《 雑 感 》平成14年 (2002)



 月25日(月) ホームページを立ち上げ3月23日
 3月27日(水) 拙著『音楽は体力です』 東京国際ブックフェア2002で展示
 3月28日(木) 日本代表がアウエーでポーランド代表を下す
 4月06日(土) 東京リーダーターフェルと「遥かな友に」
 4月09日(火) 埼玉県立図書館
 4月21日
(日) 山形新幹線でのんびりと
 4月30日(火) バッハの無伴奏チェロ組曲と座禅
 月02日(木) 島崎弘幸氏の「東へ西へ 団地を走る男のきもち」に、理工系と法文系のちがい……
 
月06日(月) 待望のワールドカップ始まる
 
月17日(金) エッセイ「なぜソフィーはそれを選択したのか」をようやくアップした……
 
月25日(土) ワールドカップ開幕まで一週間
 月29日(水) コンサートで気になること
 
月29日(土) ワールドカップ、2試合観戦
 
月06日(土) 日韓W杯直後に勧告を訪問
 
月13日(土) アメリカのブラックジョークを……
 
月20日(土) ピアニスターHIROSHI
 7月25日(木) 全日本合唱連盟「ハーモニー」…“Chor Glanze” コール・グランツとなって……
 8月20日(火) ュージカル「ラ・マンチャの男」が1000回目の公演を終えた……
 8月25日(日) 「精神分裂病」を「統合失調症」に名称変更
 9月01日(日) 日本の中学3年生の学力とくに数学能力は、OECDランキングで……
 9月25日(水) まだヨーロッパから帰って来たばかりでジェット・ラグ(時差ぼけ)が完全に抜けない……
 9月26日(木) ギュスターヴ・エッフェル(1832-1923)が、古典的美学の結晶と……
 9月30日(月) パリには北東のシャルル・ド・ゴール空港と、南のオルリー空港の二つの……
 10月01日(火) 以前(8/25)この欄で、「精神分裂病」が 「統合失調症」と名前を変えた……
 11月02日(土) 科学と非科学のあいだ
 11月04日(月) Stimulating illusory own-body perceptions
 11月14日(木) 近ごろはまったく絵を描かなくなってしまった。もう絵筆……
 11月25日(月) 小林泰明氏のエッセイ「『青春』の詩」を……
 12月08日(日) 『走って 歌って ─ 濱ちゃんとともに』
 12月21日(土) 男声合唱プロジェクトYARO会 発足





12月21日(土)
  男声合唱プロジェクト YARO会 発足
 今年の夏、新潟で開かれた関東おとうさんコーラス大会で持ち上がった話しがついに実現する運びとなった。比較的小さな合唱団同志がジョイントし、いつもはなかなかできない大人数での演奏をやりたいという 話しである。

 大学のグリークラブなどではよくジョイントがみられるが、社会人の団としては珍しいにちがいない。
 問題はいくつかあるが、とくに演奏時間をどれだけ短くできるかが課題である。1回のステージで5団体それぞれの演奏と、メインの合同演奏をこなすにはかなりの時間が必要になる。各団20分ずつに絞ってもそれだけで1時間40分かかり、そこへ合同演奏やアンコールを加えると正味で軽く2時間を超してしまう。
 聴衆に負担にならないていどの時間としては、どうみても2時間30分が限度。ここでむずかしいのが各団の選曲、まとまった演奏をしようとすると、どうしても20分でおさまるものは見当たらない。ぎりぎりの選択として、短めの組曲の一部を割愛するとか、あるいは小さな曲を寄せ集めてオムニバスとするなどになってしまう。各団の特色をいかに出すか、選曲のよしあしも見ものである。

 合同演奏曲は、指揮者の小高秀一氏の意向も聞きながら関係者で調整した結果、多田武彦の『富士山』と決まった。見方によっては何の変哲もない曲ということかもしれないし、いややっぱり富士山でなくっちゃだめだという思い入れのある人も多いことだろう。最初のジョイントコンサートとしては、とりあえず落ち着くところへ落ち着いたという感じである。たぶん2回目以降は、またちがった方向で曲が選ばれることになろう。

 



12月8日(日)  『走って 歌って ─ 濱ちゃんとともに』
 男声合唱をこよなく愛し、マラソンにも打ち込んでいた濱本一秋さんを偲んでご遺族が出された『走って 歌って ─ 濱ちゃんとともに』を読ませていただいた。
 濱本さんは、不慮の交通事故で1999年、30半ばでこの世を去って行かれた。小田原男声合唱団を代表して日本男声合唱協会(JAMCA)の活動にも参加され、1997年からスタートしたメーリングリスト(JML)の立ち上げにも努力された方で ある。私がJMLに参加したのは比較的新しいので、濱本さんとやりとりしたことはなかったけれど、このメーリングリストを通じて男声合唱に打ち込んでいる姿を知った。このたびご遺族のご了承を頂き、『走って 歌って ─ 濱ちゃんとともに』をご紹介するコーナーをこの拙いホームページに設けた。男声合唱に限らず、何かのお役に立てればこれ以上のことはないと考えている。

 なお日本男声合唱協会(JAMCA)では、メーリングリスト(JML)への参加を呼びかけている。男性に限るわけではないだろうから、女性も含めて一人でも多くの方が参加し、いろいろな情報交換をするなかから新しい合唱界が拓けることを期待する。

 


11月25日(月)

 小林泰明氏のエッセイ「『青春』の詩」を“なんやかや”欄に掲載したが、小林氏が題材にとられたサムエル・ウルマンの詩「青春」は、ワイフの母が好んでいる詩でもある。 とてもいい詩がある、と母が便箋に書いてワイフに渡してくれたものである。

 ウルマンは、1840年4月13日ドイツのヘヒンゲンでユダヤ人両親の長男として生まれ、その後、アメリカに移住し後半生をアラバマ州バーミングハムで過ごした。新世界アメリカでの厳しい時代を生きたウルマンは、理想を追うことの大切さを「青春」という詩に歌い込んだ。この詩は、ウルマンが70歳代で書いたとされる。

