雑 感   令和3年 (2021)
加藤良一


12/29  便りがないのは良い便り!
12/28  【40歳からはじめる健康学】 島﨑弘幸著




◆ 12/29 便りがないのは良い便り
 近ごろ年賀状を書かないという人が増えているのだろうか。虚礼廃止とばかりに年賀状を書かないと主張する方は昔からいる。年賀状が虚礼かどうか知らないが、世の中虚礼かなと思うものを挙げたらきりがない。虚礼派は、数多ある虚礼をすべてきっぱり拒否しているのか聞いてみたい気もするし、書くのが億劫だというのもわかる気もする。義務感や慣例で書くのであればなおさら面倒だろうし、まさに虚礼となってしまう。

 そもそも年賀状とはなんなのだろうか。どこが虚礼なのだろうか。商売上の必要はとりあえず別として、年が明け、こころ新たに新春の挨拶を知人友人と交わす、このこと自体を虚礼と思う人はまずいまい。それを書状にして書く段になると一転虚礼となってしまうのだろうか。

 日本で年賀状はいつごろからやりとりし始めたのだろうか。明確ではないらしいが、奈良時代から新年の年始回りという行事があったらしい。さらに平安時代には貴族や公家にもそれが広まり、遠方の人への年始回りに代えて文書による年始の挨拶が行われるようになったという。その後、武家社会で年始の挨拶状が一般化し、それが庶民のあいだにも波及し、ついには飛脚などを使って挨拶状が運ばれるようになったという。欧米では、クリスマスと新年の挨拶を同時に済ませてしまう。年始に届けるわけではないがこれもある意味で年賀状とみてよいのではないか。このカードを虚礼とみる欧米人はいるのだろうか。

 今どきは、紙の年賀状ハガキの他にネット上でやりとりできるツールもたくさんあるから、書く行為の敷居は低くなっているにちがいない。もっとも本当の虚礼派はそれでも書かないというにちがいない。なかには、年を取ってもう書くことができない、今年で終わりにするとわざわざ断ってくる律儀な方もいる。いっぽうで、喪中ではあるが年賀状は受け付けると加えてくる方もいる。世の中さまざまだ。

 わたしは喪中以外の年は年賀状を書いている。ちょっと離れた友人や知人は一年に一度のやりとりでもなければ、知らないうちに亡くなっていたりする。便りがないのは元気なしるし、ではなかったことを知る年の瀬となった。





◆ 12/28 40歳からはじめる健康学』 島﨑弘幸著
 年の瀬がやってくるとゆく年くる年のいろいろなことに思いを馳せます。2年前にやっかいな病気に罹ったものの、そこからようやく回復し、今はとくに日常生活に困ることがないのが唯一の救いでしょうか。

 私の大学研究室の同窓で、日本油化学会会長、国際油脂学会会長、日本健康・栄養食品協会専門委員などを歴任した油脂学の専門家・島﨑弘幸さんが平凡社から『
40歳からはじめる健康学』という本を出したのは、9年前の平成24年(2012)12月でした。
 島﨑さんは、私が運営するサイト<シュンポシオン>の常連さんです。専用コーナー↓↓も設けています。
 【島﨑弘幸 元栄養学教授のコラム】
  www.ric.hi-ho.ne.jp/neo-rkato/essay/shimazaki_hiroyuki_top.html

 40歳からはじめる健康学』は、ただですら専門用語が羅列される健康や栄養に関する話が多いなか、一般の方に楽しんで読んで頂きたいという狙いで書かれています。物語仕立てとなっていて、会話体を中心にとても読みやすくなっています。随所に出てくる飲み屋の話しなどは、ひょっとしたら私と飲んでいた時のことかなと思われる程覚えのあるものです。

 また、表紙の右下にさりげなくギリシャ語でVarietas delectat(ウァリエタース・デーレクタト)と小さく書かれていますが、これは「いろいろあるから面白い」の意で、清濁併せ飲む包容力も備えた、実に彼らしい一面の表れでしょう。






   


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