背の高いゴンドラ漕ぎの男性は、ケイタイ片手に長いこと舟を操っていた。ヴェネツィアでは舟の操縦中のケイタイは禁止されていないようだ。
「ベニスの商人」で名高いヴェネツィアは、イタリア北東部ヴェネト州の州都。長靴のちょうど付け根あたりに位置し、アドリア海のもっとも北側奥に面した港町である。別名「水の都」とも呼ばれており、世界でも類例のない水上に浮かんだような都市である。もちろんほんとうに水に浮いているわけではなく、イタリア本土から4キロメートルほど離れた沖合いのラグーナと呼ばれる干潟を埋め立てて造られたものである。
いまでは橋で本土とつながり鉄道でも自動車でも行くことができる。ただし、町の中では、内燃機関つまりエンジンをつけたものは船以外使用できないことになっている。路地と路地を結ぶ橋は、その下をゴンドラやモーターボートが通るので一段と高くなっている。あれだけ狭い路地が複雑に絡んでいると自転車もたいして役に立たない。そこで、もっとも一般的な移動手段は徒歩ということになる。自動車やオートバイが走り回らないから、町はいつでも静かで空気も澄んでいる。快適な町である。
市民のふだんの足は、ヴァポレットという水上路線バスである。これはゴンドラにくらべるとずっと大きいので、小さな運河の中には入れないけれど、まあ小さな町だから船着場までどこから歩いてもたいしたことはない。ゴンドラはもっぱら観光用で、市民が乗ることはほとんどなさそうだ。
ゴンドラも二種類あり、ルートが決まっている乗り合いのものと、プライベートに頼む貸切がある。歌を歌ってくれるのは貸切のほうだ。市内のあちこちにある船着場のひとつからゴンドラに乗り込んだ。小さな運河の水はあまり流れがない様子で、澄んでいるとはお世辞にも言えない。
3階かあるいは高くても5階ていどの建物がびっしりと運河に沿って建っている。ゴンドラはそんな中をゆったりのんびりと進んで行った。ここで歌えば風呂の中で歌っているような感じだから、とてもよく響く。工事中の建物の前には、左官屋のものだろうか、それらしい舟が横付けされていた。窓には洗濯物がぶら下がっていて、ひっそりしているけれども人々が生活していることが見てとれた。
狭い路地のような運河から一挙に大きな運河カナル・グランデに出ると、そこはさすがに大きな波が寄せてくる。カナル・グランデは大動脈だから、大きな船もたくさん行き来している。有名なリアルト橋もこのカナル・グランデに架かっている。現在のリアルト橋は、もともと木造の跳ね橋だったものを1591年に石造りに変えたそうだ。
ヴェネツィアの歴史の始まりは、5世紀頃、ヴェネト人がフン族やバルド族から逃れて、ポー川やピアベ川の河口付近の島々に移り住んだときに遡る。ようやく移り住んだ島にもさらに外敵の侵入があり、やむなくさらにラグーナの沖へ沖へと逃れて行った。人びとはラグーナの葦が茂る沼地に杭を打ち、石を積み上げて地盤を作った。いまでは120を超す小さな島が無数の橋でつなぎ合わされている。そのラグーナの中心がいまのリアルト橋のある辺りだった。
まるで平家の落人のように敵から逃れて、ようやく住み着いたラグーナも、その後千年王国ヴェネツィアと呼ばれるまでの発展を遂げた。しかし、観光客には分からない現代的な問題も抱えている。それは、対岸のイタリア本土にある工場地帯での地下水汲み上げで地盤沈下が進んでいることだ。このままではいつか海に沈んでしまう運命にさらされているという。
また、21世紀には水没するともいわれ、事実20世紀に入ってから現在までに70センチメートルも沈下したそうである。それに追い討ちをかけるように、秋冬にかけて発生するアックア・アルタ(高潮)の被害も深刻化している。1.4メートル以上の高潮になると本島全域が冠水し、外出もままならない。
ヴェネツィアの誇る大小の運河は、観光客を楽しませるものではあるが、一歩まちがえば環境汚染の温床になる。よほど疫病対策をしっかりやらないとすぐに感染症が蔓延してしまうのは、誰の目にもあきらかだ。ここにひとつ記憶に留めなくてはならないことがる。栄華を極めたヴェネツィアのマイナスの歴史としてペストの流行がある。
まだ科学も医学も進歩していなかった9世紀から15世紀にかけた600年間になんと63回もペストが流行ったという恐ろしい記録がある。1348年には10万人もの人びとが死んでいる。多くの犠牲者を出したのち、ようやく疫病が鎮まったことを聖母マリアに感謝して建てられた教会が現在のサンタ・マリア・デラ・サルーテ教会である。サルーテSaluteとは「救済」という意味で、11月にこの教会で行われる「サルーテ祭」は大きなお祭りだという。
下の写真は、ヴェネツィアの海側の玄関口といわれるサン・マルコ広場の海辺からサンタ・マリア・デラ・サルーテ教会を写したものである。
ペストの病原体は、エルシニア・ペスティス
Yersinia
pestis
という細菌である。人間の場合は、通常このペスト菌を保有したノミに刺されることで感染する。したがって、流行するのはノミの発生時期である。日本では1926 年以来ペスト患者が発生したという報告はない。
ペストは適切な治療さえ施せばそれほど怖い病気ではない。治療には、いまでも良く使われる一般的な抗菌薬であるストレプトマイシン、テトラサイクリン、オキシテトラサイクリン、クロラムフェニコールなどが有効である。
ペストの症状は、強烈な頭痛、嘔吐、高熱、急激な呼吸困難、鮮紅色の泡立った血痰を伴う重篤な肺炎症状となり、手遅れの場合は非常に高い致死率を示し、たとえ治っても、その予後は不良であるとされている。
二次感染の予防には、ネズミやノミの駆除など衛生管理の徹底が必要である。ワクチンはあるが副作用がかなり強いため、患者と濃厚に接する医療従事者とか野生動物やペットなどを扱うハイリスク集団などに限定して使用するようにWHOより推奨されている。ペスト菌は、おそらくもともとヴェネツィアにいたわけではなく、世界中の船が行き来していたことからネズミとともに持ち込まれたのではなかろうか。というのは、現在、野生齧歯類の間で感染が持続的に起こっている地方は、南アフリカ、ヒマラヤ山脈からインド北部、中国雲南省、北米ロッキー山脈、アンデス山脈地方だということからの推察であるが…。
ヴェネツィアには、いまでは観光地として世界中からひっきりなしに見物客が押し寄せてくるが、その昔、東西交易の要衝であったころには、富や権力をほしいままにし、いっぽうでペストという大きな代償も背負い込んだのである。じつに数奇な運命に翻弄された珍しい都市である。