 


11月14日(木)
 近ごろはまったく絵を描かなくなってしまった。もう絵筆を持たなくなってから何年になるだろう。 絵を描くにはそれなりの時間とこころの余裕がないといけない。

 学生時代、デザインを勉強していた友人から石膏デッサンの手ほどきを受けたことがある。 そのときは、素人ながらなんとか形をつけていたつもりでいたが、今から思えばあくまで日曜画家の範疇におさまっていたようだ。

 デッサンには、油彩ほどではないがそれでも何点かの道具が必要である。紙と木炭があればそれでいいのだが、いちおう専門の道具が売られている。木炭紙といわれる新聞を開いたくらいの大きな画用紙、それをとめるカルトン板、イーゼル(画架)、デッサン用木炭、練りゴム、食パン、刷毛、ガーゼなどを揃えればよい。

 もっとも肝心かつ重要なのは、描く対象である「石膏像」であるが、試みにやってみようとしただけだからおいそれと買うわけにもいかない。そこで、友人が所蔵していた石膏像を借りて、とにかく描いてみることにした。その石膏像は、イギリスの聖者「サン・ジョルジョ」だった。まずは、石膏像がきちんとできていなくては、しょせん絵の勉強になどならない。その石膏像は 、等身大よりすこし小さいくらいの像で、よくできていたが、とにかくでかいので置き場所に困った。

 デッサンにあたっては、まず基本を知ることから始まった。最初に決めねばならないことは、「構図」をどうするかである。木炭紙全面を使いながら、かつすみずみまで神経が届いていなければならない。像をどの角度から描くか決まったら、つぎに画面にどのように配置するか、縦と横の関係などを調整 し基本構想を立ててゆく。

 実際に描き始めるまでに思いのほか時間がかかった。また描き始めても、一日やそこらで仕上げることなどできない。何日もかけてすこしづつ進めていくのである。 木炭で描いては、練りゴムとパンで消し、調子を整える。細部から全体へ、全体から細部へと往復しながら、つねに像を観察することを忘れてはならない。画面のどこにハイライトをもってくるかも、事前に見当をつけておかねばならない。指や手のひらも、影や調子を出すのに欠かせない重要な道具となる。
 このデッサンにどれくらい時間を費やしたか記憶していないが、それなりに掛かったにちがいない。そのとき友人から習った絵の基本は、いまだに覚えているものである。

 けっきょく、サン・ジョルジョは、もうこれでお仕舞いというところまで描かずに終わってしまった。今では茶色くなってしまったが、本来は真っ白な紙だったのだ。長いあいだに煤けてしまったらしい。それに木炭は鉛筆ほど紙に定着しないから、剥がれ落ちやすい。そこでフィキサティフという定着剤を表面にスプレーしてあるが、それで完全に防げるものでもない。いくぶんかは剥げ落ちてしまった。

 


11月4日(月)
 
Stimulating illusory own-body perceptions
        The part of the brain that can induce out-of-body experiences has been located.

 
イギリスの科学雑誌 Nature 9月号にちょっと興味を惹くレポートが載っていた。Nature は、特定の分野を専門的に扱うような雑誌ではなく、広く何でも扱っている、いわば日本の月刊誌「科学」のようなものであろうか。
 オカルトにはほとんど関心がないが、このレポートは“体外離脱体験を引き起こす脳の領域を発見”したというものである。体外離脱のことを日本では、一般的に幽体離脱とも呼んでいる。幽体離脱などという表現自体すでにある種の意図が含まれていると感じられる。
 これまで幽体離脱を扱った話しは、ほとんどが科学的アプローチではなく、興味本位で取り上げられていて聞くに耐えないものだったが、どうやらこの報告は面白そうだ。

 報告者は、スイス・ジュネーブ大学病院の Olaf Blanke ら4人の研究グループである。
 この研究グループは、てんかん患者の女性の治療中に Out-of-body experiences (OBEs) すなわち体外離脱体験が、繰り返し発生したことを確認した。大脳皮質の角回と呼ばれる箇所を電極で刺激したところ、患者は「私は、ベッドに横たわった自分を上から見下ろしている」と医師に告げたという。 自分の腕を上げてそれを見るように言うと、患者は自分の腕が自分にパンチを食らわせようとしていると感じた。

 なぜ角回を刺激すると、このような体外離脱体験を生じるのかまだ解明できていない。角回は、視覚系からの情報と、触覚や平衡感覚からの情報で体の像を心の中に描き出す系とを統合しているのではないかと Blanke らは推測している。これら二つの系が解離するとうまく像を結ばず、あたかも自分の体を離れて外から自分自身を眺めているように感じられるのではないかという。

          幽霊の正体見たり枯れ尾花

 


11月2日(土) 科学と非科学のあいだ
 科学とはなにかを定義すれば、「体系的であり、経験的に実証可能な知識」のこととなるようだ。ふつう科学といえば、自然科学など を連想すると思うが、社会科学や人間科学も定義からすればもちろん科学である。

 以前、ある特殊な効果を示す「水」のことについて人から話しを聞く機会があった。その「水」には、にわかには信じられないような、いろいろな効果があるとのことだった。まさに不思議な水だという。その人は、こんな話しを非科学的だと思うだろうが、とにかく実際に効果があるのだと力説した。 ときどき、頭から非科学的だと拒否されることもあると正直に言っていた。

 それに対して私は、こう答えた。
 その効果が嘘でないなら決して非科学的だとは思わない。効果がなぜあるか、その根拠がよくわからないということ自体を捉えて非科学的だと否定する姿勢そのもののほうが、よほど非科学的ではないかと。つまり科学的に解明されていないこと以外は、信じないという考え方であるからだ。
 冒頭の定義からすれば「水」の効果は、たしかに「体系的であり、経験的に実証可能な知識」とまではいかないだろうが、理由がわからずとも効果が目に見えていて現象として再現性があるならば、普遍性を備えていることになる。ただし、ここでいう科学の定義が正しいと仮定しての話しであることを 前提としてではあるが。

