《 雑 感 平成17年 (2005年)

 
 
1月4日 ラデツキー行進曲の演奏されないニューイヤーコンサート
1月13日 マイコプラズマよお前もか?
1月24日 ふたたび 『ラデツキー行進曲』
2月10日  『ラデツキー行進曲』の結末
6月27日 七夕さま
9月1日 ハリケーン「カトリーナ」
10月30日 にこにこポジチブババ 

    

    
 


10月30日    にこにこポジチブババ

 先日、愛知県豊川市の女性からメールを頂いた。これはいわゆるファンレターというものなのだろうか。いわゆる作家だったらそうかも知れないが、私の場合はそんなこととはちょっとちがうのではないか。同じ合唱という世界に身を置いているというその共通項で通じるものがあるからこそ書いて頂いたのではないかと思う。


加藤良一様へ

 書店に注文しておいた「音楽は体力です」先週土曜日、私の手に届きました。楽しく拝読いたしました。初っ端のフルート演奏の話は、私 クス と笑ってしまいました。ご免なさい。
 中学一年時のあることが脳裏に浮かび、同じ事だと思いました。学級対抗の合唱のピアノ伴奏を私が務めました。1番、2番同じ処、4小節、指が動かなくなりました。でも、伴奏に関係なく合唱は歌われ演奏は終わりました。情けない私でした。
 中学卒業後は少し歌ったりしましたが、音楽はもっぱら聞く方でした。何十年後、平成三年にドイツ語で第九を歌ってみようと考えた事が合唱への始まりでした。ハーモニーにはまり、指導してくださる近藤惠子
さとこ先生に、はまりました。今は、豊川コール・アカデミーに所属しています。
 人生折り返し点近くで始めた合唱、「音楽は体力です」の内容と似たことを感じております。

 私の感じたこと。
 T.コーラスは体育系。
 T.歌には歌っている人の人間性が現れる。
 T.音を聞き分けれる人と聞き分けれない人がいる。コーラス歴の長さには関係なし。音程、ピッチ、リズム、発声、歌い方、日本語の発音ほか。音程音痴、リズム音痴の私は課題が山積しています。
 御著書を拝読して、思う事を認めてみました。乱文にて申し訳ありません。皆様のご健康とご発展を心よりお祈り申し上げます。

にこにこポジチブババ

 

 豊川コール・アカデミーは、指揮者の近藤惠子先生が1982年から指導しておられる混声合唱団とのこと。にこにこポジチブババさんは、メールに書かれているとおり「人生折り返し点近く」で合唱を始められた合唱人だが、私は一面識もないのでどのような方か詳しくは知らない。しかし、ハンドルネームに「にこにこポジチブババ」と自ら名乗ることからして、人生に対して前向きな姿勢をつねに維持しておられる方ではないかと想像している。にこにこポジチブババは、英語にすれば“Smiling positive Grandma”とでもなるのだろうか。でも、“Grandma”ではどうもしっくりしない、ここは“Smiling positive Baba”と日本語のままのほうが落ち着くようだ。
 近藤惠子先生の経歴を簡単に紹介すると、愛知教育大学音楽科卒業と同時に岡崎高校に着任され、そして、着任二年目で同校コーラス部をNHKコンクール県一位に導いている。平成5年より全日本合唱コンクールにも挑戦を始め、両コンクールをあわせて19回の全国大会出場を果たしている。現在、岡崎高校コーラス部、岡崎混声合唱団、豊川で第九を歌う会常任指揮者などを務めておられる。岡崎高校といえば、昨日(10月29日)開かれた第58回全日本合唱コンクール全国大会高等学校部門で銀賞を受賞している実力校である。

 そもそも私とにこにこポジチブババとの出会いは、豊橋市の男声合唱団「ふんけんクラブ」の掲示板である。「ふんけんクラブ」は ここのリンク集にあるので、一度ご覧頂きたい。
 このように、一冊の「本」が導いてくれる思わぬ出会いに驚きを感じることがたまにあるが、一期一会、知らぬ同士でも共有できるものがあれば、垣根はすぐに取り払われるものである。
 



9月1日    ハリケーン「カトリーナ」

 「真夏のニューオーリンズはとにかく蒸し暑かった。」
 
と、書いたのは、ちょうど6年前の真夏にニューオーリンズを訪れたときの印象であった。そのニューオーリンズが、巨大なハリケーンに襲われて壊滅的な状況となっている。折りしも日本では 9月1日は防災の日である。

