初詣ついでに渋谷の小さな映画館に足を運んだ。ちょっと前から気になっていたドキュメンタリー映画「パリ・ルーヴル美術館の秘密」を観たかったからだ。
ワイフとともにルーヴルを訪ねたのは1998年だった。その前の年に宮殿の古いドゥノン翼とシュリー翼の整備が終わり、一万平米の展示場が増設されていた。ルーヴルは、30万点以上と
もいわれる所蔵品があり、すべてを観て回るには一週間かかるともいわれている。
この映画は、「ルーヴル美術館」と銘打ってはいるが、いわゆる名作紹介ではないからそれを期待しても当て外れになるだけである。むしろまったく逆で、世界的名画も名もない絵や彫刻も同じように淡々と扱われている。このドキュメンタリーは、はじめから映画化を狙ったものではなく、そもそもは17世紀フランスの画家シャルル・ル・ブランの巨大な絵を展示するために倉庫から展示室まで運び出す一大事業のたんなる記録だった。ふつうならばビデオで撮影すればよいところだが、それを依頼された二コラ・フィリベールは、ビデオなど使ったことがないからスーパー16ミリのカメラとスタッフを連れ、一日
だけのつもりでルーヴルに入り込んだ。ところが、館内の舞台裏をつぶさに見たことでさまざまな刺激を受け、そのまま無許可で居座りつづけてしまった。
動機がこんな調子だから、絵画や彫刻の美しさとか貴重さなどにはさして目もくれず、ひたすら館内で働く1200名ものスタッフの仕事振りに終止している。ナレーションがないところは、市川昆監督の「東京オリンピック」に
も似ている。「東京オリンピック」も本来は記録映画のはずだったが、出来上がったものは「芸術」映画となっていた。封切りされたときはずいぶんと非難があったように記憶している。
二コラ・フィリベールは撮影当時まだ無名で、かつ最初の一日こそ仕事として撮影が許可されていたものの、その後興味の赴くままに潜り込みつづけたのはまったく無許可のままだった。世界一の美術館にもかかわらずなんと無防備なことか。撮影されていた学芸員やスタッフも何も疑わずにいたというから、これもちょっとしたショックではあるけれど、こんな話もあんがいありうるのではない
かと思ってしまう。たとえば、コンサート会場の楽屋裏へ入りたければ、楽屋事情やホールの構造を知っておりさえすればかんたんに出入りできるものだし、たとえホールの正確な構造を知らなくとも、基本的なレイアウトは似たり寄ったりなのである。
フィリベールは、けっきょく三週間後に館長の正式な許可を得、晴れて本格的な撮影に入った。そして半年あまりのあいだ、館内で繰り広げられる「日常の仕事
」を撮りつづけた。画面に来館者や開館中の展示場などはいっさい出てこない。スタッフだけに焦点を絞っている。美術品設置係、電気工事係、庭師、消防士、医者、案内係、物理学者、化学者、補修・修復係、400人におよぶ管理人などなど、とにかく大勢のスタッフが美術館の地下に作られた巨大な街で働いている。撮影された1989年には1200名だったスタッフも、いまでは2200名に膨らんでいる。
ちなみに、1989年はルーブルの大改造が行われた年でもある。美術館中央広場のあの巨大なガラスピラミッドは、伝統ある建物の外観を損なうとの非難が渦巻いたものだが、その当時まさか自分がそこを訪れるとは夢にも思わなかったものである。ピラミッドは美術館の入口になっていて、並んで入場
を待つあいだ新旧両者の重なりをじっくり味わうことになっている。まわりが歴史的な建造物だから、ガラスのピラミッドは、見方によっては違和感がないでもなかった。
画面では、見覚えのある有名な作品が意外と無造作にフォークリフトに載せられて運ばれていた。実際はけして無造作どころではなく経験や知識に裏打ちされているのだろうが、観客にはそう見えてしまう。それくらいスタッフに
とっては「日常の作業」なのだろう。消防隊員が倒れた作業者の搬出に駆けつける、空砲を撃って館内の音響を測定する、1200名の胃袋を満たす厨房がある、学芸員が作品の展示方法について相談している、偉い人から掃除のおばさんおじさんまで、もうひとつのルーヴルの素顔
をそこに見出すことができる。
正面玄関から訪れても絶対見ることができない舞台裏が、ある意味で何の脈絡もなくつぎつぎと紹介されている。そこに出てくるのは日常の些末な出来事、ありふれた場面ばかりである。何がちがうかといえば、そこがルーヴルの舞台裏ということだけである。ナレーションを入れなかったのも、「専門的見解に背を向ける映画だから。僕は、学者が芸術について話すのを聞かせるためとか観客を啓蒙するためにこの映画を作ったんじゃない」というフィリベールのコメント
にあるように、ドキュメンタリーのあり方に対するひとつの方向を示唆する姿勢の表れではなかろうか。
2004年1月4日