 けっきょく、その「水」を飲むかどうかは、科学的かどうかとはあまり関係がなさそうである。「鰯の頭も信心から」ではないが、解明できていない事象を非科学的というのは勝手である。科学はまだ完全ではない。この世の中には、科学の力で解明できていない事象は枚挙にいとまがない。

 


10月1日(火)

  以前(8/25)この欄で、精神分裂病」が 「統合失調症」と名前を変えたことに触れたが、実際の医薬品に入れられている添付文書 の病名記載が変更されるのはまだ先のことになることがわかった。添付文書とは、一般に能書(ノウガキではなくノウショと読む)ともいわれる。
 この種の医師から処方される薬(医家向け医薬品)の能書は、通常一般の患者に渡されることはないので、急いで変更することもなかろうと厚生労働省が判断したものと思われる。

 医薬品がどのような病気に効くかを専門的には「効能・効果」といって、たいへん重要な問題であり、その医薬品が承認されるかどうかもすべてその点にかかっている。それだけに、効能・効果が書かれた能書の変更は面倒な手続きが必要とされている。今回の場合、病名が変更されるだけで疾病の実態等には何ら変化がないことから、既に承認されている医薬品については能書記載事項の変更は要求しないが、新規に承認申請するときには新しい病名「統合失調症」を使うことを求めるようである。
 いずれにしても医薬品の能書は、一般の人の目には直接触れないものだけに、診断の際に使う病名を変更するだけでじゅうぶん目的を達することであろう。

 


月30日(月)
  パリには北東のシャルル・ド・ゴール空港(通称ロワシー空港)と、南のオルリー空港の二つの表玄関がある。
 ミラノへ行くのに直行便でなくロワシーでのトランジットとなった。右の写真は、そのときに乗った面白いアイデアのバスである。ふつう飛行機が建物から離れていると、シャトルバスに 乗って移動しなければならないが、このバスは搭乗口から通路を歩いて行くと左手の蛇腹の部分が通路の端に連結しているので、そのままバスの中に歩いて入る仕組みになっている。 廊下を切り取ってバスにしてしまったようなものである。
 歩行者(乗客)が乗り込むと廊下(客室)のリフトが下がってバスの形になり、すぐさま走り出す。 蛇腹の反対側が運転席となっている。飛行機には蛇腹口を連結して乗り込む寸法である。これなら階段の昇り降りもなく、スムーズな移動ができる。とてもシャレッ気があって、そのうえ実用的だ。素敵なアイデアだが、それを実現してしまうところがなかなか凄い。

 このユニークなバスは気に入ったのだが、実はこの空港には個人的に大きな恨みがある。その恨みとは、ミラノでいくら待ってもスーツケースが出てこなかったことである。どうもロワシーの係員がコンテナーに載せ忘れてしまったらしい。けっきょくスーツケースは、翌日の夜中になってやっとホテルに届いた。
 この件についてはさらにオチがある。積み残されたスーツケースを引き取るのに、今度はパスポートとスーツケースの鍵が必要だというではないか。勝手に載せ忘れておいて、それを返すに当たっては持ち主であることの証明をしろときた。たしかに別人に渡されてはかなわないから、やむをえないと思うが、どうも納得がいかない。

 あとから考えると、このトラブルを予期させる伏線はいたるところにあった気がする。一事が万事ではなかろうが、ひとつの例をあげてみよう。
 搭乗口の係りの女性は、同僚とぺちゃくちゃ喋りながら作業していて、乗客をろくに見もしない。話していたかと思うと次は電話である。とにかくあちこち気を散らせながら仕事を続けていた。もちろん手がおろそかになるのは当然で、なかなか列が進まなかった。これが日本だったら、もっと真面目に仕事しろと苦情が出るのはまちがいない。
 あれだけ散漫に仕事していたら、荷物がどっかへ行っちまったっておかしくない。ダブルチェックなんて発想はなさそうだし、もともと好きで仕事してんじゃないと言うに決まっている。

 教訓。八つ当たりは禁物。郷に入っては郷に従え。

 


月26日(木)
 ギュスターヴ・エッフェル(1832-1923)が、古典的美学の結晶ともいえるヨーロッパの中心都市パリのど真ん中に無骨な鉄の塔を建ててしまったのが、1889年パリ万博のときであった。これは、大理石によって築き上げられてきたそれまでのヨーロッパ建築に文字通りの一石を投ずることとなった一大イベントであった。もちろんこれはエッフェル塔のことである。

 以前から一度は登ってみたいと思っていたが、3度目のパリ訪問でようやく登る機会を作ることができた。左の写真は、たまたま塔に登るときに見つけたエッフェルの像である。エレベーターのない脚のところに建ててあった。

 エッフェルは、石の建築で占められたパリに新しい素材“”の建築を持ち込むことで、新しいアートを目指した。そのエッフェル塔が鉄でできたただの建築物という範疇にとどまらなかったのは、通信塔としての役割も備えており、世界に向けて発信するまさに新しい未来志向の塔だったからである。

 いつの世も先駆者に非難が集まるのは、古今東西ところを選ばぬもののようだ。エッフェルの試みに真っ向から反旗を翻し、パリ万博の未来へ向かうイメージを弱めたといわれているのが、あの旧オペラ座を設計したシャルル・ガルニエである。旧オペラ座は、1989年にオペラ・バスティーユと呼ばれる新しいオペラ座ができたため、それと区別するためにその後オペラ・ガルニエと呼ばれている。

 1800年代といえば、ナポレオン3世統治下の第2帝政時代である。大理石をふんだんに使用し、贅を尽くして建造されたオペラ座と、剥き出しの鉄骨で組み立てられたエッフェル塔を見比べるまでもない。新時代を予感させる異様な建造物エッフェル塔の出現にパリ市民は大いに驚いたそうだ。この鉄の塊りは、見方によってはグロテスクでもあるが、とにかくアートとしても特異な存在感があった。
 エッフェル塔以後、パリにどんどん近代的な建物ができたかというと、必ずしもそうはならなかったようである。もちろん近代的なビルが少しづつ増えているものの、いまだに華麗な宮殿や古い建造物のなかにエッフェル塔が忽然とそそり立っているというイメージである。