 さいわいにも、私がニューオーリンズを訪れたときは、暑かったが平穏であった。その平和な街並みや、人々の暮らし振りを書いたのが、音楽/合唱欄にあるバーボン・ストリートのバス歌手(M-3)である。 左の写真はそのときに泊まったホテルから撮ったものである。ミシシッピ川までのんびり歩いても数分でたどり着いてしまうほどの距離にあった。
 あの素敵な街並みが水に埋まってしまったと思うと、なんともやりきれない気持ちになる。
 また、水の汚染による感染症の恐れが指摘されているというし、ニューオーリンズ市長は8月31日、警察官1500人に対し、被災者の救援作業を中断し、市内での略奪行為取り締まりにあたるよう命令を出したと報じられている。

  「バーボン・ストリートには、夕方になるといろいろなストリート・パフォーマーが出てきて飽きることがない。子供から大人まで、腕やのどに自信がある奴らがみんな小遣いかせぎをしている。タップダンスを披露する子供、楽器の演奏、歌、その他なんでもありなのだ。
 黒人と白人のデュエットは、気取りも飾りもせず、ゆったり流れるミシシッピの流れのごとく夕暮れどきのバーボン・ストリートの景色に自然に溶け込んでいた。ぼくは、しばしわれを忘れて、夕暮れのひとときに浸っていた。
 音楽が街のなか隅々まで流れていた。それこそ、そのへんのドブにだって流れている。こんなことを感じたのははじめてある。日本の町で音楽をここまで身近に感じたことはない。月並みな表現になってしまうが、まるで映画の一シーンを観ているようで、思わずいっしょになって口ずさんでしまった。 」
    (『バーボン・ストリートのバス歌手』より)

 フレンチクォーターのあの優雅な街並みは、果たし戻ってくるのだろうか。
一刻も早い復興を願うばかりである。

 



6月27日    七夕さま

  

笹の葉さらさら 軒端に揺れる
お星さまきらきら 金銀砂子
五色の短冊 私が書いた
お星さまきらきら 空から見てる



 この曲を知らないひとはいないだろう。下総皖一(しもふさ かんいち)作曲の唱歌『たなばたさま』である。下総皖一は、以前どこかに書いたが、前コール・グランツ指揮者の鎌田弘子先生が東京芸大で師事した教授である。この曲は、『たなばた』ともいわれているようで、どちらが正しいかは知らない。先日終了した埼玉県合唱祭の全体合唱で、久し振りにこの曲を歌った。シンプルできれいなメロディである。
 雨が降る季節、じとじとするのは敵(かな)わないが、から梅雨も先行きが心配だ。もう6月も終わり、七夕の季節がやってくる。
 七夕といえば、子どものころ、どこからか笹をもらってきては、願い事を書いた短冊や千代紙などでこしらえたお飾りをぶら下げたりしたものである。このHPのなんやかや欄に掲載してある島崎弘幸氏の『天の川と少年(E-20)を思い出して、つい読み直してみた。
 7月は文月、「ふづき」あるいは「ふみづき」というが、短冊に歌や字を書き、書道の上達を祈った七夕の行事に因み、「文披月(ふみひらきづき)」が転じたとする語源説が有力という。
 



2月10日  
 ラデツキー行進曲の結末

 『ウィーン・フィル音と響きの秘密』の著者、中野雄(なかのたかし)さんよりお手紙をいただいた。
 内容は、ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのフィナーレは、果たしてラデツキーラコッツィーかという私の疑問に対するお答えであった。
 手紙によれば、あれは「ラコッツィー行進曲」ではなく「ラデツキー行進曲」の誤りであったとのこと。うっかりミスで、校正のときも何となく通ってしまったそうである。やはりそうだったのだ。これでようやく私の頭の中もすっきりした。

 しかし、思い込みによるミスというものは、どこにでもあるものだ。中野さんのような超ベテランの書き手にも、このような落とし穴がつねに口を開けて待っている。うまい文章を書くことも大切だが、多くの人の目に触れるものには細心の注意が必要だという良い教訓であった。
 『ウィーン・フィル音と響きの秘密』は、もう7刷も重ねているという人気の本である。ぜひ一度読まれてはどうだろうか。最新版では修正を施したそうだから、修正前の版は案外希少価値がでてくるかも知れない。



