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そ の ()

5

加 藤 良 一

2020219



高崎城乗っ取り計画

攘夷思想の高まり


神託

高崎城乗っ取り計画


尾高長七郎の涙


高崎城乗っ取り計画

◇攘夷思想の高まり

 嘉永6(1853)6月の黒船来航以来、外国の脅威に対する不安が日本中に拡がっていた。はじめは主に江戸幕府が中心となって対応していたが、文久2(1862)頃よりいよいよ京都へと舞台を移し、朝廷が動き出す気配が強まっていった。
 天皇を尊び外敵を斥けようという尊王攘夷(尊攘)派の水戸藩士たちは、安政7年/万延元年(1860)の桜田門外の変、続く文久2(1862)坂下門外の変と暗躍を続け世間を騒がせていた。世の激しい動きのなか、ひとえに攘夷思想に駆られていた武士たちが尊王攘夷へと、さらには有効な手立てを示さない幕府に業を煮やし尊王討幕へと姿勢を変えていったのも仕方のないことだった。

 開国によって貿易が盛んになり、外国からさまざまな品々が輸入されるいっぽうで、国内からは生糸や茶などが大量に輸出された。もとより国内の生産力はさして大きくないため、たちどころに供給不足となり、高値が付いていった。その事態に呼応して諸物価が高騰し庶民生活は苦しさを増していた。当然武士たちも夷狄(いてき)憎しと排外思想へと傾いていったが、その多くは下級武士が占めていた。

 国内には行き場のない不満や不安が鬱積しており、いつそれが爆発するかという緊迫した状況のなか、渋沢栄一青淵(せいえん))、尾高新五郎惇忠(じゅんちゅう))、渋沢成一郎喜作)の三名が中心となって途方もない企てを練っていた。


神託
 上の三名の者たちの憂国の情は益々募り、尊王攘夷から討幕へと突き進んでいった。文久3(1863)11月、尾高惇忠(じゅんちゅう)は、以下のような檄文を発した。

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一、近日高天ヶ原より神兵天降(あまくだ)り、皇天子十年来憂慮し給ふ横浜函館長崎三ヶ所に住居致ス外()畜生共(ちくしょうども)不残(のこらず)踏殺し、天下追々の彼の欺に落入(おちいり)、石瓦同様の泥銀(でいぎん)にて日用衣食の物を買とられ、自然困窮の至りにて畜生の手下に相成(あいな)可く、苦難を御救い成され(そうろうあいだ)、神国の大恩、相弁じ異人は全く狐狸同様と心得、征伐の御供致す()きもの也
一、此度の催促に(いささ)かにても故障致し候者は、即ち異賊の味方致し候筋に(そうろうあいだ)、無用切捨て申し候事
一、此度供致し候者は、天地再興の大事を助成仕り候義に候得ば、永々神兵組と称し、面々其の村里に附いて恩賞仰せ付けられ、天朝御直の臣下と相成り、万世の後迄も姓名輝き候間、抜群の働き心掛け()く候事
一、是迄異人と交易和親致し候者は、異人同様神罰蒙る()き儀に候得ば、早速改心致し軍前に拝復し、身命を(なげう)ち御下知相待ち候ハバい御寛大の神慈、赦免これ有る()く候事
  天地再興文久三年発亥冬十一月吉辰
  神使等 印 謹布告


右の文言(もんごん)早速書き写し寄せ場村々へ漏れ無く触達(ふれたっし)申す()く候、もしとりすて候者にこれ有り候ハバ立ち処に神罰これ有る()く候、以上

当所年寄り共へ

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◇高崎城乗っ取り計画
 腐敗した徳川幕府の滅亡はほぼまちがいない。農民であっても一個の国民であり、日本が滅亡するのを座して見ているわけにはいかない。攘夷を断行するには先ず軍備を整えねばならない。そのためには手近で調達するほかあるまい。白羽の矢が立ったのが血洗島(ちあらいじま)村からほど近い高崎城であった。高崎城は上野国群馬郡(現・群馬県高崎市高松町) にあり高崎藩の藩庁であった。烏川に沿って築城された平城、周囲は土塁で囲まれているだけだった。攻め落とすのはさほど難しいとも思えなかった。

 乗っ取り決行の日は文久3(1863)1112日と決まった。その日は冬至であった。高崎城を乗っ取り、軍備を整えたならただちに横浜へ進撃し、横浜の洋館を破壊、外人と見るや皆殺しにするという大胆な作戦である。
 武器の調達は栄一の役割だった。旅商人を装った栄一は父から藍の買い入れをするという名目で受け取った三百両を懐に神田の武具屋から買い集めてきた。本当に欲しかったのは鉄砲だが、それは幕府の嫌疑を受ける危険があるので断念、その代わりに刀や槍その他を大量に買い込んだ。そうして冬至までまだ間がある10月半ばまでにはほぼ準備が整った。


◇尾高長七郎の涙
 1025日夜、尾高長七郎が京都から舞い戻って来た。乗っ取り計画を企てる血気盛んな平均年齢25歳にも満たない同志たちが待ち望んでいた人物である。長七郎は惇忠の弟、平九郎の兄にあたる。長七郎は京都滞在中、政治の大きな変動を目の当たりにし、一個人や一集団で体制を変えることの困難さを実感していた。そこで、武力で強引に歴史を変えようとすることの無謀さを諄々と話し、自分はこのような計画に参加しない、乗っ取り計画は止めるよう説得を始めた。

 一緒に行動してくれるとばかり確信していた同志たちは、長七郎が乗っ取り計画は暴挙だと主張したから顔色を変え一斉に色めき立った。
 「なにを、暴挙だと!」
 「そのとおり、この計画はどうみても暴挙だ」
 「長七郎、この期に及んで命が惜しくなったのか、卑怯者めがっ」
 「そんなことはでない。諸君らは百姓一揆まがいの暴動を起こしていとも簡単に殺されるだけだ。」
 気短な者は早くも刀に手を掛けていきり立った。不穏な空気が場を占めたそのとき、最年長者の惇忠がそれを遮って口を開いた。
 「まずは落ち着いて長七郎の話しをよく訊こうではないか。拙者が訊くから皆は見守っておれ」
 長七郎は京都で見聞きした情勢を丁寧に説明し、無謀な行動で悲惨な結果に終わった例などを話したが、居合わせた者はそう簡単には納得しなかった。討論は夜を徹して行われ、次の日も延々と続けられた。

 最後に栄一から、長七郎の変身に対する厳しい言葉が投げつけられた。それを受けた長七郎は、皆の前で涙ながらに計画阻止の想いを述べた。
 「やむを得ない。これほど言っても分からないとは残念だ。だが、どうしてもこの計画はやらせない。命を賭してでも止めるっ」
 気丈な長七郎が人の前で初めて流した涙だった。ここに至って居合わせた一同黙ってしまった。そこへ平九郎が兄長七郎に同意する旨の発言をした。そうこうするうちに同志たちも次第に長七郎の説得を受け入れることとなり、ついに計画は中止と決まった。

(つづく)


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【 公 演 】
2020年5月23日(土)
2021年2月6日(土)

深谷市民文化会館 大ホール

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