 


月25日(水)
  まだヨーロッパから帰って来たばかりでジェット・ラグ(時差ぼけ)が完全に抜けない。なんとなくすっきりしない頭でこれを書いている。
 北朝鮮との政治交渉が難しい局面を迎えていることは、ヨーロッパではあまり取りざたされていなかったように思ったが、それはたぶんにフランス語とイタリア語に対するぼくの理解がなかったからだろう。もっとも、それでは英語ならよかったのかと言われても返事に困るのだが。
 ヨーロッパの貨幣は、ご存知のとおり今年から共通の“ユーロ”に変った。蛇足であるが、
ヨーロッパという言い方は正確ではなく、 ここでは EU つまりヨーロッパ連合と表現すべきである。EU は必ずしも地理的なものではなく、経済的政治的な観点から統合されている国々の集まりで、どうしてこの国がヨーロッパかと首を傾げてしまうような例(たとえばトルコなど)がある。それに加えて EUイギリスが参加していないということも、われわれには不可解に写る。ただし、イギリスは日本に非常に事情が似ていて、イギリスからみるとフランスやドイツはあくまで大陸だという意識が強いと聞けば、だいたい察しがつく。かつての世界の覇者イギリスは、ここでも他のヨーロッパ諸国と足並みを揃えることはなかった。

 現在のユーロのレートは、大雑把にいえばほぼドルに近いところだ。因みに9月23日現在のパリでは、1ユーロ=126〜130円ていどで換金できた(これは換金手数料込みだが)。以前は国をまたがるたびに貨幣が変って面倒だったし、為替の差が発生し一喜一憂したものである。
 話しには聞いていたが、通貨の統一という一大プロジェクトの効果は相当大きいのではなかろうか。外国人にとって便利であるのは当然だが、
EU 域内においても同様に利益があると信じる。
 ただ、今回の通貨統合では便乗値上げが相当横行したらしい。とくにイタリアでは、ケタが二つも三つも変ったため、いまだに単位の感覚が掴めない人が多いとのことだった。以前は何万リラもしたものが、いまでは数ユーロとなったのだから、馴染めないのも無理はない。そのどさくに紛れて値上げされたまま、いまでは高値安定となってしまったと嘆いている。

 


月1日(日)
 昨日の日経に、日本の中学3年生の学力とくに数学能力は、OECD(経済協力開発機構)ランキングでトップに位置することが紹介されていた(潮木守一 武蔵野女子大学教授)。2位が韓国、以下6位カナダ、10位フランス、19位アメリカ、20位ドイツ、26位イタリアとなっている。いっぽう読み能力では、1位フィンランド、6位韓国、8位日本、15位アメリカ、21位ドイツ、31位ブラジルと、数学に強い日本や韓国の読解力はやや弱いという結果である。いずれにしても日本と韓国は、ここでも肩を並べている。

 記事の主旨は、ドイツの学力低下がドイツ国内で大きな問題になっていることを論じたものである。かつてのドイツの優秀さに翳りがみられるのは、第二次世界大戦後の「奇跡の復興」を成し遂げた勤勉さが、いまや「レジャー社会」に変ってしまったことが影響しているのではないかとの指摘である。 人々の最大関心事は、つぎの休暇をいかに過ごすかだという。
 わが日本も同じようにレジャー社会になってはいるが、まだドイツほどではないということだろう。ちょっとさみしい気もするが、長期休暇をいかに楽しむかという風潮はあまりない。やはり勤勉な民族なのだ。

 


月25日(日)   「精神分裂病」を「統合失調症」に名称変更

 
従来「精神分裂病」と呼ばれていた病気が、日本精神神経学会によって「統合失調症」と正式に名前を変えた。

 スキゾフレニア Schizophrenia が「精神分裂病」と翻訳された1935年ごろ、この病気は、最後には人格崩壊まで進む予後不良の病気と紹介されてしまったという。医学の教科書にも70年ごろまで載せられていたそうだ。当時は有効な治療法が少なかったこともあって、誤解から不幸なイメージが広まってしまった。
 そのような病名から、「精神そのものが分裂してしまう」というイメージが長い間続き、患者の人格を否定したり、多くの誤解や差別を生み出してきた過去がある。これをお読みの多くの方も同じように受け止めていたのではなかろうか。私自身も、症状にいろいろな段階やレベルはあるものの「精神が分裂する」と考えていた。ただ分裂するとはどのようなことかを理解していたとはいえないが。

 名称を変えるに至った背景には、近年の精神医学と治療薬の発達により、この病気の多くが治ることが分かってきたことがあげられるという。最近は副作用の少ない新世代の抗精神病薬が開発され、より有効な治療が可能になってきた。にもかかわらず、医師が病名を告げることで、逆に社会参加を阻まれることが少なくないため、患者に正しい病名も言えず、診断書も書きにくかったという。
 5つの国立療養所精神科外来で行われた1997年の調査によると、精神分裂病の患者で自分の病名をきちんと知っている人は20%に満たなかった。同じ精神の病気でも、うつ病や神経症の患者とは大きな差がある。自分の正確な病名を知らないまま、うつ病などと思い込んで誤った病気の本を読んだりする患者もいるであろう。

 従来の薬は、無関心や意欲・集中力の低下などの陰性症状を持つ患者には効かなかった。また副作用が強く、眠気やだるさ、パーキンソン病のような症状が出るなどの短所があったが、これに対し、最近開発され、日本でも使われるようになった新世代の抗精神病薬は、陽性と陰性の両症状に効くという。ただし、体重増加という副作用があるが、従来の薬のような副作用がないため、患者の社会復帰が容易になってきたという。
 現在では、かなり治癒率も高くなっている。ただ再発しやすい病気であり、家族や周囲の理解、地域の生活支援システムが大切との指摘もある。一生の間には、約100人に1人はこういった状態になることがあるという。
 治る人ばかりでなく、残念ながら重症化する人もいるが、それは他の病気でも同じことであり、発症部位が神経だということで、あくまで多くの病気の中の一つであることをあらためて認識したい。