1月24日   ふたたびラデツキー行進曲

 
先日この欄にウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートのことを書いた。
 その後、たまたま中野雄(なかのたかし)さんの 『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』(文春新書・文藝春秋社) という本に出会った。中野さんは、東大法学部を卒業したのち銀行を経て音響機器メーカーのケンウッドに移られ、そこで手掛けられたLPやCDの制作で 「ウィーン・モーツアルト協会賞」 などを受賞し、さらに 『丸山眞男 音楽の対話』 などの著書も出されている。

 『ウィーン・フィル 音と響きの秘密』 は、ウィーン・フィルにまつわる歴史や歴代の指揮者のはなし、楽屋裏のことなどいろいろなエピソードが盛りだくさんに書かれた本である。
 小澤征爾さんが指揮をして日本中が大騒ぎした、例の2002年ニューイヤー・コンサートについても一章を設け、賛否両論を紹介している。小澤さんに対する批判の主だったものは、ウィンナ・ワルツをすみずみまで振りすぎる、ウィーンのワルツは四角四面ではなくもっと自由度の高いものだ、というようなことらしい。小澤さんの几帳面さが逆に堅苦しさとなって耐えられないという。
 そうかと思うと、ウィーン・フィルのスター・プレイヤーであるクラリネット奏者のオッテンザマーさんは、小澤さんの指揮に 「異和感なし」 と太鼓判を押したそうだ。中野さんは、「小澤の音楽は、書で言えば “楷書”、それもとびきり上質の楷書なんだな」と好意的に受けいれ、<小澤は小澤の流儀で>指揮すればよいとまで言っている。
 
 さきほどのオッテンザマーさんは、小澤さんがニューイヤー・コンサートを指揮した同じ年の春、ウィーン・モーツアルト・オーケストラを率いて来日し、各地でコンサートを開いたそうだが、そのときアンコールの最後に“定番”の 『ラコッツィー行進曲』 を演奏し、客席とともに大いに盛り上がったと紹介されていた。日本におけるニューイヤー・コンサートの再現である。
 「特にお客さんの拍手をリードする気合いと間合いに関する限り、君の方が小澤さんより上なんじゃないかなあ」 と、中野さんがオッテンザマーさんを誉めたところ、「それは、ぼくがオーストリア人だからだろ」 とニコリと笑った。さすが実力のあるプレイヤーなんだな、と感心したものの、いや、ちょいと待てよ、ニューイヤーの呼び物は 『ラコッツィー』 だったかな、たしか 『ラデツキー』 じゃなかっただろうか。いやいや、中野さんほどの方がまちがえるはずもなかろう。おかしいのはきっと私のほうにちがいない。これだけれっきとした本にドーンと書かれているんだから。
 そうだとしたら、先日この欄に 『ラデツキー行進曲』 と書いてしまったけれど、ずいぶんみっともないことをしてしまったものだ。知ったかぶりがバレてしまったか。もしほんとうにまちがっているなら、修正しなければならない。これはなんとか 早く調査する必要がある。すこし冷静になって考えることにした。まずはウェブサイトでウィーン・フィルを検索。すると、どこも書かれているのは 『ラデツキー行進曲』 ばかりではないか。これですこしは安心だ。さらにいくら探しても 『ラコッツィー行進曲』 がニューイヤー・コンサートとの関連で書かれているものなど出てこなかった。

 このふたつは、ちょっと聞いたところでは似ているように聞えないこともないし、 いずれも人名である点が共通してはいるが、さりとてとリちがえるほど似た名前でもないだろう。 ラデツキー行進曲(Radetzky)ヨハン・シュトラウス一世 (つまりオヤジさんのこと) の曲で、ラコッツィー行進曲』(Rakoczy) のほうはベルリオーズの曲だ。 『ラコッツィー行進曲』 は別名 『ハンガリー行進曲』 とも呼ばれる。劇的物語<ファウストの劫罰(ごうばつ)>の第3場 「だが、田園をいろどるのは戦いの雄叫びなのだ」 で演奏される行進曲で、ニューイヤーを華やかに祝うにはちょっと雰囲気がちがう。聴衆全員が手拍子をするような曲でもない。
 ここの箇所は、案外気づかずに読み飛ばしてしまう人もいるかもしれないし、全体の意味が通じないほどでもないから、鬼の首を取ったようにあげつらうことでもないだろう。中野さんは、きっと 『ラデツキー行進曲』 を ラコッツィー行進曲 と思い込んでしまったちがいない。
 それにしても、私としては ラコッツィー行進曲 がニューイヤー・コンサートで過去に一度も演奏されたことがなかったかどうかまでは知らないので、『ラデツキー行進曲』 だと主張するにも今ひとつ力が入らない。あいかわらず落ち着かない状態にいることだけはたしかだ。誰かフォローしていただけるとありがたいのだが…。
 



