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そ の (よん)

4


加 藤 良 一

2020213




代官にたてつく青年渋沢栄一

封建制度への反発


少年平九郎が見た貧富の矛盾



代官にたてつく青年渋沢栄一

◇封建制度への反発

 安政3(1856)栄一十七歳のとき、血洗島(ちあらいじま)村から6里ほどの武蔵国岡部(現・埼玉県岡部町)にある陣屋の代官から渋沢宗助渋沢市郎右衛門(いちろえもん)宛に呼出状が届いた。いつの世も代官といえば虎の威を借る輩と相場は決まっている。その治世は極めて横暴であった。当然自らは何も生まない階級で消費するいっぽうである。何かと理由を付けては農民などから御用金を取り立てる。

 たまたまその日は、栄一の父市郎右衛門が風邪気味であったため、父の名代として若い栄一が宗助とともに出頭した。その時のやりとりを山口平八著「渋沢栄一」より引用するとつぎのようである。

 「今日召状を(つか)わしたのは、余の儀でもない。この度姫君お輿(こし)入れの御内儀があるによって、その御入用として名主または物持ちから、それぞれ分に応じて御用金を上納するように申付ける為じゃ。()いては、御用金の額じゃが宗助には千両、市郎右衛門には五百両申付ける。有難く御受けして今日にも持参するように致せ。」

 宗助は型のごとくすぐさま承知したが、栄一は我慢ならず、
 「御用の趣きしかと承りました。早速帰りまして父に申伝えます。」
 これを聞いた代官烈火のごとく怒り、
 「その方は市郎右衛門の名代として出頭したのではないか。それ位のことが即座に挨拶出来んで名代と申せるか。それを御請けせぬとは何事だ。十七歳にもなれば最早夜遊び位はやっているのに相違ない。五百両や七百両の金を一存で御請けできないとは何たることだ。これ程お上を恐れぬふらちな振舞はない。その分にはすておかんぞ」
 とすごんだ。

 陣屋から帰って来た栄一を待っていた市郎右衛門は、早速御用金取り立ての話しを聞いた。市郎右衛門は、泣く児と地頭には勝てないとすぐに引き受け、翌日には御用金を差し出しことなきを得たが、治まらないのは栄一であった。

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 この御用金問題で栄一には、封建制度に対する疑惑と不満が一気に頭をもたげると同時に、人間にとってもっとも尊重さるべき自由と平等が虐げられていることに対して強烈な反抗心が生まれた。栄一が武士となり、攘夷思想(※)に燃え、さらに明治維新後には偉大なヒューマニストとして各界の指導者になりえた動機はまさにこの一件にあったといえる。

 ※:西欧諸外国の日本進出に伴い、夷人(いじん)夷狄(いてき)視し(はら)う、つまり武力に訴えてでも外国人を排撃しようという考え。夷は東方の蛮人、狄は北方の未開人の意。


◇少年平九郎が見た貧富の矛盾
 代官に逆らった栄一の反骨精神を聞き及んだ平九郎も同じく、虐げられる農民の悲しさ悔しさに対する複雑な思いが胸の内に芽生えていた。それを象徴するような、姉ちよが栄一に嫁いだときのエピソードがある。

 安政5(1858)暮れ、中の家(なかんち)の栄一にちよが嫁ぐことになった。栄一十九歳、ちよ十八歳のときだった。この頃栄一は、内心では憂国の志に燃え、国事に一身を捧げたい思いに溢れていた。いっぽう父市郎右衛門は、栄一に嫁でも貰えばすこしは落ち着いて農業に専念し、渋沢家の跡を継いでくれるのではないかとお膳立てをしたのである。

 婚礼は華やかに執り行われたが、もっとも気の合った姉ちよの嫁入りにまだ十二歳の平九郎は感傷的にならざるをえなかった。晴着を着飾った村びとたちが、沿道に起ち並び花嫁を見送ってゆく。
 その時、人目に付かない木立の陰に隠れるようにしている身なりの貧しい親子が平九郎の眼にとまった。祝い事の場に出ることもできない貧農が、それでも名主様の花嫁を一目でもと見に来たにちがいない。この彼岸の大きな貧富の差はいったいなんなのであろうか。多感な少年平九郎の胸に重くのしかかった。


 華やかな婚礼の儀は一週間にもおよび、尾高家にようやく日常が戻ったある日、父の勝五郎が心臓を患って急死してしまった。祝儀につづく不祝儀に家族は大わらわとなった。台所事情は相変らず火の車だったにも係わらず、近所の手前引き続き借金しての大盤振る舞いとなった。平九郎はそれを横目で見ながら、なんと馬鹿馬鹿しい見栄を張るものだと悲しくなった。あの木陰で覗いていた貧農の親子の姿を思うにつけ、逃げ出したくなる思いだった。

 血洗島の暮れは、寒風が吹きすさぶのが常だ。平九郎は吹き付ける土砂まじりの風に、眼を閉じて立ち尽くしていた。父の死に顔、姉の綺麗な花嫁姿、それを見送る貧しい親子が、複雑に絡んで脳裏を駆け巡った。

(つづく)


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【 公 演 】
2020年5月23日(土)
2021年2月6日(土)

深谷市民文化会館 大ホール

ホームページ  
https://www.unist.co.jp/heikuro/

 



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