 


月20日(火)
 
ュージカル「ラ・マンチャの男」が1000回目の公演を終えた。主役の松本幸四郎、今月上旬日本経済新聞に寄せた手記を読んだ。初演が27歳のときの1969年4月、以来33年経った今年、幸四郎満60歳の還暦の誕生日8月19日に1000回を迎えるという一大イベントになった。場所は初演と同じ帝国劇場だった。1000回というのはとにかく凄いことだろう。森繁久弥の「屋根の上のヴァイオリン弾き」をしのぐ記録を作った。

 このミュージカル「ラ・マンチャの男」を1997年に青山劇場で観たことがある。何回目の公演かは定かではなかったが、ロングランを誇っていることだけは知っていた。そのときの記憶では、円形舞台を中心にして、右手(?)奥の客席から見えない場所にオーケストラ(というよりブラス中心のバンド)が配置されていた。オケがこれだけ引っ込んでいると音はさすがに前には出てこない。
 ミュージカルはクラシックとちがい、ふつうマイクを使うがそのときもそうであった。オペラと較べる意味などないかもしれないが、幸四郎はじめどの役者も思いのほか歌が巧いのに感心した。ダルシネア姫を演じたのは元宝塚の鳳 蘭で、死の床についたドン・キホーテ幸四郎との絡みはなかなか見応えがあったのを思い出す。
 アンコールが圧巻だったというのはちょっと気が引けるが、とにかく幸四郎がアンコールで英語で歌った「見果てぬ夢」は、役者とは思えぬ歌唱力と歌い込んだ年季とが結実したものであった。このミュージカルが深く印象に残ったのは、たまたまそのとき男声合唱団コール・グランツが英語版「ラ・マンチャの男」に取り組んでいたときでもあり、まさにタイムリーなものであったからだろう。
 幸四郎は、初演のころは髪もひげも白くしなければならなかったそうだが、いまでは素顔のままで演じられるようになったという。また、今回は娘の松たか子(アルドンサ役)と松本紀保(アントニア役)とも共演した。私が観た1997年の公演では松たか子がアントニアを演じていたが、ちょっと寂しい歌唱力だったと記憶している。いまではきっとよくなっていることではあろうが。

 じつは、まだ原作にあたるセルバンテスの「ドン・キホーテ」を読破していないことを白状しよう。原題は“El Inhenioso Hidalgo Don Quixote De La Mancha”(才知あふるる郷士ラ・マンチャのドン・キホーテ)で、 その書き出しがなんともふるっている。いわく、「暇な読者よ、予がこの書物を己が知能の子として創造しうるかぎり、およそ美しい、高雅な巧緻なものであれかしと願っていることは、いまさらとりたてて誓わないでも、お信じくださるところであろう。」
 読破していない理由は簡単、とにかく長すぎるのである。面白い場面のところはよいが、それ以外はどうにも冗長で参った。 ちなみにこの小説は、日本語に翻訳されたものでも、400字詰め原稿用紙にして3,200枚分、二段組にしてびっしり詰めても700頁を越す大作である。3,200枚分もあるということは、数えてて確認したのだが、こんなことをする読者はやはり暇な奴と思われてもしかたなかろう。最後まで読まれずに文字数だけ調べられる本も、世の中広しといえどもそう多くはあるまい。


 


月25日(木)
 
全日本合唱連盟発行の「ハーモニー夏号」をパラパラとめくっていたとき、視界に見覚えのある文字がかすめた気がした。気になって、もう一度めくり直してみた。するとどうだろう。男声合唱団“コール・グランツ”のコマーシャルが目に飛び込んできたではないか。
 いつのまにこんなところへ掲載したのだろうか? 誰かが団員募集でも掛けたのだろうか?

 しかし、よくよく見ると“混声合唱団”とある。さらには“名古屋大学”の文字も見られるし、“小林秀雄委嘱初演”と大きく書かれていて、明らかにわが団ではないことがはっきりしてきた。あらためて見直すと“Chor Glanze”コール・グランツとなっていたのである。わずかにちがってはいたが、よく似た名前の合唱団である。まったく同じ“コール・グランツ”が、この日本のどこかにもうひとつふたつあってもおかしくはないかも知れない。

 


月20日(土) ピアニスターHIROSHI
 
台風一過、蒸し暑い天気が続いている。このホームページの表紙にあしらっていた“ワールドカップ”を元の“楽譜と花”に替えた。
 日本代表はそれぞれのチームへ戻り、次なる目標を目指して新たな活動を始めている。こちらも少しは音楽に身を入れないといけないだろう。当面は8月に新潟で行われる「関東おとうさんコーラス大会」に向けて仕上げをやらねばならない。無伴奏男声合唱の名曲、遠藤雅夫作曲「今でも…ローセキは魔法の杖」に取り組んでいる。難しいが素晴らしい曲である。

 ピアニスターHIROSHI を聴いたことのある方はいるだろうか。出身は東京芸大楽理科、右手で演歌やポップス、左手でクラシックを同時に弾いてしまう超ピアニストである。昨年、さいたま芸術劇場大ホールで行われたコンサートでは、「アイネ・クライネ・スーダラ・ムジーク」、「ピンクの鬼太郎〜ゲゲゲのカンパネラ」などの迷曲を聴いた。演奏中にもかかわらず客席から思わずクスっと笑いが漏れるコンサートである。ふざけているようだが、本人はいたって本気のようだし、テクニックと音楽性に裏打ちされているだけにぐいぐいと引き込まれてしまう。