1月13日   マイコプラズマよお前もか?

 先日(1/11)、ビートたけしのテレビ番組 「最終警告!本当は怖い家庭の医学」 で、長びく乾いたせきがマイコプラズマによる肺炎だったという話題があったが、そのなかでちょっと引っかかるところがあった。それは、マイコプラズマをはっきり細菌と言っていたことだ。
 マイコプラズマは、細菌をろ過できるほどの目の大きさのフィルターでは通過してしまうことと、細菌のような細胞壁がないことなどからマイコプラズマ目として区別されている。大きさからしてもウイルスでも細菌でもなく、その中間的な位置にある微生物なのである。
 前に 「ウイルス菌?(なんやかや E-45) で、世の中ではウイルスと細菌を混同するケースが多いと書いたけれど、病原性を有する微生物は、すべて細菌とかバイキンなどとひっくるめて呼んでしまうことはやはり避けられないことなのであろうか。もちろん目くじら立てるほどのことではないだろうが、どうにも気になってしかたがない。できれば細菌ではなく、病原体とか病原微生物と言ってほしいところである。



1月4日   ラデツキー行進曲の演奏されないニューイヤーコンサート

 衛星中継で毎年恒例となっているウィーンフィルニューイヤーコンサートを聴いた。会場はウィーン楽友協会大ホール。コンサートの途中で楽団長から新年の挨拶とともに、インド洋沿岸で起きた巨大津波の被災者に哀悼の意を表して、フィナーレの 「ラデツキー行進曲」 を演奏しないとの異例のコメントが発表された。
 ニューイヤーコンサートは、新年を祝うコンサートで、ご存知のとおりヨハン・シュトラウスを中心にしたワルツやポルカといった明るく楽しげな舞曲ばかりで構成されている。そして、フィナーレで演奏される 「ラデツキー行進曲」 で会場全体がひとつになるという醍醐味があるのだが、今年は残念ながらそれが中止された。会場へ詰めかけた聴衆には少々不満もあったろうが、これはこれでやむをえないし、妥当な判断だと思う。
 指揮者のロリン・マゼールは、1980年からこのコンサートを振っており、前回の1999年以来11回目の指揮となった。昨年は、父ヨハンの生誕200年であり、彼の作品が多く取り上げられたが、今年も基本的には変らないプログラムだったように思う。ちなみに昨年は、リッカルド・ムーティが指揮した。また小澤征爾が指揮したのは2002年の一回だけである。
 ロリン・マゼールは、指揮以外にヴァイオリンも披露した。ただし、ヨハン・ヨーゼフ・シュトラウス 「ピッツィカート・ポルカ」 をピッツィカートで弾いただけだから、果たしてどこまでヴァイオリンが演奏できるのかわからなかったが、多才なひとである。例によって 「いなかのポルカ」 では、手ではなく口の空いている楽団員が 「ラーラーラッラー ラッラー ラーラーラー …」 と歌う箇所があるが、あそこはいつも見ていて、口の空いている楽団員だから歌えるんだと思ってしまうところである。当り前だが、口を使う管楽器奏者は参加することができないからだ。もっともここは、いなかの雰囲気だとばかりに気楽に声を張上げていて全然音楽的ではない。そこでマゼールが呆れ顔をするのだが、最後に自分が客席に振り返ってだみ声で「ラーラーラッラー …」 とやって大うけにうけた。

 今年は、公私共に慌しげな年になりそうである。来年のニューイヤーコンサートでは、「ラデツキー行進曲」 が高らかに演奏されるよう祈るばかりである。



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