東から西へ流れ、街を外れたところで大きく蛇行して北に向かって流れている。
セーヌ河の北側を Rive Droite (リーブ・ドロワット: 右岸地区)、南側を Rive Gauche (リーブ・ゴーシュ: 左岸地区)と呼ぶ。ちなみに rive は岸、droite = right、gauche = left である。このように書くといかにもフランス語を知っているように思われそうだが、まったくそうではないことを断っておく。辞書を引いてみると droite は英語と同じく「右」という意味だけでなく「権利」という意味もあった。フランス語と英語は、表記はまったく違っても内容はよく似ているところがある。
先月泊まったホテルは、Sofitel Paris Forum Rive Gauche
という名前で左岸にあることがすぐに分かる。このホテルはモンパルナスにほど近いサン・ジャックという場所にあった。オルセー美術館まで地下鉄ですぐである。
およそ大都市には行政上の区分とは一致しない境界線があり、多様なレベルで二次的な分割が派生していると、石井洋二郎氏は著書「パリ─都市の記憶を探る」で述べている。石井氏は、大都市は自然的・地理的条件、たとえば山や川で自然発生的に区切られてしまうという。ロンドンならテームズ河、ウィーンはドナウ河というように、都市のイメージと河が不可分の関係になっている例は多い。東京では川ではなくさしずめ「下町と山の手」の関係のようなものであろうか。
一般に歴史のある建物や施設には、それぞれ来歴というものがあって何の脈絡もなくそこに存在するものではない。たとえば、伝統ある神社仏閣は活気溢れる商店街とならば共存しうるが、瀟洒な豪邸が立ち並ぶような高級住宅街には不釣合いであるし、近代的な美術館は静謐でゆったりした公園のある文教地区にこそふさわしく、煤煙を噴出す工場が林立する街には似合わない。ただし、何事にも例外はある。ニューヨークの近代美術館 MoMa は、かなりゴチャゴチャした街中に立っていて、拍子抜けした記憶がある。
パリの右岸と左岸を石井氏はつぎのように対比させている。「貴族社会 vs 庶民社会」、「ブルジョワ文化 vs 学生文化」、「保守陣営 vs 革新陣営」、「古典 vs 前衛」、「経済 vs 文化」、「金銭 vs 芸術」などである。たしかにちょっと遊びに行ったていどの観光客には、ここまで理解できるものではないが、それでもそのような雰囲気を垣間見ることはできる。
セーヌ河の南北は、シテ島をはさんだもっとも離れたところでも400メートル、近いところでは100メートルしかない。たったそれだけの距離であっても、双方の街並みに大きなちがいを見出すことができる。それだけ街の雰囲気に特徴があるという証拠だろう。高級ブティックが立ち並ぶフォブール・サン・トノレ通りやモンテーニュ大通りなどは、右岸に集まっていて、左岸には庶民的な店が多いようだ。
作家の辻邦生は、左岸のカルチェ・ラタンに住み、大学で教鞭をとるかたわら創作に取り組んだという話しが彼のエッセイなどでよく出てくるが、そこはシテ島のほぼ真南である。カルチェ・ラタンは文字通り学生文化圏であり、作家が活動するには最適の地区であろう。そうはいいながら狭いパリのこと、両者がそう厳密に区切られているわけではない。それでも全体的な印象としては「右岸 vs 左岸」の構図がある。
さて、もうひとつのパリ名物がエッフェル塔である。1889年、革命百周年を期して第4回パリ万国博覧会が計画されたとき、エッフェルによる鉄塔の建設案が採用された。これに対して、旧オペラ座の建築家ガルニエや作曲家グノー、小説家モーパッサン、詩人ルコント=ド=リールなどが「無益にして醜悪なるエッフェル塔」建設に猛反対したという。猛烈な反対案を押しのけて鉄塔案がコンペティションで勝利したのは、工期の短さと経費の安さに軍配が上がったからだそうだ。当初の予定では万博が終わった20年後に撤去されるはずだった。ところが、その後無線電信のための施設という重要な役割を担うことになったため、そのまま存続することとなり一命を取りとめた。
エッフェル塔の展望台より北西方向を望む。セーヌ河の向こう側がシャイヨ宮、
その先の遠くに並ぶビル群が新凱旋門のあるビジネス地区ラ・デファンス。
エッフェル塔のつぎにくる現代の塔とでもいうべき建築物ができたのは、ちょうどエッフェル塔が造られてから百年後の1989年の革命記念日である。シャンゼリゼ大通りから凱旋門を貫いてまっすぐ北西へ視界が開ける方向に目をやると、遠くに四角い建物が見える。それが新しい凱旋門グランド・アルシュである。
グランド・アルシュが立っているのは、ラ・デファンス地区というニューヨークでいえばマンハッタンのようなビジネス中心地である。ちなみにデファンスとは英語でいうディフェンス、つまり外敵の侵入を阻止する防壁だったところである。数年前にその地区のホテルに泊まったことがあるが、周囲はやはり真新しい建物ばかりであった。
パリは新しい建築と歴史のある建築がみごとに融和した世界でも珍しい都市である。フランス人が自分たちの国が世界の中心だと思う気持ちがよくわかる。
(2002年10月5日)