 そんなHIROSHI をわがコール・グランツの指揮者・鎌田先生が栗橋イリスホールへ招聘した。コンサートは9月29日に予定されている。鎌田先生はイリスホールの館長でもあるからだが、決して職権乱用などではない…、と思うが。今回の出しものは、「都はるみの主題によるショパン、ん?」、「迷子の迷子の子猫ちゃん踏んじゃった」といった変曲──ではなく編曲ものに加えて、オリジナル曲「ごめんね」も演奏される。機会があったらぜひ一度聴いて欲しいプレイヤーである。

 


月13日(土)
 
アメリカのブラックジョークをご紹介しよう。
 救命ボートが不足したために大惨事になった、タイタニック号沈没に絡めたジョークである。
 人数分のボートがないから誰かが犠牲になって海に飛び込まねばならないという設定。

アメリカ人には、「君はヒーローだ」といえば喜んで飛び込む。
イギリス人には、「あなたこそが紳士です」
ドイツ人には、「これは規則だから」
イタリア人には、「さっき美女が飛び込みましたよ」
さて日本人には、どういうか。それは、「他の人たちも飛び込んでいますよ」。

 


月6日(土) 日韓W杯直後に勧告を訪問

  ワールドカップが終わり、ようやく静かな日常が少しづつ戻ってきた。テレビでは大会を振り返る特集がいろいろ組まれているが、全体的には冷静さを取り戻しているようだ。つぎなるドイツ大会に向けて日本代表
はどうなるのか。4年間は長い。
 次期監督はブラジルのジーコに決まりそうだ。ジーコは監督経験こそないが、選手としての国際試合は十分に経験している。さらにジーコは日本人をよく知っていることが大きい、と協会はコメントしている。手腕のほどはまったく未知数である。

 今回の大会で日本におけるサッカー人気は少しは高くなっただろうが、それでもまだ“No foot”(ノーフット:サッカーに興味のない人)は大勢いる。それは、日本で楽しまれるスポーツの数が多いことと、中年以上の人たちにとってメジャーなスポーツは野球だからである。もちろん私自身も子供の頃には野球しかやらなかった。とにかくあの時代にほかに やるスポーツはなかった。

 先日ワールドカップが終わった直後の韓国へ行ってきた。泊まったホテルは市庁舎前広場に面していた。例の サッカーボールをかたどった大きなモニュメントがある。左の写真は朝方撮ったものだから交通量も少ない。これが日中はたいへんな混雑になる。朝晩のラッシュアワーは相当なもの。
 街はすでに平穏な姿を取り戻したといってよいだろう。しかし、テレビでは何かにつけてサッカーの話題が流されていて、まだまだ人々の熱が覚めやらぬことがわかる。

 私が訪れた製薬会社はサッカー場を備えていた。下駄箱には、ごく自然にサッカーシューズが入っていた。その企業の比較的若い役員は、自身も会社のクラブでサッカーをやる。がっしりした体躯の持ち主で、センターフォワードで数得点しているとのことだった。日本でよく見られる草野球チームのように、韓国ではどこの会社でもサッカーチームが作られている。
 招待された本場(当たり前!)の焼肉で、その会社の重役と当然ワールドカップの話題となった。
 韓国戦のある日は仕事にならない。日本とちがって準決勝まで進んだ韓国は、全部で6試合戦っている。少なくも6日間は開店休業状態だっただろう。しかたなく早めに業務を終了したそうだ。おまけに7月1日は特別記念として国中が休日と決められてしまった。6月の生産性は7割くらいに落ち込んだとぼやいていたが、言葉とは裏腹に顔はそんなに困った様子ではなかった。

 


月29日(土) ワールドカップ、2試合観戦
  仕事も忙しいがワールドカップ観戦も忙しかった。実際にスタジアムで観戦できたのは2試合だけだったが、テレビでかなりの試合をチェックしたからほかのことが手に付かずに困った。

 日本は歴史に残るような結果を残してくれた点は評価できるものの、決勝リーグ初戦でのトルシエのキャスティングは非難されてもしかるべきだ。調子の良いチームはあまりいじらないのが鉄則。あれこれ考えすぎるといじり回してしまうことにつながる。文章も推敲しすぎると勢いも面白みもないものになるのと似てはいないだろうか。テニスにしても調子が良いときは、余計なことを考えずに同じプレーを続けるのが正しい。へたに変えるとろくなことはない。
 同じことを繰り返すのは意外にむずかしいものだ。状況に応じて動き出さねばならないときもある。しかし、何か仕掛けてやろうと動き出すには相当の勝算がなければ意味がない。同じことを繰り返すことに耐えられなくなって動くのは、得策ではない。これは大いに反省材料にすべきであろう。

 
 


月29日 (水)コンサートで気になること
  先日、埼玉中央フィルのショスタコーヴィッチを聴いた(このことは“音楽/合唱”コーナーに書いておいた)。演奏するにはかなり難しい曲だろう。若い団員が多いオケだから、これからどこまでうまくなるか期待したい。

 コンサートで気になることがひとつある。演奏がどうか気になるのはあたりまえだ。そうではなく、会場内の音楽を聴くための環境のことである。われわれ合唱団のコンサートでも、ホールを埋めるために知人友人親類縁者を動員するが、ここで問題が出てくる。ポピュラー音楽ならば、少々物音がしても気にならないだろうが、いわゆるクラシック系の曲ではとにかくダイナミックレンジが広いから、とくに小さな音に対しては会場の静寂さが欠かせない。にもかかわらず、幼児の声などに邪魔されることが多いのが残念である。また演奏中に話し声が聞こえるのもいただけない。音楽を聴くための最低限の常識もわきまえない人がどこにでもいるのである。

