E-27





パリは冷たい街か





かとう きょうこ


2002年10月6日



 


 ローマは街中あちこち落書きだらけだった。
 素敵な建物にも無残に落書きされているのを見たときは、こんなところにまでとちょっと気が滅入ってしまうこともあった。落書きをいちいち消さないところをみると、まあ上手に描いてくれるならかまわないと諦めているのかも知れない。考えようによっては、それだけ活気に満ちた町だと思うことにした。

 ローマの街は全体に雑然とした印象がとても強い。偉大な古代遺跡がいたるところに点在していることが、そんな印象をさらに強めているのだろうか。そこへ加えてたくさんの落書きがある。しかし、落書きの様子をうかがうかぎり、重要な遺跡にはまったくといっていいほど落書きされてないのが救いだ。遺跡を台無しにしては、観光でやってゆけなくなるとでも思っているのだろうか。

 地中海の暖かい風に乗って街行く人々は屈託がなく、おしゃべりで陽気で感情をすぐに爆発させる。感情をあたりかまわず爆発させることについては、日本人のような生真面目人間とはずいぶんちがっているような気がする。もし、日本でイタリアのような調子で感情を爆発させていたらとんでもないことになるのは目に見えている。

 とにかくローマは街中がにぎやかだった。道路がちょっとでも混雑しだすと、タクシーの運転手はすぐにクラクションを鳴らし、交差点で先陣争いをしては大きな声で文句を言い合っている。まったくやんなっちゃうぜ、と手をさかんに振り上げながら運転しているので、乗っているほうは気が気ではない。よくしたもので、狭い道路には小さい車が似合うことをみんな心得ているから、大きな車などほとんど走っていなかった。

 ふだん街中では小さな車に乗っていて、週末に郊外へ繰り出すとき用に大型の車を持っているという話しを聞いたけれど、ほんとうかな。車はたんなる移動の手段、足の代わり。道路はいうにおよばず空き地でも何でも空いていればたちまち駐車場と化し、すでに停めてある車にぴったりとくっつけて停めてしまう。バンパーとバンパーが接触しているのは日常茶飯事だ。出るときは自分の車で前後の車をゆっくり押し出し、隙間を作ってから脱出する仕組み(?)なのだ。これならたしかに駐車効率はいいし、バンパーはそのためにあるらしい。だから、傷のついていない車を探すほうがむずかしいくらいなのだ。

 パリのシャルル・ドゴール空港へ降り立って最初に感じた印象は、物静かな雰囲気が漂っていることだった。とくにローマの喧騒から移動してきたからなおさらそう感じた。抜けるような青空にふさわしい明るく歯切れのいいイタリア語から、愛をささやくのに似合うしっとりしたフランス語への変化が耳に新鮮だったからだろうか。空港から市内へ進むにしたがって、パリの静かさはさらに深まって行った。

 パリ市内は建築基準が厳しく、変な建物は建てられないらしい。セーヌ河畔から見える街並みにそれがよく表れている。高さ制限にはじまり、色調やデザインもじつに整然としている。パリには、広告塔や看板、各種案内表示板がまったく見当たらない。すっきりしているが、不案内な外国人にはちょっと不親切に感じる場合もある。

 整然としたパリの街並みを背筋をのばし颯爽と歩く人びとは、なぜか私には冷たく感じられた。陽気で人なつこいローマっ子とは対象的。自他ともにパリジェンヌと認める Dora Tauzin(ドラ・トーザン)さんは、雑誌「ふらんす」の中で、パリジェンヌはいつもシックで、どこにでもスーツを着て行くと述べていた。スウェットにスニーカーなどというスタイルで街中に出ることは、まちがってもない。パリジェンヌにとって、たとえパリで生まれていなくてもパリにうまく溶け込むことのほうが重要なこと。さりげなくエレガントで、個性的だけれど目立ちすぎは好まないのだ。

 



 パリジェンヌの好きなファッションは、パンツ(Pantalon)スタイル。ミニスカートはほとんど見かけなかった。どこか慎み深さを感じさせる。そんなことからパリの人びとにどこか冷たい印象を抱いてしまうのかもしれない。

ローマとパリは、みごとに対照的な街である。いつかまた、このヨーロッパを代表する二大都市を三たび訪れたいと思っている。






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