 どうしてそんなことになるのであろうか。他人の迷惑など気にならないのだろうか、と不思議であるが、たぶん迷惑になっていることすら理解できない人なのである。極論すれば、音楽を聴くためのマナーを知らないその人に責任はないのであって、そのような観客(聴衆とはいえない)を管理するのは主催者の責務である。なかには音楽がとくに好きなわけではないのに、頼まれてしかたなしに聴きに来ている人もあろう。小さな子供連れの場合などはまちがいなくそうであろう。その入場を押しとどめるには、かなりの勇気がいることもいっぽうで確かである。
 音楽か、はたまた地域貢献、親戚付き合いのどちらを取るかである。

 


月25日(土) ワールドカップ開幕まで一週間

 
いよいよワールドカップの開幕まで一週間をきった。今回は幸運なことに2試合のチケットが手に入った。もちろん厳しい倍率のなかを勝ち抜いてやっと掴んだものである。ひとつ心配なことといえば、第三次募集で獲得した日本対ベルギー戦(6/4)のチケットがまだ届いていないこと。期限が迫っていることもあって、今回は郵便局へ身分証明書持参で取りに行くのではなく、宅急便で届けられるらしい。
 駐車場もすべて予約制で、チケットなしでは入れない。それも混雑を避けるためにスタジアムから離れた場所に設置し、そこから無料シャトルバスで送迎することになっている。インターネットですでに予約も完了した。あとは体調を整えて試合に臨む(!)だけである。

 最近、このHPに男声合唱団コール・グランツのコーナーを設けた。土岐代表からの情報を掲載してゆく。いちおう公式なものとみてよいだろう。練習予定やコンサート情報などを流すつもりだが、まだパソコンをお持ちでない方もいることを考慮するとこれですべてとはゆくまい。

 


月17日(金)
 
今日、エッセイ「なぜソフィーはそれを選択したのかをようやくアップした。ようやくというのは、やっと書き上がったというようなことではない。じつは原稿はとっくに仕上がっていたのだが、公表するかどうかでずいぶん悩んでいたのである。ナチスとユダヤの問題はかなり微妙なところがある。最初の原稿から削除した部分もけっこうあるし、言い回しもそれなりに手直しした。

 私の話しでは前後を省略してあるから、唐突に主人公ソフィーが追い込まれた状況となるようにしか思えないかもしれないが、ぜひあの第二次世界大戦におけるナチスの犯罪を思い起こしていただきたい。ユダヤ人を選別する場面を共通の理解とすることで、いきなり核心に迫ってみたのである。ナチスの行為を勉強しているうちに、戦争犯罪を科学的に検証することがいかに困難かという問題に遭遇した。

 


月6日(月)
 待望のワールドカップ始まる
 
大型連休もついに今日で終わり。カレンダー上の休日は、ほとんど午後いっぱいテニスコートにいたおかげでかなり日焼けしてしまった。 さすがに今日あたりは疲労もピーク、予定していた6時を5時で切り上げて帰ってきた。連チャンはしんどい、肩と肘をアイシングで冷やしながら連休の最後をいつくしんでいる。さて、今日からスウィッチを また仕事モードに切り替えねばならない。連休中は曜日の感覚すらなくなっていたから、仕事モードに戻すにはそれなりに工夫がいる。 まずはメンタルトレーニングからだろうか?

 今月は待望のワールドカップが始まる。正式には“2002 FIFA WORLD CUP KOREA JAPAN”と呼ぶが、歴史上初めて二カ国による共催となった今大会は、5月31日にソウルで行われるフランス vs セネガル戦(グループA)で開幕する。前回のフランス大会以後、確実に力をつけてきた日本代表は、まず予選突破を目標に頑張ってほしい。海外移籍選手が増えている事実からも、日本のレベルが向上していることはまちがいない。
 1998年フランス大会では、あのチケット騒動の中で幸運にも観戦することができた。今回も予想以上のチケット入手難ではあるが、尋常ではないトライによって、とりあえず6月2日のイングランド vs スウェーデン戦(グループF、埼玉スタジアム)をすでにゲットしており、家族で観戦する予定にしている。しかし、なんとしても日本代表戦が観たい。ということで、ただいま第三次募集で日本代表戦チケットに半分手が届きつつある。電話予約による最初の難関を突破し、すでに代金を払い込み結果が出るのを待っている状況である。当選すれば、日本の初戦となる6月4日対ベルギー戦(グループH、埼玉スタジアム)のチケットが手に入る。家中で首を長くして待っているところである。

 


月2日(木)
  島崎弘幸氏のエッセイ「東へ西へ 団地を走る男のきもち」に
、理工系と法文系のちがいを述べているくだりが出てくる。両者はどうちがうか、あるいはちがわないか。世間では、なんとなく二つの人種がいるように捉えているのではあるまいか。また、理系にせよ文系にせよ専門のつもりなどない 、どちらにも属さないというひともいるだろう。

 人間とは面白いもので、ひとたびその枠をはめてしまうと、そのつもりになってそこから出られない傾向が見られる。理系だから芸術や文学にあまり興味を示さないとか、文系なので科学や技術に疎いのを当然と受けとめてはいないだろうか。私自身は仕事として の専門はあるが、だからといってその分野の人種だと規定するつもりはないし、分野を問わず素晴らしいものにはひかれる。ハイレベルの専門家にもこのようないわば“二足の草鞋”的な人がいることは、ご案内のとおりである。二足の草鞋の裏返しが専門バカだろうが、それを否定するものではない。否定はしないが、ひとはトータルにバランスが取れていなければならない、というのが持論で もある。

 


4月30日(火) バッハの無伴奏チェロ組曲と座禅

  今回の大型連休は9日間となった。ふだんやれないことを片付けなければならない。その合間にテニスをしたり、駄文を書いたり、カミサンの仕事の送り迎えをしたりと、なにかと忙しい。

 今日の読売新聞埼玉地域ニュースにバッハで座禅を組む話しが載っていた。妻沼町の曹洞宗「瑞林寺」で、座禅に親しんでもらおうと、クラシックと座禅のジョイントをやっている。流す音楽はバッハの無伴奏チェロ組曲だという。これなら納得できる。

 エッセイ「ピエール・フルニエのこと」にも書いておいたが、私が初めての給料で買ったレコードがピエール・フルニエのバッハ「無伴奏チェロ組曲全集」だった。何度となく聴き込んだ曲である。 レーベルも相当擦り減っている。無伴奏チェロ組曲の魅力は一言では言い尽くせるものではないが、チェロのもつ味わい深さがバッハの静謐な世界をくまなく表現していて、すくなくも座禅をするには申し分なかろうと、座禅の経験のない私にも理解できる気が する。

 


4月21日
(日) 山形新幹線
でのんびりと
  昨日の土曜から今日にかけて山形へ行ってきた。今回は飲む都合があったので車でなく新幹線を利用しての往復であった。行きの列車が、山形までもう少しという米沢駅に着いてから、なかなか出発しないなと思っているところへ、車掌の案内が「おきたま駅で事故停電のため、係員が点検しております。しばらくお待ち下さい」と間をおいて二三度告げた。しばらくして「電力係員が点検しておりますが、復旧にはかなり時間がかかる見込みです」と、「しばらく」から「かなり」に状況が変わった。さらに間をおいてとうとう「発車のめどが立っておりません」となってしまった。この頃から 車内がざわつき始めた。

 「トイレが混雑しておりますので、駅のトイレをご使用下さい」とも放送があった。しかし、そのうち停電の関係かどうか「トイレが故障しております。駅のトイレをご使用下さい」となったが、いそぐ旅でもなしホームへ出たり、本を読んだり、居眠りしたりでほとんど気にならずに過ぎてしまった。けっきょく1時間20分ほどそこで足止めをくった。

 山形新幹線は、東京〜福島間は東北新幹線と連結して走っている。福島駅で東北新幹線と切り離されてからは、駅間距離も短いし、踏切もあったりで新幹線という感じはしないが、それでも新幹線がなかった時代に比べれば、格段に早く行けるようになったことはまちがいない。
 いつも宇都宮から新幹線に乗り込むが、往路、宇都宮でちょうど昼時になった。駅弁を物色しに行くと、売店に「駅弁発祥地」と書かれてあった。宇都宮駅は明治18年に開業し、同時に“ごま塩おにぎり2個を竹皮で包み”5銭で売り出したのが駅弁の始まりだとちらしに書かれていた。おにぎりは2個だったが、ほかに煮物や肉団子やひなかつなどがついた“汽車弁当”を買った。今回の収穫は「駅弁発祥地」を知ったことと、新幹線の80分遅れを経験したことだった。

 


4月9日(火) 埼玉県立図書館
 埼玉県には県立図書館が4箇所ある。それぞれがカテゴリーを分担して書籍や資料の収集・保管・閲覧サービスを行っている。いつも週末に欠かさず行く久喜図書館は、芸術/言語/文学/児童用資料及び研究資料が担当である。因みに浦和は社会科学/郷土資料、熊谷は総記/哲学/歴史、川越は自然科学/技術/産業となっている。久喜が芸術/言語/文学が中心だったのは、ぼくにとってじつにラッキーだった。

 図書館の利用法はいくつかある。読みたい本は、その図書館になくとも県内(県立に限らない)の図書館をあたってくれるし、どこにもない場合には購入して用意してくれる。読者にとっては、本を買わずにすむという利点があるが、著者にしてみれば困った存在でもある。
この問題はよく指摘されることだが、いずれ機会があれば議論したい。
 


4月6日
(土) 東京リーダーターフェルと「遥かな友に」
 菅野哲男さんから毎月「ターフェルニュース」が送られてくる。このニュースは、男声合唱団東京リーダーターフェルが発行している機関紙で、団の活動情報を中心に書かれていて、A4で10頁以上あるしっかりしたものだ。新聞の切り抜きなどもある。

 3月号に男声合唱の定番「遥かな友に」(俗に“はるとも”という)が、誕生した場所を紹介する新聞の切り抜きがあった。その場所は、神奈川県津久井町の道志川渓谷である。昭和26年、キャンプ場に合宿していた早稲田大学グリークラブで指導にあたっていたのが、“はるとも”の作曲家である故 磯部俶(いそべとし)氏であった。氏は渓流の音に耳を澄まし、静かに友を想うやさしい心を主題にした。

 “はるとも”記念碑前で毎年9月に合唱祭が開かれ、この曲を持ち歌にしている早稲グリ出身のボニージャックスも招かれているという。

 


3月28日(木) 日本代表がアウエーでポーランド代表を下す

 今日は、眠気を我慢する一日だった。じつは昨夜というか今日といったらいいのか、夜中の2時過ぎまでサッカーを観ていたからだ。W杯に備えて日本代表がアウエーで臨んだポーランド代表戦、当然ながら時差がある。夜中の12時過ぎにキックオフ。結果はおそらくほとんどの方がご存知だろう。NAKATAが強烈なシュートで先制点をもぎ取り、TAKAHARAがゴール前の混戦から押し込んだ。

 これが本当のポーランドとは思えないほど悪い面ばかりが目立ったチームだったが、それだけ日本が強くなった証拠でもあろうか。安心して観ていられる試合運びだった。



3月27日(水) 拙著『音楽は体力です』 東京国際ブックフェア2002で展示

 4月14日〜21日にかけて東京ビッグサイトで「東京国際ブックフェア2002」が開催される。このフェアは世界25カ国から550社が参加する出版に関する一大イベント。昨年は拙著『音楽は体力です』が文芸社のブースに展示され、いちおう著者ということでビップ扱いで入場、ちょいとくすぐったい気分を味わった。

 世界中の本が安く買えることもあるが、本とか出版(電子的なものも含む)に興味がある方は一度行かれるとよい。デジタルパブリッシングフェアも同時開催している。入場料は1200円。

 


2002年3月25日(月) ホームページ立ち上げ

  • ホームページを立ち上げたすぐあとの23日に山形へ出かけた。東北自動車道から山形自動車道を経由して山形市内まで約320Km、5時間の行程である。途中、笹谷トンネルの前後ではかなりの雪が降っていた。

 



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